滋賀県出身の歌手・西川貴教さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は歌手の西川貴教さんをリサーチしてみました。
西川貴教の学歴・生い立ち・経歴
名前 西川貴教
生年月日 1970年9月19日
出身 滋賀県滋賀県野洲郡野洲町(現・野洲市)
身長 161cm
血液型 A型
所属 ディーゼルコーポレーション
小学校・野洲市立三上小学校
中学校・野洲市立野洲中学校
高校・・・野洲高校
大学・・・大学には進学していません
専門学校・大阪スクールオブミュージック
父親は滋賀県庁に勤務する公務員、母親は市民病院に勤務する共働きで、近所に住む母方の祖父母に幼稚園の頃から預けられていました。
妹が2人いる3人兄弟の長男。
幼少期は人見知りでした。
小学校は野洲市立三上小学校を卒業。
小学生の時には剣道を習っていました。
中学校は野洲市立野洲中学校を卒業。
中学時代はハンドボール部に所属していました。
高校は野洲高校に進学。
野洲高校は、滋賀県野洲市行畑にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は39。
サッカーの強豪校で2006年には 第84回全国高等学校サッカー選手権大会では優勝。
多くのプロサッカー選手を輩出しています。
高校時代にはバンド活動をしていて、髪の毛を伸ばすなど校則違反で教師と揉めて、高校は2年で中退しています。
高校中退後は、大阪スクールオブミュージック専門学校の高等課程に入学しましたが、デビューが決まり中退しました。
西川貴教のデビューのきっかけは?
西川貴教さんが小学生高学年の時、大好きだった祖父が病気で他界。
ショックを受けていた頃にFMラジオから流れていた洋楽を聞き、心を救われ音楽に興味を持ちました。
中学の時バンドを組むことになり、『暇そうだからやってよ』とボーカルをすることになったのが歌うことのきっかけでした。
『上手いね!』と言ってくれる人もいて、バンド活動に熱中し、高校は退学。
大阪スクールオブミュージック専門学校に入学後、そこで知り合ったメンバーと1989年にバンド・Luis-Maryを結成。
1991年1月にインディーズデビューしました。
西川貴教 デビュー後
バンド・Luis-Maryは1991年7月にメジャーデビュー。
3枚のシングルと3枚のアルバムをリリース後。1993年にLuis-Maryは解散。
1996年5月にソロでT.M.Revolutionとしての活動を開始し、シングル『独裁 -monopolize-』でデビュー。
1996年11月の3作目のシングル『HEART OF SWORD ~夜明け前~』がフジテレビ系アニメ『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』エンディングテーマに起用され、自身初のアニメタイアップとなり、西川貴教さんもアニメ本編に、煉(大蛇の煉)役で声優として出演しました。
オリコンチャートは16位でしたが、て46週に渡りチャートインするロングセラーとなり、累計売上は36.6万枚。
1997年7月の5作目のシングル『HIGH PRESSURE』がオリコンチャート4位になり、自身初のトップ10入り。
同年10月の6作目『WHITE BREATH』が初の1位になり、100万枚を超える売り上げを記録し、同年末の第48回第48回NHK紅白歌合戦に初出場。
紅白歌合戦には、2016年までで7回出場しています。
西川貴教の結婚歴や妻は?
西川貴教さんの結婚歴は2回。
最初の結婚は1999年4月で、28歳の時でした。
妻はポップデュオ・PUFFYの吉村由美さん。
年齢は5歳年下。
共通の友人の相川七瀬さんと、3人で会ったことがきっかけで知り合い、交際がスタートし結婚に至りましたが、わずか3年後の2002年に離婚しました。
離婚の理由については、2018年3月に出演したテレビ番組で、
『同じ音楽をやってて、若かったのもあったから、良かれと思って色々意見し合ってて、だったら友達同士に戻った方がいいねって』
と話しました。
西川貴教の再婚した妻は?
西川貴教さんは2020年8月に、49歳で再婚。
妻は元フリーアナウンサーの伊藤紗治子さんで、年齢は23歳年下。
結婚時は26歳でした。
伊藤紗治子さん近畿大学文芸学部卒業で、2年生の時にミス近畿大学2013に選出。
大学卒業後の2016年7月から『セント・フォース関西』所属タレント1期生として活動を開始し、2019年まで所属していました。
馴れ初めは明らかにされていませんが、2人は2017年頃に毎日放送のラジオ番組『ザ・ヒットスタジオ』に出演曜日は違いますが出演していて、このことが馴れ初めではないかと言われているようです。
西川貴教に子供はいる?
西川貴教さんに子供がいるという情報はありませんでした。(2023年5月現在)