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大場久美子の結婚歴や再婚した夫との馴れ初め、子供は?現在の活動や経歴・学歴

ドラマ「コメットさん」の主演だったことで知られる大場久美子さんの学歴や経歴は?

デビューしたきっかけは?

2回の結婚歴があり再婚していますが、夫は元ファンだったそうで、結婚の馴れ初めは?

子供や現在の活動は?

今回は女優のの大場久美子さんをリサーチしてみました。

大場久美子の学歴・経歴

名前   大場久美子
生年月日 1960年1月6日
出身   埼玉県川口市
身長   153 cm
血液型  A型
所属   オフィスキコ

父親、母親、兄、弟の5人家族。父親は鋳物工場を経営していました。

幼少期は父親が仕事先でケンカをして職を転々としていて生活は貧しく、風呂トイレなしの6畳まに家族で暮らし、食事はご飯と具のないみそ汁だったこともあったといいます。

その後、鋳物工場を始めると小学3年生の頃には軌道に乗り、風呂もトイレもある長屋に引っ越すことが出でき生活も楽になり、母親が料理好きで、いつも近所の人や親戚がご飯を食べに来ていて、自宅はいつも誰かが出入りしていたそうです。

小学校は鳩ヶ谷市立中居小学校、中学校は鳩ヶ谷市立八幡木中学校を卒業。(現在は川口市立)
小学生の時にはいじめにあい、1ヶ月ほど不登校になったことがあったといいます。

中学時代はバトン部に所属。13歳の時に『劇団フジ』に所属し子役として活動を始めました。

高校は東京成徳短期大学附属高校・商業科に進学。
東京都北区王子丁目にある男女共学私立高校で、偏差値は52~62。現在は商業科はありません。

高校1年生に時に本格的に芸能活動を始め、高校は越高校・芸能活動コースに転校。(現在はトレイトコース)
東京都中野区中央二丁目にある私立高校で、同級生には榊原郁恵さん、片平なぎささん、林寛子さんがいました。

高校卒業後は、大学などには進学せずに芸能界に専念しました。

大場久美子がデビューしたきっかけ

大場久美子さんは人前で話すのは苦手なタイプでしたが、テレビで見る芸能界に憧れのようなものはあったといいます。

1973年、13歳の時に自宅来た友達が、「こんなのあるよ」と劇団のチラシを持ってきてくれたことがきっかけで、父親に同伴してもらい勇気を出してオーディションを受けると合格。

1974年7月に日本テレビ系ドラマ『愛の山河』でデビューしました。

コメットさんでブレイク

1975年、高校1年生の時にテレビ朝日のオーディション番組『あなたをスターに!』で特別賞を受賞。

これがきっかけで芸能事務所にでスカウトされ、本格的に芸能活動を開始しました。

1976年4月公開の『遺書 白い少女』映画デビューし、翌年の1977年6月には『あこがれ』でアイドル歌手デビュー。キャッチフレーズは『1億人の妹』でした。

1978年6月から1年3ヶ月間放送されたTBSドラマ『コメットさん』でドラマ初主演を務めると大ブレイクし、ブロマイドが爆発的に売れて2年連続で1位を獲得。

ハウス食品、東レ、オリンパスなどのCMにも出演し、一躍トップアイドルになりました。

ピーク時に7本のレギュラー番組を持ち、睡眠時間は1日1時間はザラで、年末の出演番組が特に多い時期はバイクの後ろに乗って移動していたといいます。

土日も地方で営業があり、電車はファンが殺到するため九州のイベントからタクシーで東京まで戻ったこともあり、大阪のサイン会ではファンが多くて帰れなくなっため、冷凍車のに乗って現場を脱出したこともあったといいます。

大場久美子の最初の夫や子供は?

大場久美子さんの最初の結婚は2000年2月。40歳の時で、夫はダンサー兼振付師で6歳年下の高橋てつやさん。

2001年には夫婦でのデュエット曲の『RE-SET』も出しました。

しかし、結婚5年目の2005年12月に離婚。子供はいませんでした。

大場久美子の再婚した夫との馴れ初めや子供は?

大場久美子さんが再婚したのは離婚から6年後の2011年5月。51歳の時でした。

夫は10歳年下の会社員の男性。夫は7歳から大場さんのファンだったといいます。

馴れ初めは夫が大場さんのブログを見て、メールを送ったことでした。

大場さん一時期、ブログに自分のメールアドレスを公開していて、公開直後は100件のメールが殺到しましたが、全員に返信したといいます。

その後も複数のファンとメールのやり取りが続きましたが、文章だけで心を惹かれた男性がいて、それが夫でした。

夫がライブに来てくれた時に、マネージャーを介して大場さんが電話番号を渡し、交際に発展。交際期間5ヶ月のスピード婚でした。

2人に子供はいません。

大場久美子の現在の活動は?

大場久美子さんはコメットさんでブレイク後、1987年に実家がもらい火で全焼。

1990年にはサイドビジネスで京都市でレストラン『ホワイトバス』の経営を始め、静岡に2号店も開店しましたが、大場さんは経営にはノータッチだったといい、2年後の1992年には多額の負債を抱え2店とも閉店。

同年に所属していた事務所も倒産し、翌年に個人事務所『オフィス大場』を設立。

1994年にはレストラン『ホワイトバス』の借金が1億円を超え、返済不能となり自己破産申請をして2月に認められました。

その後は、主に女優として活動。1999年にマネジャーを務めていた母親が亡くなると、それがきっかけで約8年間パニック障害を患い、その経験から2009年10月、日本推進カウンセラー協会の心理カウンセラーの資格を取得し、2010年からは心理カウンセラーとしても活動を本格的に始めました。

現在はタレント、女優として活動しながら、心理カウンセラーや講演活動もしています。

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