大阪府出身の歌手・奥村チヨさん。
生い立ち、経歴や高校・大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供はいる?
今回は歌手の奥村チヨさんをリサーチしてみました。
奥村チヨの学歴・生い立ち・経歴
名前 奥村チヨ
生年月日 1947年2月18日
出身 大阪府
身長 158cm
血液型 B型
小学校・池田市立石橋小学校
中学校・池田市立北豊島中学校
高校・・夙川学院高校
大学・・大学には進学していません
千葉県野田市で生まれ、3歳の時に大阪府池田市に移りました。
本名は金野 智代(こんの ちよ、旧姓・奥村)
父親はキッコーマンに勤務し、社宅に住んでいました。
兄が2人と姉が2人いる5人兄弟の末っ子。
小学校は池田市立石橋小学校、中学校は池田市立北豊島中学校を卒業。
高校は夙川学院高校を卒業。
夙川学院高校は、兵庫県神戸市兵庫区会下山町にある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は56。
高校卒業後は、大学などには進学していません。
奥村チヨのデビューのきっかけは?
『地元・大阪で流れるCMソングを歌ったとき、東京のレコード会社の目にとまる。』
引用 https://www.bs-asahi.co.jp/
奥村チヨさんは小学生の時に歌を習い始め、ラジオののど自慢大会で優勝するほどになりました。
高校3年生の時に、知人が応募したオーディションに合格し、地元大阪の小野薬品のドリンク剤『リキ・ホルモ』のCMソング『昨日、今日、明日』を歌うと、渡辺プロダクションの目に留まりスカウトされました。
奥村チヨ デビュー後
奥村チヨさんは高校卒業後に上京し、1965年3月に東芝レコードからシングル『あなたがいなくても』で歌手デビュー。
キャッチフレーズは和製ヴァルタン誕生。
ヴァルタンとはフランス人歌手のシルヴィ・ヴァルタンさんのこと。
18歳の時でした。
1965年だけで5枚のシングルをリリース。
黛ジュンさん、小川知子さんと共に『東芝3人娘』と称して売り出されました。
1969年6月にリリースした17枚目のシングル『恋の奴隷』がヒットし、同年に第20回紅白歌合戦に初出場。
しかし、『恋の奴隷』の歌詞の一部がNHKの内部規則に抵触するため、18枚目のシングル『恋泥棒』を歌いました。
紅白歌合戦には1972年までに3回出場。
コケティッシュな雰囲気が特徴でしたが、1971年12月に自身のイメージを脱却した『終着駅』をリリースし40万枚を超えるヒットを記録。
奥村チヨさん自身の歌手引退も辞さない強い希望から実現した曲だったといいます。
シングルは2016年までに51枚リリース。
ディナーショーなどのステージを中心に活動していました。
2018年1月に同年いっぱいで芸能活動から引退すること発表し、同年12月31日で引退しました。
奥村チヨの結婚歴や夫は?
奥村チヨさんが結婚したのは1974年。
27歳の時でした。
夫は作曲家の浜圭介さん。
年齢は1歳年上。
浜圭介さんは15歳の時に高校を中退し、歌手を目指し北海道から上京。
1964年、牧 宏次の芸名で『波止場のロック』で歌手デビュー。
しかし、ヒットはせず芸名を変えて再デビューしましたが自身のヒット曲はありません。
1971年に奥村チヨさんに提供した『終着駅』が大ヒット。
以降は作曲家として活動し、1973年、第15回日本レコード大賞作曲賞受賞。
1980年には八代亜紀さんに提供した『雨の慕情』が第22回日本レコード大賞で大賞を受賞しました。
奥村チヨと夫の馴れ初めは?
奥村チヨさんと浜圭介さんの出逢いはヒット曲『終着駅』。
結婚のきっかけはおしぼりだったといいます。
曲がヒットし、みんなで一緒に食事に行き、浜圭介さんは酩酊してしまい寝ていると、奥村チヨさんが冷たいおしぼりを額にのせてくれたそうです。
このことで浜圭介さんは奥村チヨさんに一気に惹かれたそうです。
奥村チヨに子供はいる?
奥村チヨさんに子供がいるという情報はありませんでした。