東京都出身の歌手・水木一郎さん。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
歌手になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は歌手の水木一郎さんをリサーチしてみました。
水木一郎の学歴・生い立ち・経歴
名前 水木一郎
生年月日 1948年1月7日
没年月日 2022年12月6日(74歳没)
出身 東京都
身長 170cm
血液型 O型
所属 イエローバード
小学校・世田谷区立松原小学校
中学校・世田谷区立梅丘中学校
高校・・世田谷学園高校
大学・・大学には進学していません
東京都世田谷区出身。
本名は早川 俊夫(はやかわ としお)
父親はレコード店を経営。
小学校は世田谷区立松原小学校、中学校は世田谷区立梅丘中学校を卒業。
中学時代には同級生と主的に始めた慰問部で老人ホームを回って、落語をやったり、お年寄りが喜んでくれる歌を歌ってました。
高校は世田谷学園高校を卒業。
世田谷学園高校は、東京都世田谷区三宿にある私立の男子校。
現在の偏差値は68。
高校卒業後は、大学などには進学せず、歌手を目指しました。
水木一郎が歌手になったきっかけは?
『洋楽好きだった母の影響でジャズを子守歌に育ち、5歳で「歌手になる」と決めた。』
引用 https://mainichi.jp/
水木一郎さんの父親はレコード店を経営し、母親はスタンダードジャズ好き、その影響もあり子供の頃から歌うことが好きでした。
中学生の時には歌手になろうと決めていて、ジャズ喫茶にも通っていましたが、日本ではジャズは難しいと思い、少し洋楽の要素のある歌謡曲もよく聴いていたといいます。
1964年、高校在学中にジャズ喫茶で顔なじみになったザ・ドリフターズのリーダーだった桜井輝夫さんの勧めで、ジャズ喫茶『ラ・セーヌ』で開催されたコンクールに出場して優勝。
これた歌手デビューのきっかけとなりました。
水木一郎 アニソン歌手になった理由は?
1965年に、作曲家・和田香苗さんの門下生となり、1968年7月にカンツォーネ調の『君にささげる僕の歌』をリリースし歌手デビュー。
20歳の時でした。
曲は売れず、その後にリリースした曲も売り上げも芳しく、一時期は歌手を辞めて作曲家へ転向しようと考えていました。
そんな頃の1971年、ディレクターの勧めでアニメ『原始少年リュウ』のオープニングテーマ『原始少年リュウが行く』を歌唱。
このことがきっかけで、活動の中心をアニソンに移していきました。
水木一郎さんは映画音楽を歌いたいという思いがあったこともあり、アニソンを歌うことに抵抗はなかったといいます。
アニソン歌手に転向後は、『マジンガーZ』、『バビル2世』、『グレートマジンガー』、『宇宙の騎士テッカマン』、『鋼鉄ジーグ』など毎年複数のアニソンを歌ったいます。
アニメソング歌手に転向してからの最初の4年間で、約150曲の子供向け番組のテーマ曲を発表。
そのレコード売上は平均約10万枚、累計約600万枚に達し、『アニメソングの帝王』と呼ばれるようになりました。
1982年には、自身が吹き込んだ主題歌レコードのトータルセールスが700万枚以上という記録を樹立し、『ギネスブック』に掲載されました。
水木一郎の結婚歴や妻?
水木一郎さんが結婚したのは1971年。
23歳の時でした。
妻は歌手の九条万里子さん。
年齢は4歳年上。
妻の九条万里子さんは所属していたレコード会社の先輩。
九条万里子さんからのアプローチで、交際、結婚に至ったようです。
水木一郎に子供はいる?
水木一郎さんの子供は3人のようです。
子供は娘が人と息子が2人。
順番は長女、長男、次男。
長男と次男は双子です。