岡山県出身の俳優・西田健さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
ウルトラマンに出演?
かつらを取ったきっかけは?
結婚歴や妻、子供は?
今回は俳優の西田健さんをリサーチしてみました。
西田健の学歴・生い立ち・経歴
名前 西田健
生年月日 1945年6月24日
出身 岡山県
身長 174cm
血液型 B型
高校・・雪谷高校
大学・・早稲田大学文学部
祖父、父親は早稲田大学卒の実業家で、日本統治時代の朝鮮の江原道で、新聞社、石炭販売、保険代理店、養蚕業など多くの会社を経営していました。
裕福な資産家の三男として朝鮮・江原道出生まれましたが、生後間もなく日本の敗戦によって一家は財産の住めてすべてを失い岡山に引き上げ、西田健さんが3歳の時に東京に移りました。
生活は貧しかったといい、唯一の楽しみは2人の兄に連れられて行く映画だったといいます。
高校は雪谷高校を卒業。
雪谷高校は、東京都大田区久が原にある男女共学の都立高校で、現在の偏差値は59。
1913年に女子実業補習学校として開校した学校で、1949年に男女共学になりました。
高校卒業後は、早稲田大学文学部演劇専修科に入学しましたが、当時は大学の授業料値上げ闘争で、ほとんどがロックアウト状態で授業を満足に受けられる状態ではなかったそうです。
大学の同級生には長塚京三さん、逸見政孝さん、学部違いで吉永小百合さんがいました。
大学は卒業せず中退しています。
西田健 帰ってきたウルトラマン
大学入学後、日本テレビのプロデューサー井原高忠さんの個人秘書という形で働くようになり、深夜番組『11PM』などの代フロアーアシスタントを務めました。
その後、井原高忠さんの知人の紹介で、劇団雲に入団し俳優の道に進み、1975年の劇団雲の分裂後は演劇集団 円に所属。
当初、劇団では与えられる役は端役ばかりだったといい、そのためテレビドラマに活路を見出し、1971年から放送された『帰ってきたウルトラマン』に岸田文夫隊員 役で出演。
同ドラマでは存在感を示し、主役のた団時朗さんに匹敵する多くのファンレターが届いたといいます。
当時、26歳でした。
その後は、『特捜最前線』や『Gメン’75』などの刑事ドラマや時代劇でも名バイプレーヤーとして活躍しました。
西田健がかつらを取ったきっかけは?
西田健さんがいつからカツラを着用していたかは不明ですが、カツラを取ったの還暦前の59歳の時でした。
2004年10月からレギュラー出演している『新・京都迷宮案内』シリーズで、それまで着用していたカツラを外して出演しました。
『新・京都迷宮案内』で4歳年上の橋爪功さんと9歳年上の野際陽子さんの上司役を演じることのなり、年上感を出すためにはカツラを取るしかないと決断したそうです。
野際陽子さんは驚いたそうですが、演劇集団 円で一緒で以前から知っていた橋爪功さんは、
『こいつハゲですよ!前からハゲですよ!』
と言っていたといいます。
それまでの俳優としてのイメージを大きく変えてしまう決断でしたが、その後は個性派俳優としてさらに演技の幅を広げることに成功しました。
西田健の結婚歴や妻、子供は?
西田健さんに結婚歴はなく、独身で子供もいないようです。
1986年に女優の松尾嘉代との交際と結婚の可能性がスポーツ新聞で報じられていたようですが、結婚はしていないようです。