歌舞伎俳優に中村獅童さん。
経歴や学歴は?
再婚しましていますが、妻はどんな人なんでしょうか?
子供は何人?
竹内結子さんとの馴れ初めは離婚理由は?
今回は歌舞伎俳優の中村獅童さんについてリサーチしてみました。
目次
中村獅童の学歴
名前 中村獅童
生年月日 1972年9月14日
出身 東京都
身長 177cm
所属 エイベックス・マネジメント
小学校・明星学園小学校
中学校・明星学園中学校
高校・明星学園高校
大学・日本大学
本名は小川幹弘(おがわ みきひろ)
父親は元歌舞伎役者の初代中村獅童。
祖父は歌舞伎の名女形、三代目中村時蔵。
ひとりっ子。
小学校はお受験し明星学園小学校に入学。
明星学園中学校時代は部活には入っていませんが、ロックに興味を持ち、バンドを結成。
高校は内部進学で明星学園高校に進学。
明星学園高校の偏差値は59。
高校時代もバンド活動に熱中。
ザ・ローリング・ストーンズにハマり、ボーカルとして、ライブハウスでシャウトして歌いまくっていたといいます。
大学は日本大学藝術学部演劇学科に進学。
大学時代もバンドを続けながら、ラーメン屋でアルバイトもしていました。
歌舞伎への憧れが強まり、大学は中退しました。
中村獅童の父親は元歌舞伎役者
中村獅童さんの父親は元歌舞伎役者で初代中村獅童。
父親は10代前半の頃に歌舞伎役者を廃業。
父親は舞台の稽古をしていたとき、大幹部である役者が弟たちに説教し、
『だからお前達兄弟はダメなんだ』
と言ったのを見て、
『だったら俺がやめてやる』
とかつらを投げつけたといいます。
中村獅童さんの祖母である父親の母親は、歌舞伎界ではゴッドマザーといわれるほど一目置かれていた存在だったそうですが、恐縮してその大幹部宅に謝りに行って、息子にもるように説得したらしいですが、二度と歌舞伎の世界に戻ることはありませんでした。
歌舞伎役者を辞めた後は銀行員として働いていましたが、萬屋錦之助さん、中村嘉葎雄さんの弟2人が映時代劇で人気を博した後は、東映に入社し、プロデューサーとなって弟たちのバックアップを行いました。
中村獅童さんが歌舞伎役者になると、二代目中村獅童を襲名させて、息子にのために有限会社中村獅童事務所を設立し、会長として采配を振いました。、
中村獅童の経歴 『後ろ盾』のない歌舞伎役者
歌舞伎役者だった父親は中村獅童さんの生まれりはるか前に廃業。
中村獅童さんは普通のサラリーマンの家庭に生まれました。
中村獅童さんが歌舞伎を初めて観たのは3、4歳のとき。
祖母に連れられて観たそうです。
白塗りとか、隈(くま)取りとか、見たことのないものを見て、最初に楽屋に行ったときは、怖くて押し入れの中に隠れた記憶があるそうです。
その一方で歌舞伎の舞台は大きな太刀を下げて、なんだかチャンバラみたいで面白く。ワクワクもしたといいます。
父親も母親も中村獅童さんに歌舞伎をやらせるつもりはなかったそうです。
歌舞伎に興味を持った中村獅童さんが、自ら祖母に、
『僕も歌舞伎をやりたい』
と頼んだといいます。
祖母の紹介で、踊りと長唄と三味線の稽古を始め、初お目見えは7歳のとき。
父親は歌舞伎役者を廃業していたため、中村獅童さんには番頭や弟子がいなかったので、母親が付き人に代わりになってくれました。
しかし、父親の『後ろ盾』がない中村獅童さんと、父親が有名な歌舞伎役者の御曹司とでは、扱いも違い疎外感も感じていたといいます。
歌舞伎には子役と大人の間の役はもともと少なく、父親が歌舞伎役者を廃業していた中村獅童さんには中学、高校時代はなかなか役が回ってこなくなり、高校時代は開店休業状態だったそうです。
日本大学藝術学部演劇学科に進学後は、ラーメン屋でアルバイトをしていましたが、大学の授業の一環で歌舞伎も見に行ったことで、また歌舞伎をやりたいという気持ちがだんだんと大きくなっていき、19歳のとき、父親に、
『やはり歌舞伎で生きていきたい』
とお願いし、歌舞伎に世界に戻りました。
歌舞伎の世界に戻った後、ある歌舞伎関係者に
『獅童さん、歌舞伎座で主役をとるのは難しいと思いますよ』
と言われ、その人に中村獅童さんは、
『どうすれば歌舞伎でいい役をできるようになりますか?』
と聞いたそうです。
するとその人は、
『とにかく名前を売ってください』
と言ったそうです。
中村獅童 『ピンポン』でブレイク
中村獅童さんは20代半ばぐらいから、現代劇やテレビ番組とかのオーディションをいろいろと受けますが、ことごとく不合格。
映画『ピンポン』のオーディションは新聞で知って応募したそうです。
当時、中村獅童さんは30歳目前でした。
歌舞伎ではなかなか役が付かず、現代劇では無名。
自分のなかでは崖っぷち状態だったといいます。
オーディションには頭をスキンヘッドにして、眉毛もそって、漫画で描かれていたドラゴンになりきって臨み合格。
中村獅童さんが演じたドラゴンは卓球の世界チャンピオン。
撮影前には卓球の練習はもちろん、見た目もチャンピオンらしい肉体にするためジムに通って10キロぐらいぜい肉を落としたそうです。
中村獅童さんはこの役で、
日本アカデミー賞
ゴールデン・アロー賞
ブルーリボン賞
日本映画批評家大賞
毎日映画コンクール
の各新人賞5冠を受賞しました。
以降は多数の映画やドラマに出演するようになり、声優としても活動しています。
中村獅童と竹内結子の馴れ初め
中村獅童さんと竹内結子さんが結婚したの2005年6月。
中村獅童さん32歳、竹内結子さん25歳のときでした。
馴れ初めは映画での共演。
2004年10月公開の映画『いま、会いにゆきます』で出会いました。
撮影は同年の7月頃で、撮影終了後から交際を始め、間もなく中村獅童さんがプロポーズしたそうです。
交際を発表したのは2005年5月。
お互いの公式ホームページで結婚を前提に交際しているを発表。
その1ヶ月後に結婚しました。
中村獅童と竹内結子の離婚理由
中村獅童さんと竹内結子さんが離婚したのは、2008年2月。
結婚生活は約2年半でした。
結婚の翌年の2006年11月には別居仲で、竹内結子さんが、中村獅童さん離婚届を送り、すでに
離協議中であると報道されていました。
離婚理由は
『離婚の直接の理由は獅童の不倫ですが、その背景をめぐっては竹内が歌舞伎役者の妻としての務めを拒んだためとか、長男を歌舞伎役者にすることに反対したためだとか』
引用 https://biz-journal.jp/
と報道されています。
2006年7月、中村獅童さんは酒気帯び運転と信号無視で警視庁に検挙。
事件のとき、助手席には女優の岡本綾が同乗していたことが発覚しました。
同年に11月から離婚協議が始り、1年以上かかったそうで、そのときにもめたのがどちらが親権を持つかだったといわれています。
最終的は竹内結子さんが親権を持つことになりました。
中村獅童の嫁は?
中村獅童さんが再婚したのは2015年1月。
42歳のときでした。
嫁は一般女性で名前は沙織さん。
年齢は12歳年下で、結婚時は会社員の31歳と報じられました。
出会いは5年前。
当時、沙織さんは中村獅童さんのよく行くアクセサリーショップの店員でした。
『穏やかで感じのいい人。すぐに結婚を意識した』
中村獅童さんは沙織さんい惹かれ、店のオープニングパーティーに招待してもらった際に、食事に誘いましたが、3時間たっても彼女は現れず。
実は沙織さんは中村獅童さんに食事に誘われた後、どう断るべきか上司に相談していたのだといいます。
中村獅童さんは、酒の力も手伝い、沙織さんに電話し、駆けつけた沙織さんにいきなり、
『俺と結婚しよう』
とプロポーズするも丁寧に断られ、その後、再びアプローチし、4、5回誘って会ううちに自分のことをわかってもらい、交際に至ったそうです。
交際期間5年を経ての結婚でした。
中村獅童の子供は何人?
中村獅童さんの子供は3人。
3人とも息子です。
竹内結子さんとの息子が1人。
現在の妻との息子が2人。
2005年11月に長男
2017年12月に次男
2020年6月に三男
が生まれました。