神奈川県出身の女優・波乃久里子さん
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
女優デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供はいる?
今回は女優の波乃久里子さんをリサーチしてみました。
波乃久里子の学歴・生い立ち・経歴
名前 波乃久里子(波乃久里子)
生年月日 1945年12月1日
出身 神奈川県
身長 159cm
血液型 O型
所属 株式会社ディーピーエヌ
小学校・白百合学園小学校
中学校・東京家政学院中学校
高校・・東京家政学院高校
大学・・大学には進学していません
神奈川県鎌倉市出身。
本名は波野久里子(読み同じ)。
父親は歌舞伎役者の17代目・中村勘三郎さん。
歌舞伎一家の長女で、兄弟は妹と弟。
弟は18代目・中村勘三郎さん。
父親には甘やかされて育ち、反対に母親は厳しかったそうです。
小学校は白百合学園小学校を卒業。
白百合学園小学校は、東京都千代田区九段北二丁目にあるカトリック系の私立女子校。
名門のお嬢様学校です。
中学校は東京家政学院中学校、高校は東京家政学院高校を卒業。
東京家政学院中学校・高校は、東京都千代田区三番町にある私立の女子校。
東京家政学院高校の現在の偏差値は55。
お嬢さま学校で、『ごきげんよう』とあいさつするそうです。
高校卒業後は、大学には進学していません。
波乃久里子がデビューしたきっかけは?
『15歳のときに作家・川口松太郎さんの勧めで「劇団新派」に参加することになった波乃さん。』
引用 https://post.tv-asahi.co.jp/
初舞台は1950年1月の東京劇場『十七世中村勘三郎襲名披露初春大歌舞伎』。
4歳の時でした。
この舞台は父親が娘の波乃久里子さんを舞台に出したくて、それまでは男の小姓だったのを、女小姓にして出演させたそうです。
以降も歌舞伎の舞台には立っていましたが、女性は大人になると歌舞伎には出演できなくなりますが、女性が歌舞伎に出られるギリギリの年齢まで出演していました。
『このまま歌舞伎にいたら15で終わっちゃうじゃないか。新派に来ないか』
15歳の時に舞台を観に来た作家・劇作家で劇団新生新派主事も務めた川口松太郎さんに勧められ、1962年4月の16歳の時に『劇団新派』に入団しました。
『水谷八重子さんの舞台を見て魅了された波乃さんは、水谷八重子さんがいるというだけで参加することに決めたという。』
引用 引用 https://post.tv-asahi.co.jp/
波乃久里子さんは『劇団新派』についてはよく知りませんでしたが、所属していた初代の水谷八重子だけは知っていて、舞台を観て天女みたいに美しい人と思い、演劇雑誌に載っていた水谷八重子さんの写真を夢中で集め、スクラップブックに貼っていたそうです。
本格的に女優の道に進むことを決めた時、父親の17代目・中村勘三郎さんには、
『やるなら一生やれ』
『親の七光があるのは幸せなことだから、愚痴は言うな』
と言われたそうです。
波乃久里子 女優デビュー後
1962年4月に『劇団新派』入団後は、陰口をたたかれ、泣いたこともあったそうで、そのことを父親に言うと、
『お前がいじめているんだよ。後に入ったお前がいい役がついて看板にも名前が出るんだから、お前がいるということは、お前が皆をいじめているんだよ』
と言われたといいます。
後に波乃九里子さんは、
『私でも(陰口を)言っていると思いますよ。私みたいなのがいたらね(笑)』
と話しています。
1964年の大河ドラマ『赤穂浪士』のお妙 役でドラマデビュー。
1967年6月公開の映画『関東も広うござんす』で映画デビューしました。
舞台を中心に活動していますが、ドラマでは時代劇に多く出演し、大河ドラマには2000年の『葵 徳川三代』までで6作に出演しています。
2011年に紫綬褒章を、2016年に旭日小綬章を受章しました。
波乃久里子の結婚歴や夫、子供は?
波乃久里子に結婚歴はなく、夫、子供はいません。
2018年5月にTOKYO MX『5時に夢中!』に出演した際に、MCのふかわりょうさんに、
『波乃さんは結婚を考えたことはないんですか?』
と聞かれ、
『結婚だけは考えたことないですね』
と答え、結婚しない理由については、
『父に「一緒のお墓に入ろう」と言われたんです。(本名の)波野家の名前はなくせないと』
と明し、その上で、
『(波野の名前を守るためには)養子を取らなきゃいけないんですけど、ウチは貧乏だったから。養子は貧乏人の所には来ないでしょ。すみませんね』
と話しました。