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中田喜子と夫の離婚理由や子供は?趣味のDIYや高校などの学歴や生い立ち・経歴

東京都出身の中田喜子さん。

生い立ち、経歴や高校などの学歴は?

芸能界に入ったきっかけは

離婚歴があるようですが夫との離婚理由は?

子供はいる?

DIYが趣味?

今回は女優の中田喜子さんをリサーチしてみました。

中田喜子の学歴・生い立ち・経歴

名前   中田喜子
生年月日 1953年11月22日
出身   東京都
身長   155cm
所属   ホリプロ

 

中田喜子の学歴

中学校・新宿区立四谷第一中学校

高校・麹町学園女子高校

大学・進学していません

東京都中央区出身。

実家は築市場で蒲鉾などの加工品の仲卸をしていた増田屋。

5人姉妹の末っ子で一番上の姉とは8つ違い。

長女、次女は双子。

三女は元宝塚の京かおるさん。

京かおるさんが増田屋を継いでいましたが築地市場移転問題で廃業していています。

母親の趣味は日本舞踊で中田喜子さんも習っていました。

小学6年生まで住んでいた家は当時としては珍しい木造3階建ての一軒家。

2人のお手伝いさんがいて3階にはお手伝いさんの部屋や住み込みの従業員の部屋があったそうです。

その後は港区の青山に土地を買って一軒家を建てて引っ越しました。

中学校は新宿区立四谷第一中学校、高校は麹町学園女子高校を卒業。

麹町学園女子高校の東京都 千代田区にある私立高校。

現在の偏差値は53。

高校時代に芸能活動を始め、高校卒業後は女優の道に進みました。

中田喜子が芸能界に入ったきっかけは?

中田喜子さんは中学生の時にスカウトされました。

高校生の時に日活のテレビ部が作った養成所に所属し1971年5月、17歳の時に『白い汽車』で歌手デビュー。

1972年5月から放送されたフジテレビ系時代劇『お祭り銀次捕物帳』で女優デビュー。

『高校生のとき、日活のテレビ部が作った養成所に所属して1年間だけ女優の仕事をしていました。』

引用 https://wendy-net.com/

養成所に通っていたのは週1日、日曜日だけでしたがテレビの仕事が増え撮影で学校を休まなければいけなくなったため、学業に専念するために養成所の仕事を休み、高校卒業後に改めて事務所に所属したそうです。

1972年5月、『仮面ライダー』に出演。

1974年4月から放送されたTBS系昼の帯ドラマ『やっちゃば育ち』でヒロインを務め本格的に女優デビューしました。

1979年4月から1988年3月までの9年間、NHKのクイズ番組『連想ゲーム』に5代目紅組キャプテンで出演。

『渡る世間は鬼ばかり』では三女の文子を20年以上演じました。

中田喜子の夫との離婚理由や子供は?

中田喜子さんが結婚したのは1979年。

25歳の時でした。

夫は12歳年上の広告製作会社社長。

離婚したのは2007年で結婚生活は28年でした。

離婚が報じられたのは5年後の2012年。

離婚の理由は夫の浮気でした。

妻として夫の過ちを許すことが出来ず、関係を修復するこが出来なかったそうです。

中田喜子さんは2012年の週刊誌のインタビューで、

『私がどうしても許せなかったんでしょうね。許してあげれば良かったのに』

と話しています。

慰謝料などはなかったといいます。

子供はいませんでした。

中田喜子の趣味はDIY

中田喜子さんの趣味はDIYで、ハマったのは20代前半。

ヨーロッパに仕事で行った際に若い夫婦の自宅で手作りのキッチンを見せてもらったことがきっかけだったそうです。

『お金をかけずにここまで立派なものが作れるんだ』

と驚いたといいます。

中田喜子さんは母親に家は借りるのでではなく買いなさいと言われていて、22歳の時にはにマンションを購入していて自宅は賃貸ではなかったため帰国後、すぐに壁紙を張り替えるなど手探りでDIYを開始。

初めての壁紙の張替えは上手くいって、みんなに褒められたことからさらにやる気になったそうです。

その後はイニングチェアーの座面やソファーの張り替えもやり、汚れた木製の家具にやすりをかけてきれいに塗り直したり、30代になると家の壁の左官までやったといいます。

2週間かけて一軒家の壁を全部塗ったそうです。

2012年にはDIYの本も出版しています。

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