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西田敏行の生い立ちや俳優になったきっかけは?妻は元女優で子供は娘!

西田敏行の生い立ちや俳優になったきっかけは?妻は元女優で子供は娘!

大河ドラマで主演を務め、映画? 映画「釣りバカ日誌」シリーズでも親しまれた俳優の西田敏行さん。
幅広い人気を集めた西田敏行さんの生い立ちや俳優になったきっかけは?
妻は元女優で子供は娘ですが、妻はどんな人?
この記事は西田敏行さんの生い立ちや俳優デビューしたきっかけ、妻、子供などについてリサーチしています。

西田敏行の生い立ち・経歴

西田敏行のプロフィール

名前   西田敏行
生年月日 1947年11月4日
没年月日 2024年10月17日(76歳没)
出身   福島県
身長   166cm
血液型  B型
所属   オフィスコバック

福島県郡山市出身。
為替貯金局に勤務する地方公務員の父親の今井泉さんと美容師の母親の紀惠さん間に誕生。

幼少期に父親は他界し、その後、母親が再婚することになったことで、5歳の時に母親の姉夫婦に養子に出され、西田性になりました。

養父の西田辰治さんは郡山市役所に勤務。
家族は3人は神社の社務所に住み、子供の頃は神社の境内が遊ぼ場でチャンバラに熱中。
養父は映画好きで一緒に多くの映画を観たといいます。

通っていた郡山市立小原田小学校は、住んでいた神社の真横にあり、授業開始のチャイムなってからでも間に合う近さでした。
郡山市立小原田中学校時代はバレーボール部に所属。

中学卒業後は上京し、高校は明治大学付属中野高校(偏差値70)に入学。
高校には親戚の家に下宿して通学し、高校時代もバレーボール部に所属していました。

なまりを笑われホームシックになると、毎週上野動物園のゴリラのプルプルに会いに行き、なんとなく心が通じ合う気がして「すくわれましたね」と話しています。

高校卒業後は明治大学・農学部に進学しましたが1年生の時に中退しました。

西田敏行が俳優になったきっかけ

西田敏行さんは俳優になろうと思ったのは、養父の影響だといいます。

『これはもう、100%父親の影響ですね。』
引用 https://www.cpra.jp/

映画好きだった養父に毎週末、映画の連れて行ってもらい演技に興味を持ち、小学校の演劇クラブに入り、小学5年生の時には俳優になりたいと思っていました。

中学でも演劇部の入ろうと思いましたが、女子部員だけだったので入部を断念。

それでもj俳優になりたいという思いは変わらず、さらに、「このまま福島にいたら標準語がじゃべれなくなるんじゃないか」という危機感を感じ、両親に相談すると応援してくれ、中学卒業後は上京し明治大学付属中野高校に進学。
高校時代は男子部員がいなかった演劇部の女子に誘われて、協力する形で演劇部に参加。

明治大学と入学と同時に日本演技アカデミー夜間部にも入学。
大学中退後は、夜間部か昼間部に映って演技を学び、1967年に仲間と劇団を結成しましたが失敗。
同年4月にテレビドラマ『渥美清の泣いてたまるか』(TBS)で俳優デビューしました。

大河ドラマ3作で主演

西田敏行さんは1968年に青年座俳優養成所に入所し、1970年に劇団青年座に入団。
同年7月に初舞台を踏み、翌年の1971年10月の舞台『写楽考』では主役に抜擢。

1976年のドラマ『三男三女婿一匹』(TBS)で注目され、1978年の『雲を翔びこせ』(TBS)の渋沢栄一役でドラマ初主演。
1980年4月から放送された主演ドラマ『池中玄太80キロ』(日本テレビ)でブレイク。

1981年4月から『池中玄太80キロ』第2シリーズが放送され、挿入歌として西田さんが歌った『もしもピアノが弾けたなら』もオリコン4位の大ヒットを記録。
同年末の第32回NHK紅白歌合戦にも初出場しました。

大河ドラマには1972年の『新・平家物語』から、2022年の『鎌倉殿の13人』まで、出演作品数は計14作。
1990年の『翔ぶが如く』で初主演を務め、1995年『八代将軍吉宗』、2000年『葵 徳川三代』せも主演を務めました。
大河ドラマの主演3回は最多となります。

妻は元女優の

西田敏行さんの妻はは4歳年下でも元女優の寿子(としこ)さん。
寿子さんは西田さんも所属していた劇団『青年座』の元女優でした。

寿子さんが研究生として入って来たことで出会い、西田さんは一目惚れ。
猛アプローチの末に交際をスタートさせ、数か月後にには寿子さんのアパートで同棲を開始。

同棲をきっかけに寿子さんは劇団を辞め、西田さんのサポートに徹し、下積み時代には喫茶店やブティック、スナックなどのアルバイトを掛け持ちして生活を支えてくれたといいます。

1976年に子供が誕生後、世田谷区内の家賃35,000円・2Kのアパートに引っ越し、その1年後の1977年には4000万円のマイホームを購入しました。

子供は2人

西田敏行の子供は娘が2人。

1976年に長女の彩夏さん、1977年に次女の梨沙さんが誕生しています。

長女が誕生した時、西田さんは寿子さんに「育児が一段落したら女優の勉強を再開してもいいんだよ」と言いましたが寿子さんは断ったといいます。

西田さんと娘は幼少期にはCMなどで共演し、一緒にメディアに出演したこともあったようですが、結局、2人の娘は芸能界にには進まなかったようです。

孫がいるとの情報はありませんでした。

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