出身の元マラソン選手・野口みずきさん
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
マラソンを始めたきかっけは?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
今回は元マラソン選手の野口みずきさんをリサーチしてみました。
目次
野口みずきの学歴・生い立ち・経歴
名前 野口みずき
生年月日 1978年7月3日
出身 三重県
身長 150cm
血液型 O型
小学校・伊勢市立厚生小学校
中学校・伊勢市立厚生中学校
高校・・宇治山田商業高校
大学・・大学には進学していません
三重県伊勢市出身。
姉、兄、弟がいる3人兄弟。
小学校は伊勢市立厚生小学校を卒業。
外で遊ぶのが好きな子供でした。
父親が音楽好きで、実家にはステレオが整っていて、レコードもたくさんあり、子どもの頃から実家では何かしら音楽が流れていたこともあり、子供の頃から音楽好き。
中学校は伊勢市立厚生中学校を卒業。
中学時代は陸上部に所属。
入部後、数か月間は短距離、跳躍、投てきなどもしていましたが、
1年生の冬から長距離に転向。
高校は宇治山田商業高校を卒業。
宇治山田商業高校は、三重県伊勢市黒瀬町に亜男女共学の県立高校。
現在の偏差値は54。
高校時代には3000mでインターハイに出場。
3年生の時には第8回全国高校女子駅伝に初出場しエース区間の1区6kmを担当。
区間16位20:14で走、チームは39位でした。
高校卒業後は、ワコールに入社しましたが、会社と対立した監督の藤田信之が、少数の選手を連れて辞任。
野口みずきさんもこれに従い退社。
一時は雇用保険の求職者給付を受けながら現役を続行しました。
1999年2月、監督らとともにグローバリーに入社しました。
野口みずきがマラソンを始めたきっかけは?
『中学時代に友人に誘われて陸上を始めたのが、きっかけです。』
引用 https://www.oaj.jp/
野口みずきさんはバスケットボール部など他の部活に入ろうを考えていたそうで、友人に誘われなければオリンピックで金メダルは取れてなかったと話しています。
陸上部入部後は短距離などをしていましたが、11年生の冬のある日に、地元の駅伝大会のメンバーとして駆り出されて出場すると、練習で先輩を超える好タイムを記録。
これがきっかけで長距離を専門とするようになしまし、学年を重ねるごとに、大会での成績や記録もアップしました。
野口みずき ハローワークに通う
高校卒業後は、ワコールに入社しますが、買う社と対立した監督と共に1年半で退社。
次の所属先となるグローバリーに入社するまでの4か月間は、ハローワークに通って雇用保険の求職者給付を受けながら競技を続けました。
当時、20歳で至れり尽くせりだった実業団の寮生活から、事の準備、洗濯、掃除などすべてを自分たちでこなす生活となりましたが、栄養のことも考えながら食事を作ったので勉強になったといいます。
野口みずき アテネオリピックで金メダル
1999年2月にグローバリーに入社し、同年の犬山ハーフマラソンで優勝。
これをきっかけにハーフマラソンを中心に出場しるようになり、同年10月の世界ハーフマラソン選手権では、1時間9分12秒で当時女子マラソン世界記録保持者のテグラ・ロルーペ選手に続く2位に入り銀メダルを獲得。
『ハーフの女王』と呼ばれ、2000年7月の札幌国際ハーフマラソンでは同年9月開催のシドニーオリンピック女子マラソン日本代表に選出された高橋尚子さんと競り合いましが3位。
同年のシドニーオリンピックで高橋尚子さんが日本人女性初の五輪金メダルを獲得した事で、
『自分も高橋選手のようにオリンピックの女子マラソンで優勝したい』
と思うようになりました。
2002年3月、初のフルマラソンとなった名古屋国際女子マラソンでは独走し、初優勝。
記録は気温が20度近くと高かったため、記録は2時間25分台に留まりました。
翌年の2003年1月には大阪国際女子マラソンへ2回目のフルマラソンに出場し、途中で給水を2回取り損ねる失敗が有りながら、当時日本歴代2位の2時間21分18秒で優勝。
2004年8月のアテネオリンピックの女子マラソンでは気温30度を超える酷暑の中でのレースとなりました。
25km付近で野口みずきさんがロングスパートを仕掛けると、優勝候補の世界記録保持者ポーラ・ラドクリフ選手やヌデレバ選手らの強豪選手達が遅れ始め、28km過ぎではただ一人ついていたエルフェネッシュ・アレム選手もついていけずに後退。
32km辺りからゴールまで約10km続く下り坂に入ると、一旦遅れたヌデレバ選手が追い上げて2位に上がり、野口みずきさんとの距離を詰めましたが、12秒の差で野口みずきさんが逃げ切って優勝し金メダルを獲得。
記録は2時間26分20秒でした。
野口みずき 北京五輪欠場
2008年3月に2008年の北京オリンピックの代表に選出。
野口みずきさんはアテネ五輪以降、ケガの闘いにも苦しむようになっていました。
2006年には練習中左足首を故障。
2007年には足首の故障が再発。
原因不明の発疹により2レースを欠場。
2004年アテネ五輪後から2008年北京五輪前のフルマラソン出場は、2005年9月のベルリンと、2007年11月の東京国際女子の2レースのみでした。
北京五輪女子マラソン本番前の2008年8月4日、スイス・サンモリッツで合宿中だった野口みずきさんは左の太ももの裏の筋の付け根辺りを痛めたため、急きょ帰国。
MRI診断の結果、左足太股の肉離れを起こしている事が判明。
治療をしましたが痛みがひどくなったため、大会直前になって欠場を決断しました。
北京五輪の女子マラソンは北海道で見ていたといいます。
その後、2012年ロンドンオリンピックを目指しましたが落選。
続く、2016年リオデジャネイロオリンピック出場も目指しましたが、日本代表選出はなりませんでした。
2016年に36歳で引退。
引退後は、スポーツ解説や不定期に陸上指導を行っています。
野口みずきの結婚歴や夫は?
野口みずきさんが結婚を発表したのはは2016年7月。
38歳の時でした。
夫はカメラマンの男性。
年齢は結婚時40代。
夫は関西テレビ勤務の報道カメラマン。
挙式は地元伊勢市の猿田彦神社で家族だけで行われました。
結婚後、夫が中華人民共和国・上海市に仕事の都合で転勤になり、野口みずきさんも中国の上海市に移住。
帰国後は、大阪に在住しています。
野口みずきと夫の馴れ初めは?
野口みずきさんと夫の馴れ初めは、アテネオリンピック前の2003年に取材をされたことでした。
夫は報道担当のカメラマンで、マラソンなどのスポーツ担当ではありませんでしたが、野口みずきさんを題材にしたドキュメンタリーなどを制作する過程で密着取材を続けたことで知り合ったといいます。
その時は、恋愛関係になることはありませんでした。
2014年頃に急接近し交際に発展、
当時は野口みずきさんはまだ現役選手だったこともあり交際は周囲に極秘でした。
交際期間約2年を経て結婚しました。
野口みずきのに子供はいるは?
野口みずきさんに子供がいるという情報はありませんでした。