大阪府出身の俳優・内藤剛志さん。
大学などの学歴や経歴は?
結婚しているようですが、妻との馴れ初めは?
子供は娘でジブリ?
今回は俳優の内藤剛志さんについてリサーチしてみました。
内藤剛志の学歴・経歴
名前 内藤剛志
生年月日 1955年5月27日
出身 大阪府大阪市
身長 183 m
所属 阪口京子事務所
小学校・大阪市立開平小学校
中学校・大阪市立東中学校
高校・大阪星光学院高校
大学・日本大学芸術学部映画科(中退)
父親、母親の3人家族。
兄弟はなくひとりっ子。
父親はNHKのラジオ、テレビの技術職員。
母親は人形製作の仕事。
幼少期はピアノを習い、NHKの児童劇団にも入っていました。
小学生のときにはNHKのドラマ『横堀川』に子役で出演しています。
中学時代は剣道部と陸上部に所属。
陸上部では走り幅跳びをやっていました。
高校は大阪光星学院高校に進学。
大阪光星学院高校は大阪府大阪市にある私立の男子校。
現在の偏差値は76で大阪でトップクラスの進学校です。
中学からジャズにハマり、高校時代は同じ高校の友人とジャズバンドを結成し、高校の文化祭やジャズ喫茶で演奏していいたそうです。
高校卒業後はプロのジャズミュージシャンを目指し上京し、『飯田ジャズスクール』に入学。
しかし、入学してすぐ、『ジャズミュージシャンでは食えない』と思い、ジャズミュージシャンの道を断念しました。
ジャズスクールを辞めた後、日本大学芸術学部映画学科に入学。
大学入学後は、同級の長崎俊一さんと自主映画の制作を始め、多くの作品で主演を務めました。
大学には映画製作を学ぶために入りましたが、これ、自主制作映画に出演したことがきっかけで俳優を目指すようになり、大学は1年で中退しました。
内藤剛志 連ドラの鉄人に
内藤剛志さんは大学中退後、『文学座研究所』の16期生として入所しました。
1980年11月公開の映画『ヒポクラテスたち』で映画デビュー。
内藤剛志さんは25歳でした。
その後、テレビドラマにも出演するようになり地道に活動しますが、悪役、犯人役が中心でした。
1994年4月から放送された日本テレビ系ドラマ『家なき子』に安達祐実さんが演ずる主人公をいじめる酒浸りの父親役を演じました。
同ドラマは最高視聴率37.2%を記録し、話題作となったことで内藤剛志さんの知名度も上昇。
1995年1月の『味いちもんめ』(テレビ朝日系)から2001年9月の『金田一少年の事件簿』(日本テレビ系)まで27クール(6年9か月・81か月)連続で連続ドラマに出演し日本新記録を樹立。
テレビドラマでは欠かせない存在になり『連ドラの鉄人』と呼ばれました。
以降は刑事ドラマに多く出演しています。
内藤剛志の妻との馴れ初め
内藤剛志さんが結婚したのは1982年。
27歳のときでした。
妻は一般女性で同い年。
馴れ初め・出会いは予備校。
内藤剛志さんが浪人し大学を目指し予備校『代々木ゼミナール』に通っている時に出会いました。
内藤剛志さんは予備校で綺麗な女性2人を見つけ、その1人が後の妻でした。
『いつか仲よくなれたら』と思っていたといい、ある日、書店や交差点で偶然会う機会があり、『一緒に茶、飲もう』と誘い、その後、一緒にジャズ喫茶行にったことで仲良くなり交際に発展したそうです。
内藤剛志の子供は娘でジブリ
内藤剛志さんの子供は娘が1人のようです。
『息子』でも検索されているようですが、内藤剛志さんに息子がいるという情報はありませんでした。
娘は結婚の翌年の1983年8月に生まれました。
2019年7月にトークバラエティ番組『A-Studio』(TBS系)に出演した際、
『(スタジオ)ジブリ』にいるんです、娘は。』
と話しています。
娘は子供の頃から『ジブリ』が好きだったそうです。
『ジブリ』に入りたいと言い出したの中学生の頃だといい、高校生のときにはフリーハンドで描きたいから美大に行きたいといい、そのために『塾に行きたい』といったそうです。
その後、美大を卒業して『ジブリ』に入ったそうです。
娘さんは父親の内藤剛志さんについて『A-Studio』で、『お父さまの好きなところを教えてください。』の質問に、
『適度な距離感で接してくれるところです。「あれをしろ、これをしろ」といわれることも少なく、私がいいようにさせてくれるのでとてもありがたいです。
おかげで、いわゆる「反抗期」もなかったように思います。』
とコメントしました。