大分県出身のフォークシンガー・南こうせつさん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
歌手デビューしたきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回はフォークシンガーの南こうせつさんをリサーチしてみました。
目次
南こうせつの学歴・生い立ち・経歴
名前 南こうせつ
生年月日 1949年2月13日
出身 大分県
身長 163cm
血液型 AB型
所属 ベリーファーム
小学校・大分市立竹中小学校
中学校・大分市立竹中中学校
高校・・大分舞鶴高校
大学・・明治学院大学 社会学部(中退)
大分郡竹中村(現在の大分県大分市竹中)出身。
実家は鎌倉時代から続く寺の勝光寺で、父親は住職。
母親は教育熱心でした。
4人兄弟の末っ子。
実家の寺は、兄の南慧昭(えいしょう)さんが、会社員としてキューピーに勤務し、関連会社ヴェルデの社長を務め、退職した後に継いでいます。
自然に囲まれたところで育ち、家の前に大きな川があり、川や山が遊び場でした。
小学校は大分市立竹中小学校を卒業。
母親が教育熱心だったこともあり、成績はよかったといいます。
中学校は大分市立竹中中学校を卒業。
大学生の兄が持っていたウクレレを弾いたことがきっかけでフォークギターを購入し、中学時代に独学でギターを始めました。
高校は大分舞鶴高校を卒業。
大分舞鶴高校は、大分県大分市今津留にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は68。
大分県ではトップクラスの進学校です。
高校時代はコーラス部に所属し、フォークバンドも結成。
大学は明治学院大学・社会学部に進学。
東京都港区白金台に本部がある私立大学。
社会学部の現在の偏差値は58。
大学進学後は音楽に没頭し、大学は退学しています。
南こうせつが歌手デビューしたきっかけは?
『ギターと歌を始めたのは、学校の夏休みのキャンプでギターを弾きながら歌ったとき。みんなが一緒に大声を出して歌ってくれて、口々に楽しかったと言ってくれました。』
引用 https://www.muse-tokorozawa.or.jp/
小学生の頃から洋楽が好きで、中学時代にプレスリーやボブ・ディランの影響を受け、おこづかいを貯めてギターを買って独学で練習を始めました。
アメリカのフォークグリープ・キングストン・トリオのいままでの歌にはなかったメッセージソングを聴いて、フォークソングを始めました。
高校時代にはコーラス部の後輩の、伊勢正三さんと、フォークバンド『ヤングフォークスリー』を結成。
プロになるためにに上京するしかないと考え、東京の大学に進学。
大学は上京の口実だったため、あまり通わず退学しています。
『シングルレコードとして発売されたのですが、買ってくれたのは親、親戚、友達だけで、全部で250枚くらいのセールスでした。』
引用 https://www.muse-tokorozawa.or.jp/
1970年4月にクラウンレコードのオーディションに合格し、21歳の時に『最後の世界 / むなしいうた』でソロデビューしましたが、売り上げは300枚にも届きませんでした。
南こうせつ かぐや姫で神田川が大ヒットするも解散
南こうせつさんは1970年10月に『南高節とかぐや姫』を結成し、『酔いどれかぐや姫』をリリースしましたが、1年で解散。
1971年に高校の後輩だった伊勢正三さんとカレッジフォークグループ『シュリークス』を脱退したばかりの山田パンダさんと共に『かぐや姫』を結成。
1971年9月にシングル『青春』で再デビュー。
1972年4月発売したアルバム『はじめまして』は5万枚を売り上げました。
1973年9月に5作目のシングル『神田川』を発売。
作詞を担当した喜多條忠さんが、早稲田大学在学中に恋人と神田川近くのアパートで暮らした思い出を歌詞にして、青春の悲しみが若者の共感を呼んで週間オリコンチャート1位なり大ヒット。
最終的には120万枚以上売り上げました。
『神田川』のヒットでNHK紅白歌合戦に出場の話が来ましたが、歌詞の出てくる『クレパス』が商標であるため『クレヨン』に変更を要請されたことで辞退しています。
翌年の1974年1月に発売したシングル『赤ちょうちん』も4位にランクイン。
しかし、同曲はて南こうせつさんが出したかったシングルではなく、すでに映画化が決まっていたためレコード会社側が一方的に決めた曲で、その後も映画化の話が絡み『妹』がシングルになるなど、アーティストの意思が無視されることが続き、それが原因で1975年4月に解散しました。
南こうせつ ソロ活動と『かぐや姫』再結成
『かぐや姫』解散後はソロとして活動。
当初はヒット曲に恵まれませんでしたが、1978年10月に発売した4作目のシングル『夢一夜』が週間オリコンチャート3位にランクインし、ソロで最大のヒット曲になりました。
1992年にはNHK紅白歌合戦に初出場。
歌った曲は『神田川』で、歌詞は変えず『クレパス』をそのまま歌いました。
紅白歌合戦には1997年までに5回出場しています。
1978年10月に『かぐや姫』を期間限定で再結成し、アルバム『かぐや姫・今日』を発売し、再結成コンサートも全国で行いました。
1980年6月、1985年7月、1999年8月にも再結成し1999年には、同年のNHK紅白歌合戦に出演し『神田川』を披露しました。
2000年代にも3度再結成しています。
ソロとしては、2009年9月に還暦記念として、つま恋でサマー・ピクニック・コンサートが行われ、約2万人の観客を集めました。
南こうせつの結婚歴や妻は?
南こうせつさんが結婚したのは1973年。
24歳の時の結婚でした。
妻は一般女性の育代さん。
『ぱっと顔をみたときに、かわいい娘が立っていて、僕はパンツ1枚にTシャツだった』
引用 https://hochi.news/
当時、住んでいた高円寺のアパートの隣に住んでいた女性で、南こうせつさんの荷物が間違って妻の部屋に届いたことで、出会いました。
その後、ゴミ置き場で再会し、交際がスタートしたそうです。
南こうせつの子供は何人?
南こうせつさんの子供は3人。
子供は息子が2人と娘が1人。
1975年に長男
1979年に長女
1994年に次男
が誕生しました。
長男と次男の年の差は19歳。
次男が産まれた時、南こうせつさんは45歳でした。
長女の南しずかさんは。東海大学航空宇宙学科卒業。
大学卒業後に渡米し、フォトジャーナリズム及びドキュメンタリー写真を学び、ニューヨークを拠点にフリーランスフォトグラファーとして活動います。