山梨県出身の元プロレスラー・武藤敬司さん。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
プロレスラーになったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は元プロレスラーの武藤敬司さんをリサーチしてみました。
武藤敬司の学歴・生い立ち・経歴
名前 武藤敬司
生年月日 1962年12月23日
出身 山梨県
身長 188cm
血液型 B型
小学校・・富士吉田市立下吉田第一小学校
中学校・・富士吉田市立下吉田中学校
高校・・・富士河口湖高校48
大学・・・大学には進学していません
専門学校・東北柔道専門学校
山梨県富士吉田市出身。
実家は造園業。
出生時は4000gの体重。
小学校は富士吉田市立下吉田第一小学校、中学校は富士吉田市立下吉田中学校を卒業。
小学校2年生の時にドラマ『柔道一直線』を見て柔道を習い始め、小学校5年生の時には少年野球チームにも所属。
野球チームではエースで4番でした。
中学では野球部に入部しましたが球拾いが嫌で2日で退部し、柔道部に入部。
中学3年生の時に黒帯を取得し、山梨県大会の団体戦で1位になっています
高校は富士河口湖高校を卒業。
富士河口湖高校は、山梨県南都留郡富士河口湖町船津にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は48。
自宅から30分の自転車通学でした。
高校でも柔道部に所属し、1年生の時に国体に出場。
高校卒業後は東北柔道専門学校に進学。
現在の仙台接骨医療専門学校です。
宮城県仙台市宮城野区福室にある柔道整復師養成の専門学校。
学校で柔道整復師免許を取得しました。
武藤敬司がプロレスラーになったきっかけは?
『俺は、ほねつぎの仕事は向いていないと思っていた時で、“治す方より、壊す方がいいな”と思って入門した』
引用 https://news.ntv.co.jp/
専門学校時代に当時『新日本プロレス』の選手が、ケガをしたら必ず行く接骨院にインターンに行き、そこの院長先生に紹介され、21歳で新日本プロレスに入門。
後に闘魂三銃士となる蝶野正洋さんは同日入門で、橋本真也さんはその前日の入門でした。
入門して3日で辞めようと思ったとうですが、鬼軍曹の山本小鉄さん他の人が辞める時は止めませんでしたが、武藤敬司さんには、
『もう少しだけガマンしろ ガンバってみろ』
と引き止めてくれたことが嬉しくて続けたといいます。
武藤敬司 プロレスラーデビュー後
入門から半年後の1984年10月にデビュー。
デビュー戦の相手は蝶野正洋さんでした。
柔道の国体出場経験もあったことから、入門当初からアントニオ猪木さん、坂口征二さん、藤原喜明さんらと互角にスパーリングをする実力と天性の運動神経とルックスから、早くから将来のエース候補と目されました。
1985年11月にアメリカ・フロリダで初の海外遠征を経験しホワイト・ニンジャというリングネームで活動。
1988年、25歳の時に、蝶野正洋さんと橋本真也さんの3人で『闘魂三銃士』を結成。
翌年には武藤敬司さんの悪の化身、グレート・ムタがアメリカデビュー。
ヒール役として活躍しました。
2001年の史上初の六冠王者(三冠ヘビー級王座、IWGPタッグ王座、世界タッグ王座)
2002年に新日本プロレスを退団し、全日本プロレスに入団。
同年10月には馬場元子社長から全日本プロレスの株式を譲り受け、オーナー兼社長に就任。
2013年5月、全日本プロレスの取締役会長を辞職、ならびに選手契約を解除。
2013年7月、新団体WRESTLE-1の旗揚げ。
2021年2月、プロレスリング・ノアに入団。
2023年2月21日、東京ドームで引退試合を行い、プロレス界を60歳で引退しました。
武藤敬司の結婚歴や妻は?
武藤敬司さんが結婚したのは1992年。
30歳の頃の結婚でした。
妻は久恵さん。
年齢は1歳年下。
タレントをしていたことがあるようです。
馴れ初めはプロレスラーの蝶野正洋さんの紹介でした。
久恵さんは蝶野正洋さんの中学の同級生で、プロレスの試合を見に会場にいたところ、武藤敬司さんが一目惚れし、蝶野正洋さんに紹介してもらったそうです
武藤敬司に子供はいる?
武藤敬司さんの子供は2人。
子供は息子と娘です。
1996年に長男の壮司朗さん
2000年に長女の愛莉さん
が誕生しました。
娘の武藤愛莉さんは霧愛(むぅあ)の名前でシンガーソングライター、タレントとして活動をしています。
小学生の時にタレント活動を始め、ジュニアアイドルグループ『MAHARI GIRL’S』(マハリーガールズ)のメンバーとしても活動していました。