東京都出身の大竹しのぶさん。
経歴や高校、大学などの学歴は?
女優になったきっかけは?
結婚歴、離婚歴がありますや夫は?
子供は息子と娘?
今回は女優の大竹しのぶさんをリサーチしてみました。
目次
大竹しのぶの経歴や高校、大学などの学歴
名前 大竹しのぶ
生年月日 1957年7月17日
出身 東京都江戸川区
身長 158cm
所属 エスター
小学校・毛呂山町立毛呂山小学校
中学校・毛呂山町立毛呂山中学校 → 江戸川区立葛西第二中学校
高校・東京都立小岩高校
大学・桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科(中退)
父親は東京電力に勤務していましたが、後に高校の数学教師に転職。
5人兄弟で一男四女の三女。
東京都で生まれましたが、大竹しのぶさんが小学校1年生の時、父親が結核になり空気のよい埼玉県入間郡毛呂山町に移住。
この時、父親は高校の数学教師になりました、
小学校は毛呂山町立毛呂山小学校、中学校は毛呂山町立毛呂山中学校に通いました。
小学校時代は父親に変わり母親が母親が働き、給食費も払えないほど貧しかったといいます。
しかし、小学校2年生から学級委員長になり、給食費を集める役目が嫌で仕方がなかったそうです。
中学2年生の時に東京都に戻り、江戸川区立葛西第二中学校の編入。
その後は東京都江戸川区で育ちました。
中学時代は体操部に所属。
高校は東京都立小岩高校に進学。
東京都立小岩高校は東京都江戸川区にある男女共学の都立高校で現在の偏差値は55。
高校時代はバレーボール部に所属。
高校1年生の時に女優として芸能活動を始めました。
高校卒業後は桐朋学園大学短期大学部演劇専攻科に進学。
高校時代は芸能人にどこか偏見があったといいます。
『普通に学校に行って普通の部分を持ってないと、おかしくなるんじゃないか』
引用 https://www.nhk.or.jp/
予備校にも通ったそうです。
大学は2つの大学を受験。
某六大学の二部(夜学)も受けましたが不合格。
その後、仕事が忙しくなったせいか、大学中退したようです。
大竹しのぶが女優になったきっかけ
大竹しのぶさんが女優デビューしたのは高校1年生の時にオーディションに合格し芸能界入りしました。
きっかけは当時のアイドルグループ『フォーリーブス』のファンだったことでした。
大竹しのぶさんが受けたオーディションは、フォーリーブスの北公次さん主演のテレビドラマ『ボクは女学生』にて、北公次さんのの相手役の公募で、北公次さんのファンだった大竹しのぶさんは、『コーちゃんに会えるかもしれない』という思いから、オーディションに参加したそうです。
オーディションは5300人に参加し、大竹しのぶさんは合格しましたが、北公次さんの相手役ではなく、その他大勢での合格だったそうです。
1973年10月、フジテレビ系ドラマ『ボクは女学生』で女優デビュー。
16歳の時のデビューでした。
大竹しのぶ 朝ドラでヒロイン
大竹しのぶさんは1975年4月から放送されたNHK朝の連続テレビ小説『水色の時』の医大生を目指すヒロイン・松宮知子 役をオーディション勝ち取り出演しました。
オーディションに合格した当時は高校2年生でした。
同作の脚本を担当した映画監督の石森史郎さんの話しでは、オーディションの最終選考に残ったのは15人でしたが、NHK側は最初から大竹しのぶさん以外の人にヒロインを決めていたといいます。
『他の14人に比べて大竹だけが背が低くてガニ股』
引用 https://www.news-postseven.com/
これがイメージに合い、台本を読ませると大竹しのぶさんはメージ通りの芝居をこなしたそうで、石森史郎さんは大竹しのぶさんを強く推したそうですが、NHK側とは大喧嘩になったそうです。
大竹しのぶさんは都立高校に通いながら撮影しました。
それまで朝ドラは1年間の放送でしたが、大竹しのぶさんがヒロインを務めた『水色の時』から半年になったことと、火曜日と水曜日が収録が休みで授業に参加できたため、なんとか学校に許可をもらい、学校の勉強と収録を両立したそうです。
撮影時は17歳で当時の朝ドラ歴代最年少のヒロインでした。
大竹しのぶの結婚歴や夫は?
大竹しのぶさんの結婚歴は2回。
最初の結婚は1982年。
25歳の時でした。
元夫はTBSプロデューサーだった服部清治さん。
年齢は17歳年上で離婚歴もあり、結婚時42歳でした。
馴れ初めは1980年10月から放送されたTBS系ドラマ『恋人たち』。
このドラマで服部晴治さんは演出を担当しました。
大竹しのぶさんが23歳の時に出会い、出会って1年ぐらいで交際に発展したそうです。
交際は週刊誌の格好のネタとなり、周囲には交際に反対されたそうですが、大竹しのぶさんは結婚に迷いはなかったそうです。
しかし、結婚して一年にも満たない頃に夫にガンが発覚。
医師からは『余命1年』と宣告されました。
当時は今ほどがん治療が発達していなかったため、告知しないことも多く、大竹しのぶさんも告知はしなかったそうです。
夫は一時的に仕事に復帰をしますが、がん発覚から4年後の1987年、大竹しのぶさんが30歳の時に亡くなりました。
大竹しのぶと明石家さんまの馴れ初め
大竹しのぶさんが明石家さんまさんと遺恨したのは1988年9月。
馴れ初めはドラマでの共演。
1986年7月から放送されたTBS系ドラマ『男女7人夏物語』で共演して出会いました。
同ドラマは最高視聴率31.7%を獲得し。翌年の1987年10月からは続編の『男女7人秋物語』が放送され、最高視聴率は36.6%を記録しました。
『男女7人秋物語』放送前のの1987年4月には生放送のトーク番組『男女7人夏物語評判編』が放送され、放送日は医師から前夫である服部晴治さんのの余命を医師から聞いた日で、憔悴しきった大竹の顔が画面に映し出されていたそうです。
大竹しのぶさんと明石家さんまさんは友人関係となり、明石家さんまさんについて、
『夜眠れない時に、いつも必ず電話の相手をしてくれた』
『2時でも3時でも4時でも』
と後に振り返っています。
明石家さんまさんは元夫の服部晴治さんとも交流があり、『男女7人秋物語』のクランクイン前に明石家さんまさんに、
『自分が体調悪く遊べない分、しのぶのことをどうぞよろしくお願いします』
との手紙を渡していたことも、後に明かされています。
結婚時、大竹しのぶさんは31歳、明石家さんまさんは33歳でした。
大竹しのぶと明石家さんまの離婚理由
大竹しのぶさんと明石家さんまさんが離婚したのは1992年9月。
結婚生活はちょうど4年でした。
離婚の理由について当時の記者会見で、
『仕事に対する考え方の違い』
と語りました。
2021年5月の毎日放送ラジオ『ヤングタウン土曜日』では離婚について、
『考えてみたら、仕事を辞めることが条件で結婚して。仕事を始めたんで「これは違うぞ」というのでケンカになったり、それもあるんです。仕事辞めるっていう条件で結婚して、仕事始めるって言うのでもめごとが起こって離婚につながんねん』
と話しました。
大竹しのぶの子供は息子と娘
大竹しのぶさんの子供は2人。
息子と娘です。
服部清治さんとの間に長男の二千翔(にちか)さんが1985年1月
明石家さんまさんとの間に長女のいまるさんが1989年9月
に生まれました。
長男の二千翔さんはWeb制作会社を経営しているそうです。
長女いまるさんは『IMARU』の名前でモデル、タレントとして活動しています。
離婚した時、二千翔さんは7歳、いまるさんは3歳でした。
2人の子供は離婚後は大竹しのぶさんが親権を持ち引き取りましたが、明石家さんまさんが要求した子供との面会交流の回数は『月30回』。
これはお互いに会いたいときに会うということで、大竹しのぶさんもこれに同意したそうです。