北海道出身の俳優・大泉洋さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューのきっかけは?
ブレイクのきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は何人?
今回は俳優の大泉洋さんをリサーチしてみました。
大泉洋の学歴・生い立ち・経歴
名前 大泉洋
生年月日 1973年4月3日
出身 北海道江別市大麻
身長 178cm
血液型 B型
所属 アミューズ
小学校・札幌市立真駒内南小学校
中学校・札幌市立真駒内中学校
高校・・札幌藻岩高校
大学・・北海学園大学
父親、母親、7歳年上の兄の4人家族、父親は元国語の教師で、盲学校や養護学校の校長を歴任、母親は中学校の英語教師。
兄は早稲田大学法学部卒業後、函館市役所に就職、2023年4月の函館市長選挙に立候補して当選、2023年4月27日から、函館市長を務めています。
物心ついた頃から、人を笑わせたいと思っていた子供だたといいます。
小学校は江別市立大麻東小学校に入学、小学5年生の時に札幌市引っ越し、札幌市立真駒内南小学校に転校しました。
両親が車でかけていた落語のテープの影響で、小学6年生の頃には落語に熱中、覚えるまで落語を聞き続けていました。
札幌市立真駒内中学校に入学後は、バスケットボール部に入部。
小学生の時やったバスケットボールが楽しかったので入部しましたが、そんなには向いてなかったと話しています。
高校は札幌藻岩高校に進学。
札幌藻岩高校は、北海道札幌市南区川沿3条にある男女共学の公立高校で、偏差値は60。
高校卒業後は、2年の浪人生活を経て、1994年に北海学園大学経済学部経済学科に入学。
北海道札幌市豊平区旭町にある私立大学で、経済学部の偏差値は50。
浪人時代は浪人仲間と天気のいい日はテニスをしたり、ボーリングやゲームをして遊んでいて、2年間の浪人生活は楽しかったといいます。
そのため、志望していた大学には受からず、落ち込み、大学入学時はやる気のない状態で、『このまま腐った気持ちでいるのはまずい』と入ったのが演劇研究会でした。
演劇研究会で仲良くなった、森崎博之さん、安田顕さん、戸次重幸さん、音尾琢真さんの5人で、森崎博之さん、安田顕さんの卒業公演のために『TEAM-NACS』を結成。
1回限りの翌年のユニットでしたが、1997年8月に再結成しました。
大学では高校の社会科の教員免許を取得し、1998年に大学を卒業しました。
大泉洋がデビューしたきっかけは?
大学で演劇研究会に入ってのは、子供の頃から人を笑わせることが好きだったことから、知らない人の前で自分の笑いが通用するか試そうという思いもあったといいます。
しかし、仕事にすることが考えてはなく、普通に就職しようと思っていました。
『演劇やってみたら面白かったし、テレビに出ることも面白かった。楽しい、面白いと思うことばかりやってるうちに、いつの間にかこうなった。役者になろうって固い決意をしたわけでもなく、僕はきっと珍しいケースなんです。』
引用 https://www.fashion-press.net/
大学在学中に演劇活動をしながら、1995年10月には北海道テレビ(HTB)の深夜番組『モザイクな夜V3』に、2代目『元気くん』として出演しタレント活動を開始。
たまたま欠員が出たために、出演が決まったたそうで、その番組には『水曜どうでしょう』で共演するの藤村忠寿さんがいて、翌年の1996年10月から深夜番組『水曜どうでしょう』が始り、深夜23時の放送にも関わらず、視聴率18.6%を記録する人気番組をなり北海道で大人気となりました。
1997年にはテレビ朝日系のバラエティ番組『パパパパパフィー』で初の全国、準レギュラーデビューしましたが、東京では全く知名度がなかったため、大スベリし『もう東京に来るのはやめよう』と心が折れたといいます。
大泉洋のブレイクのきっかけは?
2003年に鈴井貴之監督の映画『river』で映画初主演。
2004年5月のサンシャイン劇場で行われた『TEAM-NACS』の東京公演で本格的に東京に進出。
ブレイクのきっかけは、2005年1月から放送開始した、始めて出演した全国ネットのドラマ『救命病棟24時(第3シリーズ)』でした。
看護師の佐倉亮太 役でレギュラー出演し、2005年3月29日の『救命病棟24時 アナザーストーリー』で主演を務め、
第44回ザテレビジョンドラマアカデミー賞・新人俳優賞
を受賞。
翌年の2006年1月に放送されたフジテレビ系『おかしなふたり』でドラマ初主演。
2009年7月から放送された日本テレビ系『赤鼻のセンセイ』で連続ドラマ初主演を果たしましました。
大泉洋の結婚歴や妻は?
大泉洋さんの結婚歴は1度で、離婚歴はありません。
結婚したのは2009年5月、36歳の時でした。
妻は3歳年上でフジテレビプロデューサーだった中島久美子さん。
長野県松本市出身、信州大学経済学部卒業。
信州大学時代の同級生には佐藤二朗さんがいました。
1992年にフジテレビ入社、人事部、調査部、映像企画部などを経て、1999年に編成制作局ドラマ制作センターに異動し、後に同センター副部長となりました。
2005年に中島久美子さんがプロデュースを担当した『救命病棟24時(第3シリーズ)』で出会い、2006年に大泉洋さんが初主演を努めた『おかしなふたり』でも中島久美子さんがプロデュースを手掛け、2008年の『ロス:タイム:ライフ』での再開後、大泉洋さんがプライベートの相談をするようになったことがきっかけで、交際がスタートしました。
中島久美子さんは結婚後はドラマ制作の現場を離れ、アナウンス室、広報局で勤務。
2022年3月31日に早期退職者制度でフジテレビを退社しました。
大泉洋の子供は何人?
大泉洋さんの子供は娘が1人。
2011年5月に長女が誕生しました。
娘が生まれた時、大泉洋さんは38歳でした。