広末涼子さんなどのものまねでブレイクした元ものまね芸人のおかもとまりさん。
2度の結婚、離婚歴がありますが、元夫の職業は?
元夫との馴れ初めや離婚理由は?
子供はいる?
この記事ではおかもとまりさんの元夫や子供などについてリサーチしています。
目次
おかもとまりの最初の夫
おかもとまりさんは2015年4月、25歳の時に結婚しました。
結婚相手は9歳年上のnaoさん。
職業は音楽プロデューサー。
1980年12月13日生まれ。本名は菅原 直洋(すがわら なおひろ)。
2002年、成蹊大学在学中に川島あいさんと「I WiSH(アイウィッシュ)」を結成。
2003年2月14日にファーストシングル『明日への扉』でデビューし、オリコンランキング2週連続1位を獲得。
2005年3月にI WiSHを解散後は作曲家・編曲家として活動を開始。
時期は不明ですが歌手のasさんと結婚。
2011年にはasさんとは病気にため死別していますが、7歳の息子がいました、
最初の夫との馴れ初めや離婚理由
おかもとまりさんと元夫のnaoさんの出会いは、共通の友人のミラクルひかるさん誕生日パーティーでした。
そこで、naoさんから「僕たち、誕生日が一緒なんだよ」(共に12月13日生まれ)と声をかけられたそうです。
最初は警戒していましたが、友人だった安田大サーカスのクロちゃんにピアノを教えているのを知り、共通の友人が多くいることで安心しいろいろ話すようになったといいます。
営業で歌まねもできるようになりたいと思っていたことから、naoさんに歌を習う約束をしたことがきっかけでで交際に発展。
おかもとさんが妊娠したことをきっかけに結婚しました。
最初の夫との離婚理由
おかもとまりさんとnaoさんは結婚3年目の2018年に離婚。
おかもとさんは2018年1月にブログで「旦那は、昔から軽い発達障害(勉強や記憶力、音楽の才能はピカイチなのに、簡単なことができないの)」と記述。
そのことが理由で旅行先の伊香保温泉で夫と口論したことを明かしました。
離婚は2020年にnaoさんにブログで発表され、
『離婚に至ったのは、前妻との家族関係に関して、私が麻里さんを十分にケアできなかったことで、彼女に多くのストレスを与えてしまったことが原因であり、彼女に何ら原因や責任はございません。』
と綴られました。
おかもとさんも後に、
『「一気にプチンと切れちゃって。道路に突進しちゃって」と、自殺未遂。精神科病院に緊急入院し、2ヵ月間は閉鎖病棟にいたという。』
引用 https://www.tv-tokyo.co.jp/
精神病院に入院していたことを明かしています。
再婚した夫は元市議会議員
おかもとまりさんは2023年12月に再婚しことを発表。
再婚相手は2歳年下の実業家で、元市議会議員の与儀大介さん。
与儀さんは沖縄県出身。北中城高校(偏差値42)卒業後、20歳頃からバックパッカーとして日銭を稼ぎながら世界中を放浪。
帰国後、コールセンターでのアルバイトを経て、コールセンター会社を設立。
2018年には新宿にバーも開店しました。
2020年に志木市議会議員選挙に当選。
2023年には大麻のついてのSNS投稿や、全員協議会を欠席しタイでゴルフしていたことが理由で、与儀さんに対する「辞職勧告決議案」た提出され議決。
2024年の選挙では落選しました。
再婚した夫との馴れ初め
2人の出会いはバーベキューパーティーでした。
「令和の虎」というユーチューブチャンネルに2人とも出演したことがあり、そのコミュニティーで開催されたバーべキューパーティーで初めて会ったそうです。
与儀さんはおかもとさんが芸能人だったことは知りませんでしたが、共通の知り合いを通じて連絡先を交換したことがきっかけで、出会って3か月後に交際に発展。
おかもとさんが子供と住んでいた群馬を離れようと考えていた時、与儀さんに「志木くれば?」と言われ志木市に引っ込すことにし、与儀さんも一緒に暮らす話しになった時に、与儀さんが「じゃあ籍でも入れる?」言って、岡本さんが了承したことで結婚したそうです。
出会ってから9か月、交際を始めて6か月のスピード婚でした。
結婚後は与儀さんが岡本姓になっていました。
再婚した夫との離婚原因
おかもとまりさんと与儀大介さんが離婚を発表したのは2024年10月20日。
籍を入れて10か月目でした。
『この度、私たち岡本麻里と与儀大介2人は夫婦関係を解消し【パートナーシップ】を結びました。
今後はパートナーシップによる関係で、お互いが信頼に基づく真摯な関係にあること、お互いの個性を尊重しつつ将来にわたる新たな関係構築に尽力して参ります』
離婚については連名で発表されました。
婚姻は解消したももの、「パートナーシップ」という形で連携は保つようです。
離婚の理由などについては語られていません。
おかもとまりの子供
おかもとまりさんの子供は息子が1人。
最初の夫のnaoさんとの子供で、2015年8月22日に誕生しています。
離婚後の親権はおかもとさんが持ち、育てています。
アイドルとして芸能界入り
群馬県藤岡市出身。本名は岡本 麻里。
父親は大手企業に勤務する会社員。
2歳年上の姉がいる2人姉妹の次女。
藤岡市立神流小学校、藤岡市立北中学校を卒業。
『太田光代社長にすごく憧れてたんです。裏方に徹して、自分の信じた才能を世の中に送り出す姿勢に感銘を受けました。』
引用 https://bunshun.jp/
中学時代から爆笑問題の太田光さんの妻で、所属事務所社長の太田光代さんの行動力や売り込み能力に憧れていたそうです。
ある日、爆笑問題の載っている雑誌を買った時に見つけた、「あなたの夢を応援します」と書かれたアイドルオーディションに応募し合格。
高校は群馬県高崎市内の通信制の学校に通いながら、高校1年生の時にアイドルデビュー。
朝は高崎駅でお弁当を売るアルバイトをしながら、アイドル活動をしていました。
ものまね芸人でブレイクしたきっかけ
上京した後もアルバイトをしながら、活動を続けていましたが、まわりのアイドルはかわいい子ばかりで、ビジュアルではかなわないとい感じ、別の何かが必要だと考えて、思いついたのがものまねだったといいます。
周りの人からは話し方がスザンヌさんに似ていて、顔は鳥居みゆきさんに似ているとよく言われていて、話し方やメイクをしてみると字bヴんでも「似てるかも?」と思うようになったそうです。
オーディションで、スザンヌさんや鳥居みゆきさんののまねを披露するようになりましたが、全然合格はせず。
そんな時、先輩ものまね芸人の古賀シュウさんのアドバイスで広末涼子さんのものまねを始めると、何回も受けて落ち続けていた「細かすぎて伝わらないモノマネ選手権」のオーディションに合格。
2009年に初出場しブレイクしました。
現在は芸能界を引退し会社社長
おかもとまりさんは太田プロダクションを経て、TWIN PLANETに所属していましたが、2018年に退社。
芸能界を引退することを発表しました。
ものまね芸人時代の2016年に、「(株)minto.」を創業。
起業は以前からの目標で、同会社の代表を務め、”生きる” “人間力”をテーマにしたコンテンツや企画創り、コラムサイト「minto.」の運営などを行っています。
2018年12月にはおかもとさん原案の映画『青の帰り道』が公開。
2020年に12月にはおかもとさんが企画・原案の『ウシガエルは、もうカエル。』がYouTubeで配信。
2022年5月には原案を手がけた映画『青の帰り道』が中国語題名『青色物語』として台湾で配信が開始されました。
講演活動なども行っているようです。