京都府出身の元プロレスラー・中西学さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は元プロレスラーの中西学さんについてリサーチしてみました。
中西学の学歴・生い立ち・経歴
名前 中西学
生年月日 1967年1月22日
出身 京都府
身長 186cm
血液型 A型
高校・・宇治高校
大学・・専修大学
家業は宇治茶農園。
兄弟は兄と弟。
中学時代にはいじめにあい、不登校をを経験。
高校は宇治高校に進学。
宇治高校は現在の立命館宇治学校。
京都府宇治市にある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は67。
高校時代にレスリングを始めました。
大学は専修大学に進学。
大学でもレスリング部の入部し、1989年から全日本レスリング選手権大会4連覇を達成。
大学では体育の教員免許を取得。
専修大学卒業後は和歌山県庁勤務し、スポーツ指導員をしながらレスリングを続けました。
中西学 バルセロナオリンピック出場
中西学さんは和歌山県庁勤務しながら、レスリングを続けオリンピックを目指していました。
大学の先輩である長州力さんと馳浩さんに熱心に誘われ、1991年4月に新日本プロレスが1991年に発足したレスリング部門『闘魂クラブ』に入団。
『闘魂クラブ』に入団したのは、地方公務員では同階級の練習相手に恵まれなかったこと、オリンピックを目指すうえで遠征費などを負担してくれることなどが理由。
1992年に社員として働きながら、バルセロナオリンピックフリースタイル100kg級に出場。
結果は2回戦敗退でした。
中西学 新日本プロレスに入門
中西学さんは1992年にバルセロナオリンピックに出場後、同年8月に新日本プロレスに入門。
『オリンピック出場』の肩書きを持つ中西学さんは、破格の待遇でデビューを果たしました。
通常、新日本プロレスの若手選手は前座試合でデビューしますが、中西学さんは入団から約2か月後の1992年10月、いきなり藤波辰爾さんとのタッグで『SUPER GRADE TAG LEAGUE』に出場。
1995年月に若手レスラーの登竜門である『ヤングライオン杯』で優勝。
同年7月にはWWF(現在のWWE)と人気を二分していたアメリカのプロレス団体『WCW』に参戦。
帰国後は1997年には小島聡さんと組んで『IWGPタッグ王座』を初戴冠。
タッグではにキャリアを重ねていきましたが、シングルではなかなか結果を出すことができず、『WGPヘビー級王座』のベルトを手にしたのは、入門から17年目の2009年でした。
しかし、2カ月も経たずにそのベルトを棚橋弘至さんに奪還にされると、2011年6月に試合中にジャーマンスープレックスを受けて動けなくなり緊急搬送。
『中心性脊髄損傷』とと診断され、一時は動くことすらままななりませんでしたが、懸命なリハビリを行ない、2012年10月に復帰戦が実現。
2020年2月引退。
引退の理由について、2011年の負傷以降、首の回復が万全に至らず『歯がゆかった』ことを挙げました。
引退後は家業の茶栽培を手伝いながら新日本プロレスに携わる意向を示しました。
中西学の結婚歴や妻、子供は?
中西学さんの結婚歴は1回、離婚歴が1回のようです。
中西学さんが結婚したのは2000年。
33歳の時でした。
妻は元女優の近藤典子さんという女性。
近藤典子さんは元プロ野球監督近藤昭仁さんと女優の北沢典子さんの次女。
離婚したのは結婚5年目の2005年でした。
中西学さんに子供がいるという情報はありませんでした。
『縁があったらしたいですけれど、僕、本当にクソみたいな男ですから。』
2020年には再婚の意思もあるとコメントしています。