北海道出身のシンガーソングライター・大黒摩季さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供は何人?
今回はシンガーソングライターの大黒摩季さんをリサーチしてみました。
大黒摩季の学歴・生い立ち・経歴
名前 大黒摩季
生年月日 1969年12月31日
出身 北海道
血液型 A型
所属 ビーイング
小学校・札幌市立石山小学校
中学校・藤女子中学校
高校・・藤女子高校
大学・・大学には進学していません
北海道札幌市南区出身。
本名は黒摩紀。
実家は1927年(昭和2年)創業の老舗パン製造メーカー『札幌キムラヤ』。
兄弟は2歳年下の弟。
小学校は札幌市立石山小学校を卒業。
現在は統合されて、札幌市立石山緑小学校になっています。
3差から小学生の時はバレーボールをやっていました。
中学校は藤女子中学校、高校は藤女子高校を卒業。
藤女子中学校・高校は、北海道札幌市北区にある私立の女子校。
カトリック系のミッションスクールで、地元ではお嬢さま学校として知られているようです。
中学校の偏差値は55。
中学、高校時代もバレーボール部に所属
完全中高一貫制のため、高校の生徒募集はありません。
高校卒業後は、大学などには進学していません。
大黒摩季がデビューしたきっかけは?
『1989年1月22日(日)五反田のスタジオ1009において開催された第3回BADオーディションに合格』
引用 https://www.barks.jp/
大黒摩季さんは3歳の時に、母親がピアノを買ってくれたことで、クラシックピアノを習い始め、小学生の時には作曲もするようになっていました。
中学時代にバンド活動を始め、高校卒業後は音楽大学への進学も考えましたが、パン工場の経営には年によって収入に波があり、母親から、
『短大で我慢してほしい』
と頼まれたそうで、それならと高校卒業後はプロを目指して、デモテープを持って上京。
上京後は東京近郊にある叔母の家で生活し、バイトしながらながらオーディションを受け、ビーイングのオーディションに合格しました。
19歳の時でした。
大黒摩季 デビュー後
オーディションに合格したものの、当初はコーラスに回され、下積み生活になりました。
アルバイトをしながら、TUBE、ZARD、B’zなどのコーラスを担当。
1992年5月に『STOP MOTION』で歌手デビュー。
オリコンチャートは67位。
22歳の時でした。
4ヵ月後にリリースした2作目のシングル『DA・KA・RA』がマルちゃん・ホットヌードルのCMソングとなり、オリコン2位にランクインする大ヒット。
ロングセラーとなり、初のミリオンセラーを記録し、
第34回日本レコード大賞・新人賞
を受賞。
その後もオリコン上位にランクインするヒット曲を連発し、1994年10月の9作目のシングル『永遠の夢に向かって』が初のオリコンチャー1位を獲得。
続く、1995年2月にリリースした『ら・ら・ら』も1位になり、累計約134万万枚を売り上げ、自身最大のヒット曲となりました。
大黒摩季の結婚歴や夫は?
大黒摩季さんが結婚えいたのは2003年11月。
34歳の時の結婚でした。
夫は九州出身のIT企業に勤務する会社員。
年齢は同い年。
馴れ初めは合コンだったそうで、夫は大黒摩季さんのことを知らず、職業を『アーティスト』だというと、『画家』と勘違いされたといいます。
出会って間もなく交際をスタートし、約1年の交際期間を経て結婚しました。
大黒摩季の子供は何人?
大黒摩季さんに子供はいません。
大黒摩季さんは20代の頃から子宮腺筋症などを患っていて、治療をしていたそうで妊娠する確率は元々低かったそうです。
結婚後、不妊治療を開始。
『不妊治療をすると、病気が大きくなっちゃって。エストロゲンをいっぱい足すから。病気はそれがエサというか、エネルギー源だから大きくなっちゃうんです。それで不妊治療のタームが終わったら、病気の治療というのを繰り返していて。』
引用 https://www.sponichi.co.jp/
10年間活動を休止して、不妊治療と子宮疾患の治療をし、体外受精もしましたがうまくいかなかったそうです。
その後、至急疾患が深刻化し、受精卵を凍結保存した上での子宮全摘手術。
最後は代理母による出産にかけ、2回行いましたがダメたったそうです。
大黒摩季の離婚理由は?
大黒摩季さんが離婚したのは2019年4月。
結婚16年目の、49歳の時でした。
離婚の理由は不妊だといいます。
『彼も明るく(子供を)諦めたつもりになってくれているんだけど、それが私には刺さって。』
引用 https://www.sponichi.co.jp/
子供を産めなかったことに罪悪感を感じ、離婚を切り出したのは大黒摩季さんでした。
夫を説得して離婚したといいます。