刑事ドラマ「さすらい刑事旅情編」シリーズに準主役で長く出演し、リーゼントヘアがトレードマークだった俳優の三浦洋一さん。
そんな三浦洋一さんの生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は息子で俳優?
今回は俳優の三浦洋一さんをリサーチしてみました。
目次
三浦洋一の学歴・生い立ち・経歴
名前 三浦洋一
生年月日 1954年1月21日
没年月日 2000年5月14日(46歳没)
出身 愛知県岩倉市
身長 178cm
血液型 O型
高校・・東海高校
大学・・早稲田大学
父親、母親、弟の4人家族、父親は電電公社に勤務。
高校は東海高校を卒業。
東海高校は、愛知県名古屋市東区筒井にある私立の男子校で、偏差値は73。
高校時代は野球部に所属してました。
大学は早稲田大学政治経済学部に進学。
政治経済学部の偏差値は68。
新聞記者になりたくて、政治経済学部に入学し、大学では政治経済研究会に所属していました。
大学時代に芝居を始め、大学は5年在籍した後に退学しました。
三浦洋一が俳優になったきっかけは?
大学入学後に新入生歓迎会では、いつくかの劇団が演劇を披露していたことから、「ちょっと面白そうだな」との軽い気持ちで、劇団「暫(しばらく)」とう劇団の舞台を観ると面白くて、すぐに同劇団に入団。
大学同級生には平田満さんがいて、劇団の公演で出会いました。
三浦洋一デビュー後
劇団に入団後、部舞台を観に来た演出家のつかこうへいさんと出会い、平田満さんと共に引き抜かれ、1974年、20歳の時に舞台「初級革命講座」で本格的にデビュー。
「つかさんには一から鍛え直されました。というより、僕は芝居の経験が全くない真っ白な状態でしたから、逆にいじりやすかったのかもしれないですね。」
当時はプロの俳優になろうとは思っていませんでしたが、つかこうへいさんの圧倒的なテンションと「志」に引き込まれていったといいます。
1976年に「前略おふくろ様 第2シリーズ」(日本テレビ)でドラマデビューし、1980年の「危険な関係」で映画デビューしました。
1978年4月から放送された「7人の刑事」(TBS)の北川刑事 役でリーゼントが代名詞となり、1985年4月から放送された西田敏行さん主演ドラマ「池中玄太80キロ」で主人公の玄太のライバルで良き同僚のカメラマン前川秀也 役を演じると注目されブレイク。
同年5月からの銀河テレビ小説「御堂筋の春」(NHK)でドラマ初主演を果たしました。
1988年10月からの「さすらい刑事旅情編」(テレビ朝日)には準主役で実質的なリーダーの香取達男警部補を演じ、ドラマは人気を集め、1995年までに7シリーズが制作されました。
三浦洋一の晩年
1999年9月に自宅で食事中に食べ物がつかえる症状でたため、病院で検査をしたところ食道がんであることが判明。
食道がんが発覚した時には、食道の4分の3はすでに機能していない末期で、手術はできない状態でした。
化学療法と放射線治療をしましたが状況はよくならず、同月に一時退院して舞台に出演した際には、すでにバナナジュースさえもうまく喉を通らない状態で、75キロあった体重は55キロまで激減。
公演後の11月再入院し、翌年1月に出演する予定だった公演を降板。
2000年5月11日にに46歳で他界しました。
三浦洋一の結婚歴や妻は?
三浦洋一さんの結婚歴は2度。
最初の結婚は1978年、24歳の時でした。
妻は女優で6歳年上の宇都宮雅代さん。
宇都宮雅代さんは再婚で、前夫は俳優の西岡徳馬さん、連れ子の娘もいました。
馴れ初めは舞台での共演。
1990年頃から別居生活となり、離婚調停を経て結婚15年目の1993年に正式に離婚しました。
離婚調停中に三浦洋一さんの交際相手の妊娠、出産が発覚し、スキャンダルとなりバッシングを受け、仕事は大幅に減ったといいます。
三浦洋一の再婚した妻は?
1993年に離婚成立後、間もなく再婚。
妻は銀座のクラブで働いていた真理子さんという女性。
離婚調停中に番組の打ち上げで訪れた、クラブで出会ったといいます。
真理子さんも再婚で、当時11歳だった息子がいました。
三浦洋一の子供は息子で俳優?
三浦洋一さんの実子は息子が1人。
1993年2月に慶光さんが誕生しています。
息子の慶光さんは俳優をしていたようですが、近年は目立った活動はしていないようです。