「渡る世間は鬼ばかり」のレギュラーで、野草をの食べることが趣味であることでも知られる俳優の岡本信人さんの学歴や経歴は?
俳優にになったきっかけは?
野草を食べるようになったきっかけは?
結婚歴や妻、子供は?
今回は俳優の岡本信人さんをリサーチしてみました。
岡本信人の学歴・経歴
名前 岡本信人
生年月日 1948年1月2日
出身 山口県岩国市
身長 163cm
血液型 B型
所属 岡本事務所
父親、母親、兄、姉、妹の6人家族。4人兄弟の次男として誕生しました。
父親は建築士、母親は助産師。両親は戦前に中国で働いていて、現地で出会って結婚したといいます。
終戦間際に父親は戦争に徴兵され、終戦後はシベリアに抑留。帰国したのは2年後でした。
その後、岡本さんが誕生しましたが、2歳の時に父親が核を発症し入院。
後に回復しましたが闘病期間は10年で、岡本さんの物心ついた時からの父親の記憶は病院に入院ている姿だといいます。
岡本さんは山口県岩国市で生まれた後、萩市に引っ越して自然が豊かな場所で育ち、雑木林で木登りをしたり、川で鮎を手づかみで取って遊び、お腹が空くとイチジクなどを採って食べていたそうです。
父親が回復すると、小学6年生の時に神奈川県横浜市に移り、中学2年生の時には父親の仕事の関係で東京都世田谷区に引っ越しました。
萩市にいた時は、萩市立明倫小学校に通っていました。当時の明倫小学校は生徒が3000人もいて、毎年大運動会が開催されていたといいます。
中学時代には「劇団ひまわり」に入団し子役として活動を始めしました。
高校は駒場学園高校に進学。
東京都世田谷区代沢一丁目にある男女共学の私立高校で、現在の偏差値は45~57。
父親は中国で築いた資産は全て奪われましたが、「技術だけはとられないんだ」と言っていて、いろいろ言ってくることはない人でしたが、唯一言われたのは、
『建築家になれ』
だったといい、父親が図面を引くのを見て育ったことから、自分もいつかは建築家になるだろうと思っていたといいます。
高校卒業後は東海大学・第二工学部建築学科に進学。
東京都渋谷区富ヶ谷2丁目に本部がある私立大学。建築学科の偏差値は52。工学部のキャンパスは神奈川県平塚市の湘南キャンパスです。
大学では建築の勉強をしていましたが、大学卒業後は俳優の道に進みました、
岡本信人が俳優になったきっかけ
岡本信人さんは小学6年生まで自然豊かな場所で育ちましたが、6年生途中からは横浜市、中学2年生から世田谷区に移り、急に都会で暮らすことになったことから環境の変化に戸惑い馴染めずに、だんだん元気がなくなっていったといいます。
そんな岡本さんを見かねた父親が「仲間ができれば」と新聞で出ていた「劇団ひまわり」勝手に応募。
自分の居場所がなかったことから、父親に言われるままオーでションを受けると合格し、1962年、14歳の時にNHKドラマ『福澤諭吉』で子役デビューしました。
当初は嫌々でしたが、段々芝居が面白くなり、テレビ、映画に出演しましたが、高校2年生の終わりに建築家を目指して欲しかった父親に、
『劇団はもう辞めろ』
と言われ、芝居が楽しくなってきたところでしたが、父親の思いをくんで劇団は退団しました。
しかし、3年生の時に以前に出演したドラマの放送作家から出演のオファーがあり、父親には、
『将来は建築家になるけど、まだちょっと俳優をやりたい』
と伝え出演しました。
『就職しなかったことで、建築家への道はもうダメだと思ったのでしょう。父は何も言いませんでした。俳優として認めてやろうとの思いも半分はあったのかもしれません』
大学でも「学業との二足のわらじを履く」との約束で俳優を続け、結局は就職はせず俳優の道に進みました。
渡る世間は鬼ばかりのレギュラー
大学在学中の1968年4月、20歳の時にTBSドラマ『肝っ玉かあさん』に出演して以降は、石井ふく子プロデュースドラマの常連になり、1970年からは『ありがとう』に1975年の第4シリーズまで出演。
1993年からは『渡る世間は鬼ばかり』に「幸楽」従業員・田島周平 役で2019年まで出演しました。
大河ドラマの出演も多く、1977年の『花神』に出演して以降、2022年の『鎌倉殿の13人』までで11作に出演しています。
岡本信人が野草を食べるようになったきっかけ
野草を食べることが趣味であることで知られる岡本信人さんですが、野草を食べるようになったのは幼少期に食卓に上がった「つくし」を食べたことがきっかけででした。
『ある日バス停でヨモギをつんで食べようとしたところで通行人に気味悪がられ、さらに「あの人、渡鬼に出てる人じゃない?」と気づかれてしまったことから、「草を食べる」行為を隠して生きるようになったという。』
野草を摘んで食べるためにマヨネーズと味噌を常備していますが、野草を食べると話すと引かれることが多かったため、「野草を食べる」ことは基本的には話しませんでしたが、ロケに行った時に野草を見かけると、たまにスタッフに「あれはうまいんだよ」などと話していたといい、それが出版社に伝わり1998年に野草の本を出版。
野草のついての取材も来るようになり、2010年頃に『ナニコレ珍百景』などテレビ番組で取り上げられ、一躍「野草を食べる人」として知られるようになりました。
岡本信人の結婚した妻や子供
岡本信人さんは1977年、29歳の時に結婚しています。
『カミさんとは29歳で結婚し、娘と息子がいます。』
子供は息子と娘の2人で、娘のは設計士の仕事をしているといいます。
子供は結婚し孫もいて、2019年には孫は10歳と7歳だと話しています。