コケティッシュな笑顔と魅惑のハスキーボイスが魅力的で、ウイスキーのCMの『なが~く愛して』のセリフが印象的だった女優の大原麗子さん。
晩年はギラン・バレー症候群を発症し苦しみました。
そんな大原麗子さんの生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
女優デビューしたきっかけは?
渡瀬恒彦さんと森進一さんとの2回の結婚歴があるようですが馴れ初めや、子供は?
今回は女優の大原麗子さんをリサーチしてみました。
目次
大原麗子の学歴・生い立ち・経歴
名前 大原麗子
生年月日 1946年11月13日
没年月日 2009年8月3日(62歳没)
出身 東京都文京区
身長 157cm
血液型 AB型
小学校・府中市立府中第四小学校
中学校・潤徳女子中学校
高校・・北豊島高校
大学・・進学していません
実家は文京区にあった和菓子店『田月堂』、兄弟は3歳年下尾等が1人。
生活は裕福でしたが8歳の時に、父親の浮気が原因で両親は離婚、母親に引き取られて、府中市でのアパート暮らしを経て北区赤羽の母親の実家に移りました。
弟は父親に引き取られ、大原麗子さんは父親と弟の住む家に毎週のように訪ねていたといいます。
小学校は府中市立府中第四小学校を卒業。
母子家庭で育った大原麗子さんは以前ほど裕福ではなくなりましたが、子供の頃にはバレエを習っていました。
中学校は潤徳学園中学校に進学。
東京都足立区にあった私立の女子校で、2005年に閉校になっています。
昔はお嬢様学校として知られていたようです。
高校は北豊島高校を卒業。
東京都荒川区東尾久にある私立の女子校で、現在の偏差値は45~53。
出身者には女優の丘みつ子さん、タレントの安西ひろこさんなどがいます。
高校卒業後は、大学などには進学せず、女優デビューしました。
大原麗子が女優デビューしたきっかけは?
大原麗子さんのデビューのきっかけはスカウトでした。
母親の実家に移ると、同居していた母親の姉と反りが合わず、中学時代には叔母と衝突を繰り返し、居場所を求めて六本木に切り出すようになり、井上順さん、峰岸徹さん、中尾彬さんなどがいた遊び人グループ『六本木野獣会』に参加。
その後、東京放映の社長にスカウトされ芸能界入り。
1962年9月、15歳の時に映画『夢で逢いましょ』の端役で女優デビューし、1964年のNHKドラマ『幸福試験』で本格的にデビューしました。
好感度NO.1を13回獲得
1965年に東映に入社、一押し新人女優として売り出され、高倉健さん、千葉真一さんなどの映画で助演を務め人気を獲得。
1971年に東映との契約切れを機に渡辺プロダクションに移籍。
1977年からサントリーレッドのCMに出演。
『すこし愛して、なが~く愛して』のフレーズで視聴者の心を掴みました。
「レッドは安価な商品だったので、本人は受けるか迷っていた。でも、信頼していた市川崑さんが監督を務めることもあって引き受けた」
引用 https://www.news-postseven.com/
年2回集計の『テレビタレントイメージ調査』では、1976年から1984年まで13回も女性部門1位を獲得。
演技力も評価が高く、1989年の大河ドラマ『春日局』では主演を務めました。
ギラン・バレー症候群を発症と晩年
大原麗子さんが神経疾患であるギラン・バレー症候群を発症したは1975年。
29歳の頃でした。
ギラン・バレー症候群は末梢神経の障害によって、力が入らない、感覚がわかりにくい、しびれるなどの症状を起こす病気です。
治療により回復しましたが、1999年11月から翌年にかけて再発し芸能活動を休止。
活動休止中も現場復帰に向けて、自宅でリハビリと筋力トレーニングに励んでいましたが、自身の病気と母親がの介護もあり、公の場に姿を見せる機会はほとんどありませんでした。
2008年末には、
『しっかり病気を治して、容姿も心も完全に女優に変身して復帰したい。いえ、必ず復帰するわ。』
と話していましたが、2009年8月6日に連絡が取れず不審に思って警察に通報していた弟によって、自宅で死亡しているのを発見。
行政解剖の結果、死亡推定日時は同年8月3日で、死因は不整脈による脳内出血であると診断さました。
大原麗子と渡瀬恒彦の馴れ初めは?
最初の夫、渡瀬恒彦さんと結婚したのは1973年、26歳の時。
渡瀬恒彦さんは3歳年上に29歳でした。
大原麗子さんと渡瀬恒彦さんは同じ東映に所属していて、渡瀬恒彦さんは大学を卒業後に所属したため年上ですが、当時はまだ駆け出しの俳優でした。
『お互いに一目惚れで、特に姉のほうが渡瀬さんを好きになったみたいです』
引用 https://www.dailyshincho.jp/
最初に出会ったのは、高倉健さんも交えた食事会だったといいます。
結婚した時は、渡瀬恒彦さんがまだデビュー間もなかったため、『格差婚』と報じられました。
結婚5年目の1978年に離婚。
離婚の理由は、渡瀬恒彦さんが母親との確執にあったといわれています。
大原麗子と森進一の馴れ初めは?
大原麗子さんは1980年、33歳の時に1歳年下の森進一さんと再婚。
馴れ初めは不明でしたが、2人は同じ渡辺プロダクションの同期だったことから、交流はあったようです。
結婚4年目の1984年に離婚。
離婚会見で大原麗子さんは、離婚の理由について、
『家庭に男が2人いた』
と語りました。
大原麗子の子供は?
大原麗子さんに子供はいません。
『大原は結婚2年目に妊娠。しかし「ドラマ出演中に途中降板はできない」として、中絶したというのである。その事実は森に伝えられなかったという。』
引用 https://www.asagei.com/
森進一さんと結婚していた時には、妊娠しましたが、仕事のために中絶をしたと後に報じられています。