東京都出身の俳優・仲代達矢さん。
生い立ち経歴や高校などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚や妻は?
子供は俳優?
今回は俳優の仲代達矢さんをリサーチしてみました。
仲代達矢の学歴・生い立ち・経歴
名前 仲代達矢
生年月日 1932年12月13日
出身 東京都
身長 178cm
所属 仕事
小学校・港区立青南小学校
中学校・北豊島工業学校→東京重機
高校・千歳高校・定時制
大学・進学していません
本名は仲代元久(なかだい もとひさ)
東京目黒区出身。
父親は京成電鉄のバス運転手。
兄弟は姉、弟、妹。
父親の転勤で千葉県の津田沼に住みますが、小学2年生の時に父親が結核で42歳の若さで他界。
小学校4年生の時に東京に出て、母親は洋服店の飯炊きなどをやって家族を養ったそうです。
港区立青南小学校似転入しましたが、生活は非常に貧しく弁当のおかずもなく、母親は教師から、
『ここはあなた方のような貧乏人が来る学校ではない』
と言われたこともあったといいます。
小学生時代に母親を青山に残したまま調布市仙川の寺に一時疎開。
疎開先の学校の先生は、それまで出会った先生方とは全く違い、子供たちと平等に接する先生でだったそうです。
小学校卒業後は北豊島工業学校に進学し、後に東京重機に転校。
どちらも当時の中学校です。
高校は千歳高校・定時制に進学。
千歳高校は東京都世田谷区粕谷にあった男女共学の都立高校。
2002年3月に閉校になっています。
昼間は烏山中学校の用務員として働きなが高校に通いました。
仲代達矢が俳優になったきっかけは?
『生活のために学歴のない社会に飛び込もうとしたら、ボクサーか俳優ぐらいしかありませんでした。』
引用 https://www.j-n.co.jp/
当時は就職難で定時制の高校を卒業してもそうそう仕事はない時代で高校卒業後は、大井競馬場で鑑札を持たない違法な予想屋を取り締まる警備員をしたりしましたが定職には就けませんでした。
ボクサーを目指そうとボクシングジムに入り数ヶ月間通いましたが、殴られるのがどうしても嫌でボクサーは諦めました。
そんなある日、俳優座公演を観劇し感銘を受け、、1952年に俳優座養成所に第4期生として入所。
同期には宇津井健さんや佐藤慶さんなどがいました。
仲代達矢 主演俳優に
俳優座養成所時代に1954年4月公開の映画『七人の侍』のセリフのない町を歩く浪人のエキストラでえいがデビュー。
当時19歳でした。
数秒間のエキストラ出演でしたが、仲代達矢さんは時代劇の歩き方が出来ず、黒澤明監督に『俳優座では歩き方も教えないのか』と言われ、たったワンカットに朝の9時から午後3時までの半日がかりの撮影になり、最終的には『いいや。OK』となったといいます。
1955年、養成所を卒業し俳優座に入団。
同年に舞台『幽霊』のオスワル役で舞台デビュー。
この舞台『幽霊』をを観た女優の月丘夢路さんの推薦で、月丘夢路さんの夫の映画監督・井上梅次さんからオファーされ、1956年公開の映画『火の鳥』に月丘の相手役という大役で本格的に映画デビュー。
1958年1月公開の映画『乾杯!見合結婚』で映画初主演。
1959年から1961年まで六部で総上映時間が約10時間の映画『人間の條件』で主人公・梶に起用。
同年には犯罪者に扮した主演映画『野獣死すべし』も公開されました。
1962年公開の映画『切腹』で、
第13回ブルーリボン賞 主演男優賞
を受賞。
1980年公開の映画『『影武者』』では黒澤明監督との確執で降板した勝新太郎さんのの代役として、急遽主役に抜擢。
同映画は、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞しました。
1982年公開の映画『鬼龍院花子の生涯』では、
日本アカデミー賞 優秀主演男優賞
を受賞しました。
2020年には86歳にして主演映画『帰郷』が公開されました。
仲代達矢の結婚や妻は?
仲代達矢さんが結婚したのは1957年。
24歳の時でした。
妻は俳優座の先輩だった宮崎恭子さん。
年齢は1歳年上。
宮崎恭子さんは結婚後は脚本家となり、舞台演出も手がけました。
1995年夏に体調不良を訴え検査の結果、膵臓がんと判明。
1996年6月27日に65歳で死去しました。
仲代達矢さんあての遺書の一説に、
『あなたは強い人です。これを言えるのは私しかいないから言います。強いからこそ一流なのですが、孤独になります』
とありました。
仲代達也さんは自分に強さがあったとするなら、妻の『宮崎恭子』という相棒がいたからだと話し、妻が亡くなった後には後追い自殺すら考えたといいます。
仲代達矢の子供は俳優?
仲代達矢さんの子供は2人のようです。
2人とも娘で実子ではなく養子です。
1人目は仲代奈緒さん。
1973年12月11日生まれ。
ともにフジテレビのアナウンサーだった山川建夫さん、宮崎総子さん夫妻の長女として生まれましたが、4歳の時に子供がいなかった仲代達矢さん、宮崎恭子さん夫妻の養女になりました。
宮崎恭子は宮崎総子さんの姉。、
仲代奈緒さんは1982年に舞台デビューし、1991年、『きっと忘れない』で歌手デビュー。
近年は朗読劇などを上演しているようです。
『妻が亡くなってからずっとマネージャーとして10年やってきたから、養子としたわけです。』
引用 https://www.jprime.jp/
2019年に2人目の養子がいることが報じられました。