中谷美紀さんは東京都出身の女優。
学歴や経歴は?
結婚した旦那のティロ・フェヒナーさんとはどんな方なんでしょうか?
出会いや馴れ初めは?
子供は?
今回は女優の中谷美紀さんについてリサーチしてみました。
目次
中谷美紀の学歴・経歴
名前 中谷美紀
生年月日 1976年1月12日
出身 東京都東村山市
身長 160cm
所属 ジーアールプロモーション
中谷美紀さんは東京都東村山市出身。
4人兄弟の長女で、下は妹が2人と弟が1人。
小学校・東村山市立化成小学校
中学校・東村山市立第七中学校
高校・代々木高校
専門学校・赤堀栄養専門学校
子供の頃の中谷美紀さんはおとなして人見知り、人前で何かすることは苦手だったといいます。
1990年中学3年生の時に東京・原宿の表参道で電話ボックスから電話していたところスカウト。
事務所に所属しましたが、中学時代はレッスンが中心で芸能活動はあまりしていなかったようです。
中谷美紀さんが代々木高校は東京都渋谷区にあった男女共学の公立校。
午前、午後、夜間の三部からなる定時制課程のみ高校でした。
2004年4月にに東京都立世田谷泉高等学校として統合され閉校になりました。
木村拓哉さんや中居正広さんなども卒業生で当時は、芸能人も多く通っていたようです。
高校卒業後は赤堀栄養専門学校に進学し、栄養士の資格を取得したようです。
中谷美紀 芸能界デビュー
中谷美紀さんは中学3年生でスカウトされ、レッスン。
中谷美紀さんはスカウトされて芸能界入りしましたが女優になりたいという夢を持っていたわけではなかたといいます。
「成り行きと言いますか…アルバイト感覚で始めて、こんなに長く続けるはずではなかったんです」
引用 https://www.crank-in.net/
1991年、テレビ朝日系「桜っ子クラブ」内のアイドルグループ・桜っ子クラブさくら組の一員として活動を開始。
1993年まで「桜っ子クラブさくら組」として活動しました。
同年4月、フジテレビ系ドラマ「ひとつ屋根の下」で女優デビュー。
同年12月にはシングル「あなたがわからない」をリリースし歌手デビュー。
同年から出演した「ENEOS」のCMで顔を知られるようになりました。
1997年3月、「中谷美紀 with 坂本龍一」名義でリリースした「砂の果実」がオリコントップ10入りし累計33万枚売り上げました。
1998年1月に公開された映画「リング」の高野舞役で話題となり、配給収入は10億円。
翌年の1999年1月に公開された「リング2」では主演を努め、配給収入は21億円を記録しました。
同年、TBS系ドラマ「ケイゾク」でドラマ初主演し最高視聴率15.7%。
2003年1月公開の映画「壬生義士伝」に出演し、
第27回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞
を受賞。
2006年5月公開の主演映画「嫌われ松子の一生」の演技で、
第30回 日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞
第31回報知映画賞 主演女優賞
第80回キネマ旬報ベスト・テン 主演女優賞
第61回毎日映画コンクール 女優主演賞
第1回アジア・フィルム・アワード 主演女優賞
などを受賞。
中谷美紀の結婚した旦那は?
中谷美紀さんが結婚したの2018年11月。
旦那は8歳年上のドイツ人ビオラ奏者・ティロ・フェヒナーさん。
交際期間は2年ぐらい。
ティロ・フェヒナーさんは1968年、ベルリンの音楽一家に生まれました。
ベルリン芸術大学およびジュリアード音楽院に学び、1991年、PMF参加のため初めて日本を訪れました。
1996年、スイス・ロマンド管弦楽団に入団。
2004年ウィーン国立歌劇場管弦楽団の楽団員となり、2005年よりウィーン・フィルに正式入団。
2007年からはウィーン・フィル公認の凄腕アンサンブル、「フィルハーモニクス」のメンバーとして活動を開始。
現在は3つの楽団に所属しているようです。
ティロ・フェヒナーさんの趣味はロードバイクやマウンテンバイク、登山やスキーなどアクティブなものから、美術館巡りなども好きなようです。
中谷美紀と旦那との馴れ初めは?
中谷美紀さんと旦那のティロ・フェヒナーさんが出合ったのは2016年。
場所は日本のしゃぶしゃぶ店。
旦那さんが日本に公演に来ていたとき、偶然同じ店で食事をしていたそうです。
中谷美紀さんは仕事帰りでひとりで食事に来て誰とも会いたくないぐらいの気持ちだたといいます。
中谷美紀さんのティロ・フェヒナーさんの第一印象は
「ロシアのマフィア」
男性2人と女性1人の3人でしゃぶしゃぶを食べにきていて、ものすごく美しいく、髪の毛が長く、背も高くて足の長い女性がと一緒にいたそうです。
中谷美紀さんは1人、ティロ・フェヒナーさんは3人でたまたま食事に来てた、会ったこともない赤の他人です。
話すきっかけになったのは中谷美紀さんの携帯がなったこと。
中谷美紀さんの携帯が鳴ってしまい、他にお客さんもいなく静かだったため、中谷美紀さんが謝ったことから会話が始まったといいます。
中谷美紀さんはこの時に携帯がなってなければ、結婚はしていなかったと話しています。
声をかけたのは、旦那さんと一緒にいた男性。
旦那さんはそういうところで声をかけるタイプではないそうです。
中谷美紀さんは聞きなれない言葉だったため、
「何語ですか?」
と聞いたところ相手は、
「オーストリアのザルツブルグからきました。」
中谷美紀さんはザルツブルグに行くのが夢だったそうで、そのことを話したら、女性に席が空いているので良かったらどうぞと言われ、一緒に食事をしたといいます。
1時間ぐらい食事をした後、旦那さん達が夜景の見えるBARに行きたいといい、中谷美紀さんが知ってる店を案内したそうです。
最初は中谷美紀さんは知らない人達だったので、警戒し水だけを飲んでいたそうですが、話が弾みいい人達だとわかり、ワインも飲み、結局深夜1時ぐらいまで飲んだといいます。
その後、コンサートに招待されましたが、中谷美紀さんはすぐニューヨークに行く予定だったため断り、
「もし来年来ることがあったらまた教えてください」
と話し連絡先を交換。
数日後、ニューヨークにいる中谷美紀さんにティロ・フェヒナーさんから、
「金沢に行くので、寿司屋を教えてほしい」
と連絡があったそうです。。
中谷美紀さんはたまたま知り合いの寿司職人がいたので紹介しましたが、「金沢」は聞き間違いで旦那さんがいたのは「軽井沢」でした。
SNSで連絡を取り合っていましたが、なぜか中谷美紀さんの送ったメッセージが届かないなどトラブルがあり、中谷美紀さんは、
「申し訳ないので、お寿司ご馳走します」
と話し一緒にお寿司を食べたそうです。
この食事が実現したのも偶然で、旦那さんの所属する3つの楽団が同じ年に日本で公演があったために長期滞在だったことで、ニューヨークから帰国した中谷美紀さんと再び会えて食事ができたそうです。
結婚式は挙げていないそうです。
ドイツ人と日本人なため、どちらの国で式を挙げても、参加者の交通費がかかってしまうことが式を挙げない理由だと中谷美紀さんは話しています。
夫婦別姓のため名前は変わっていません。
中谷美紀さんは自分の名前にカタカナが入るのがしっくりこなかったそうで、外国人配偶者の特例で夫婦別姓が選べたので、中谷美紀さんが選んだそうです。
旦那さんも夫婦別姓には何の不満もなようです。
中谷美紀は結婚するつもりはなかった?
中谷美紀さん結婚するつもりはなかったと話しています。
私は結婚が全てだとは全く思っていなかったので。結婚するつもりもなかったですし、おそらく相手もそうだったと思うんですけど、何となく、自然な流れで」
引用 https://www.sponichi.co.jp/
中谷美紀さんは結婚したの予想外だとも話し、結婚した理由は、
「ビザの問題」
オーストリアと日本を行き来するうち、ビザの問題で生活に支障が出たそうです。
オーストリアの長期の滞在許可を得るのは難しく、いろいろと検討した結果、結婚して配偶者ビザを手に入れることが一番簡単だったそうです。
中谷美紀さんは、自分たちが望む生活をするためには結婚しか方法がなかったというのが正直なところだと話しています。
中谷美紀はオーストリア暮らし
中谷美紀さんが住んでいるのは、ザルツブルグ近郊のようですが、山の中の田舎だといい、1年の半分ほどオーストリアで生活しているそうです。
近所のレストランなどはなく、テイクアウトできる店もないそうで、食料品などの買い物は車で30分かけていくそうです。
車の免許はオーストリアに行き始めてから、取ったため、当初は20キロぐらいしかだせず、運転に苦労したといいます。
日曜日にはほとんどのスーパーや飲食店は休み。
最初は日曜日に店が閉まるのを忘れて、買い物を忘れ、日曜日に食べるものがないこともあったそうです。
オーストリアの公用語はドイツ語。
中谷美紀さんは英語は話せるようですが、ドイツ語はわからず、最初は肉屋で肉を買うと時は、鶏の鳴き声をしたり、豚の泣き声をしたりして欲しいもの伝えて買っていたといいます。
中谷美紀の子供は?
中谷美紀さんとティロ・フェヒナーさんに間に子供はいません。
ただ、ティロ・フェヒナーさん初婚のようですが、中谷美紀さんと出会う数年前に別れた元パートナーとの娘がいます。
中谷美紀さんはその娘を「J」と紹介していいます。
娘のJと初めて出合った時は4歳だったそうです。
娘のJは普段は元パートナーと生活していますが、週1~2回は中谷美紀さんとティロ・フェヒナーさんが生活している家で過ごしているそうです。
中谷美紀さんがドイツ語の勉強を始めた理由の1つは娘のjの存在があったそうです。
娘と4歳で出会った頃はまだボキャブラリーもそう多くはなくなんとかコミュニケーションを取れましたが、大きくなるにしたがい、娘のえたいことを理解してあげられなくなり、もどかしい思いを感じたそうです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。