東京都出身のお笑い芸人・野沢直子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューのきっかけは?
渡米後のアメリカでの活動は?
結婚歴や夫は?
子供は娘と息子?
今回はお笑い芸人の野沢直子さんをリサーチしてみました。
目次
野沢直子の学歴・生い立ち・経歴
名前 野沢直子
生年月日 1963年3月29日
出身 東京都
身長 158cm
血液型 B型
所属 吉本興業
中学校・渋谷区立代々木中学校
高校・・東京農業大学第一高校
大学・・大学には進学していません
結婚後の本名はナオコ・オークレアー。
父親、母親、弟の4人家族、父親は実業家で祖父は作家の陸直次郎さん、叔父は声優で舞台演出家の野沢那智さん。
父親は野沢直子さんが小さい頃から会社を立ち上げては失敗を繰り返していました。
小学生の時には朝鮮人参のスタミナドリンクを開発し、試飲だと子供の野沢直子さんも飲まされていましたが、その会社も失敗。
その後は、天丼のフランチャイズ展開もはかりましたが失敗、最終的には趣味の競馬を生かして、競馬の予想会社を作り成功しましたが、中学生くらいまでは貧乏で、長屋に住んでいました。
母親はそんな父親をずっと支えていたそうです。
妹もいますが、妹は隠し子でタイ人とのハーフ、存在を知ったの2015年に父親がなくなってからで、遺品を整理していた弟が、発見したそうで、2017年に初対面しました。
母親は野沢直子さんが26歳の時に亡くなり、その後、父親は3回再婚しています。
幼稚園の頃は家では元気でしたが、外で引っ込み事案な性格でした。
小学3年生の時に転校し、友だちのお母さんのものまねをしたらすごくウケたことがきっかけで、明るい性格になったそうです。
中学校は渋谷区立代々木中学校を卒業。
俳優の小沢仁志さんは中学1年生の時にの同級生でした。
高校は東京農業大学第一高校に進学。
東京農業大学第一高校は、東京都世田谷区桜にある男女共学の私立高校で、現在の偏差値は64。
高校時代はバレーボール部に所属。
高校卒業後は、大学などには進学せず、芸能界の道に進みました。
野沢直子のデビューのきっかけは?
野沢直子さんがお笑いの道に進んだのは、高校3年生の時に友人に誘われて、所ジョージさんが司会を担当していたテレビ東京系の素人参加番組『ドバドバ大爆弾』に出演したことがきっかけでした。
当時はお笑い芸人になりたいとの思いはあまりなく、番組の賞金が目当てで、獲得した賞金は58万円でした。
番組出演後に本格的にお笑いをやりたいと思うようになったといいます。
番組出演たきっかけでスカウトされ、1983年、20歳の時にデビューしましたがうまくいかず、その後、劇団テアトルエコーの養成所に7期生として入所。
1つ後輩の8期生にはダチョウ倶楽部の上島竜兵さん、寺門ジモンさんがいて、忘年会などで一緒に遊んでいたそうです。
野沢直子 デビュー後
叔父の野沢那智さんが知人を介して、吉本興業の木村政雄さんに会い、野沢直子さんを紹介したことで、吉本興業に所属。
吉本興業に所属後は、奇抜な服装、突拍子もない話術などが話題となり、1988年10月から放送されたフジテレビ系の深夜番組『夢で逢えたら』に、ダインタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコさんらと出演。
当初は2時過ぎの放送だったことから1%以下の視聴率でしたが、徐々に人気が高まり5%を超えるようになり、1989年4月から全国ネットになって23時30分からの放送になると、深夜番組では異例の最高視聴率20.4%を記録。
野沢直子さんは人気芸人になり、約2年半レギュラー解答者として出演した人気クイズ番組『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』では破天荒な解答で毎回爆笑を取りました。
野沢直子の渡米後のアメリカでの活動は?
1991年3月、28歳の時に芸能活動休止を宣言、出演していたレギュラー番組を全て降板し単身渡米。
当時は渡米について、『アメリカ進出の夢に挑戦するため』と説明していましたが、後に共演するダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコらとの圧倒的な才能の差を見せつけられて挫折して、苦悩した末の逃避だったことを明かしています。
渡米前に家庭教師をつけて英語を勉強し、渡米してからも現地の語学スクールにも通いましたが英語は話せないままで、語学学校を辞め、発音やスピーチを教えてくれる俳優養成所に入ったそうです。
その後、設置されたノートに名前を書けば、誰でも出演できるニューヨークのコメディクラブで『とにかく修行しないと!』との焦りもあり、あまり言葉がしゃべれなくれも舞台に立ち、芸を披露。
1年ほどたった頃からバンド活動はじめ、猿の着ぐるみを着てステージ歌いました。
その後ショートフィルム製作などを行い、年に1~2度日本に帰国し、出稼ぎタレントをしています。
野沢直子結婚歴や夫との馴れ初めは?
野沢直子さんが結婚したのは1993年6月、30歳の時でした。
夫はミュージシャンだったロバート・デニス・オークライヤーさん。
年齢は2歳年上で、通称はボブ、元グリーンベレーだといいます。
馴れ初めはバンド活動で、お互い別のバンドにいましたが、たまたま同じステージに立ったことで出会いました。
初めて会った時は野沢直子さんは猿の着ぐるみで、ボブさんは裸でボディーペインティングしてパフォーマンスをしていたといいます。
バンド同士の交流が生まれ、次第に親しくなり交際がスタート。
『彼とつき合って3日目。なぜか私の頭のなかで結婚式のウエディングベルの音が聞こえたような気がしたんです。』
引用 https://chanto.jp.net/
交際3日目に野沢直子さんから、プロポーズするとボブさんは感激してくれて、その3ヶ月後にニューヨークで婚姻届けを出したそうです。
夫はその後、看護師に転職。
野沢直子さんはブログで夫や子供のことを投稿していましたが、2021年から夫のボブさんに関する投稿がなくなり、2023年8月にはアメリカで離婚訴訟中であることが報じらました。
野沢直子の子供は娘と息子?
野沢直子さんの子供は、娘が2人と息子が1人の3人です。
1993年に長女の真珠(しんじゅ)さん、1996年に次女の珊瑚(さんご)さん、2001年に長男の海(かい)さんが誕生しています。
長女の真珠・野沢オークレアーさんは、9歳から空手を習い、大学時代にボクシングを始めると格闘技がすごく好きになり、看護師を目指して通っていた大学を中退。
その後、総合格闘技に転向、2017年2月にアメリカでアマチュア総合格闘技デビューを果たし、同年7月に、RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX 2017 1st ROUND -夏の陣-で格闘家としてプロデビューしました。