神奈川県横須賀市出身の女優・名取裕子さん。
現在ほ独身ののようですが、結婚歴や夫屋子供は?
高校、大学などの学歴や経歴は?
今回は女優の名取裕子さんについてリサーチしてみました。
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名取裕子の夫や子供や結婚歴
名取裕子さんに結婚歴はなく独身で、夫も子供もいません。
名取裕子さんは結婚しないと決めているわけではなく、
『(年下が好み?と聞かれ)年下とか、どんなタイプが好きとか、そんなことはもう言ってられない(笑)。結婚だけがすべてじゃないけど、チャンスがあれば、ぜひ!』
引用 https://www.sanspo.com/
と2017年に話しています。
一緒にいて楽しい時間を過ごせる相手ができればいいとも話していました。
名取裕子は熱愛歴は?
名取裕子さんは結婚歴はなく、ずっと独身ですが過去に結婚したいと思った人もいて、プロポーズされた経験もあると話しています。
結婚に至らなかった理由はタイミングで、やいたい仕事があったして、結婚に踏み切れなかったそうです。
名取裕子さんの熱愛についてネットで調べてみると、松任谷正隆さんや田村正和さんの名前が出てきますが、いつ頃でどのように報道されたかの正確な情報はありませんでした。
名取裕子と宅麻伸さと関係は?
名取裕子さんの結婚で検索に名前が出てくるのは宅麻伸さん。
これは名取裕子さんと宅麻伸さんがテレビ朝日系のドラマ『法医学教室の事件ファイル』で1992年から長年夫婦役を演じているのが理由です。
名取裕子さんは法医学者・二宮早紀、宅麻伸さんは夫で刑事の二宮一馬を演じています。
『法医学教室の事件ファイル』は1992年と1993年に連続ドラマとして放送され、以降は2時間ドラマで放送されています。
2時間ドラマは毎年1本~2本制作され、2020年5月には47作目が放送され、この放送で結婚30周年の真珠婚式を挙げ、壮大に真珠婚式を開き、名取裕子さんと宅麻伸さんが純白のウエディングドレス&タキシード姿になりました。
このことで、このシーンが放送されたことで、名取裕子さんの結婚が多く検索されたようです。
名取裕子の高校、大学などの学歴や経歴
名取裕子さんは1957年8月18日生まれ。
神奈川県横須賀市出身。
父親は車両製造会社の会社員。
兄弟は2歳年上の兄。
実家は海が一望できる山の上にあり、多いときは3世代、13人の大家族出育ちました。
小学2年生のときお、横須賀市から座間市に引っ越し。
中学は座間市立座間中学校
中学時代はテニス部に所属しキャプテンを務めました。
名取裕子さんが14歳のとき、母親が直腸がんのために46歳の若さで他界。
母親の死後は名取裕子さんが炊事、父親が掃除と家事を分担していましたが、父親が1年後に再婚。
初婚だった継母とは、若い頃はうまくいかなかったといいます。
高校は厚木高校
厚木高校は神奈川県厚木市にある男女共学の県立高校。
県内屈指の進学校で偏差値は69
俳優の六角精児さんも卒業生、姉も同校の卒業生で、名取裕子さんの同級生だったそうです。
高校時代もテニス部に所属。
高校時代から美貌は健在で、学校内には男子生徒の名取裕子ファンクラブがあったといいます。
大学は青山学院大学文学部日本文学科に進学。
名取裕子さんは、将来はコピーライターになりたいとも思っていたといい、サークルは広告研究会に所属。
名取裕子さんの芸能界入りにきっかけは、大学1年のときの夏のコンテスト。
サークルの馴染みの広告マンに頼まれ、三浦友和さんの相手役を募集する『カネボウ・サラダガールコンテスト』に1年生の女子全員が応募したところ、名取裕子さんは準優勝。
優勝は古手川裕子さんでした。
1976年10月、19歳のとき、毎日放送制作のドラマ『愛と憎しみの宴』で女優デビュー。
1977年4月、TBS系の昼ドラマ『おゆき』で主演・おゆき役を務め、ドラマ初主演。
1979年10月、TBS系の学園ドラマ『3年B組金八先生』で美術担当教師・田沢悦子役で知名度を大きく上げました。
1980年代からは松本清張作品にドラマ、映画合わせて17本に出演し『清張女優』と呼ばれました。
その後は、テレビ朝日系の『京都地検の女シリーズ』『法医学教室の事件ファイル』に主演し、片平なぎさんに次ぐ『2時間ドラマの女王』と称されました。
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