元シブがき隊のメンバーの本木雅弘さんの経歴や学歴は?
デビューしたきっかけや、旧ジャニーズを退所した理由は?
結婚した妻の内田也哉子さんとの馴れ初めは?
子供はキラキラネーム?
今回は俳優の本木雅弘さんをリサーチしてみました。
目次
本木雅弘の経歴・学歴
名前 本木雅弘
生年月日 1965年12月21日
出身 埼玉県北足立郡桶川町(現・埼玉県桶川市)
身長 174cm
血液型 A型
所属 メンズアート
父親、母親、兄、弟5人家族、3人兄弟の次男。
実家16代続く米農家で元は豪農、そこら辺の土地が全部自分の家のような感じだと言うほど敷地は広いといい、敷地内には先祖代々の墓があり、自宅も古いものの大きかったといいます。
小学校は桶川市立加納小学校、中学校桶川市立桶川東中学校を卒業。
小学3年生の時に作文には『将来は喫茶店のマスターになりたい』と書いていたといいます。
中学時代はバスケットボール部に入部し、キャプテンも務めました。
高校は浦和学院高校に進学。
埼玉県さいたま市緑区大字代山にある男女共学の私立高校で、偏差値は45~63。
野球、サッカーの強豪校で、何人ものプロ野球選手やサッカー選手を輩出しています。
1年生の時に芸能界デビューし、高校は1年生の途中から、東京都中野区東中野にある明治大学付属中野高校の定時制に編入。
しかし、仕事が忙しくなり、2年生の時に高校は中退しています。
本木雅弘がデビューしたきっかけは?
中学時代に中村雅俊さんや、たのきんトリオの学園ドラマを見て俳優の憧れ、自分もテレビ出たくなり、1980年の中学3年生の時に旧ジャニーズ事務所と宝映テレビプロダクションに遊び半分で応募。
先に連絡の来た旧ジャニーズ事務所に所属しました。
翌年の1981年4月から放送された『2年B組仙八先生』(TBS)で少々つっぱている生徒・森田すばる 役でデビュー。
翌年の1982年5月にシブがき隊のメンバーとして『『NAI・NAI 16』をリリースしデビュー、年末には
第24回日本レコード大賞・最優秀新人賞
受賞し、第33回NHK紅白歌合戦に初出場しました。
本木雅弘が旧ジャニーズを退所した理由は?
1985年12月に、シブがき隊が持ち合わせていなかったその歌唱力とキレの鋭いダンス同じ3人組の『少年隊』がデビューすると、シブがき隊は徐々に勢いを失っていき、1987年には5年連続していた紅白歌合戦に落選。
1988年8月に解散を発表し、11月に解散。
『実は解散が決まる前、私が早々に、業界そのものを辞めてパリでもどっかでも行って皿洗いでもなんでもいいからやって、ということをしたいから辞めてもいいかと二人に相談しました。』
シブがき隊は熱狂的な人気を集めましたが、本木さんは自分に自信がなく調子に乗っていると思われるのが怖かったといい、デパートの屋上でキャンペーンイベントでも相当な数の女性ファンが来て、「なんで自分みたいな若造にこんな熱狂するんだろう」と一気に引いてしまった自分がいたといい、自分から脱退を申しでたそうです。
その際に布川さんは「本木がそう言うならそれでいいよ」と言ってくれましたが、薬丸さんは反対だったといいます。
解散と同時にジャニーズ事務所も退職しました。
日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞を2度受賞
ジャニーズ事務所退所後は、俳優活動に専念し、1988年公開の初主演映画『ファンシイダンス』僧侶の塩野陽平 役を演じ、髪の毛を剃り坊主で出演し、アイドルのイメージを払拭する演技を見せました。
1992年1月公開の『シコふんじゃった。』では、
第16回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞
を受賞し、2008年9月公開の映画『おくりびと』で2度目の、
第32回日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞
を受賞。
1998年の大河ドラマ『徳川慶喜』では主演を務めました。
2015年8月公開の『日本のいちばん長い日』では 昭和天皇 役を演じ、
第39回日本アカデミー賞・最優秀助演男優賞
を受賞しました。
本木雅弘と妻の内田也哉子との馴れ初めは?
本木雅弘さんと内田也哉子(ややこ)さんが結婚したのは1995年。
本木さんは29歳、10歳年下の内田也哉子さんは19歳でした。
内田也哉子さんの父親はミュージシャンの内田裕也さん、母親は女優の樹木希林さん。
両親は生まれる前から別居婚だったため、母親の樹木希林さんに育てられ、幼稚園入学の際は両親が離婚調停中で、移動するたびに多くのマスコミがついてきていたため、入園を断られ、インターナショナルスクールに入学し、小学校まで通いました。
本木さんと内田也哉子さんが出会ったのは、内田也哉子さんが15歳の時。内田裕也さんが主演・企画・脚本を手手掛けた映画『魚からダイオキシン!!』に本木さんが出演したことがきっかけで出会いました。
この時は会話はありませんでしたが、翌年に本木さんが米国アカデミー賞のナビゲーター務めることになり通訳を探していると、本木さんの事務所の社長と内田裕也さんが親しい間柄だったことから、インターナショナルスクールに通い英語が堪能だった、当時、高校1年生だった内田也哉子さんがアルバイトで通訳を務めることになり再会。
約1週間通訳を務めたの後、内田也哉子さんはスイスに留学。
本木さんは連絡先を交換して文通を始め、夏休みに一時帰国した内田也哉子さんに本木さんは
『もし、将来、結婚っていうことを考える時期がきたら、私を選択肢に入れておいてください』
と伝えたといい、内田也哉子さんは、
『誰にでもそうやって言ってるんじゃないか』
と思ってましたが、内田也哉子さん大学生になった19歳の時に正式にプロポーズ。
内田也哉子さんが母親に樹木希林さんに相談すると、
『結婚や人との出会いは計画してできるものじゃないから』
と背中を押されて結婚を決意、その後、次男の本木さんに樹木希林さんが婿入りをお願いし、本木さんはそれを了承し婿養子に入りました。
本木雅弘の子供はキラキラネーム
本木雅弘さんの子供は息子が2人と娘が1人で、3人。
長男の雅樂(うた)さんが1997年、長女の伽羅(きゃら)さんが1999年、次男の玄兎(げんと)さんが2010年に生まれています。
次男の玄兎さんの名前の由来は、くろ(玄)く、しずかな宇宙(そら)に、光を放つ月の情景を想像し、玄兎としたといいます。
長男の雅樂は189cmの身長で、大学生の時に友人に誘われてモデルデビューしています。
長女の伽羅さんは2010年の映画『FURUSATO -宇宙からみた世界遺産-』でデビュー。
2011年には是枝裕和監督の映画『奇跡』では、
高崎映画祭・最優秀新人女優賞
を受賞。
『奇跡』のオーディションを受けることを勧めたの出演者だった祖母の樹木希林さんだったといい、映画で共演しました。