韓国で活躍したことでも知られる俳優の大谷亮平さんの学歴や経歴は?
芸能界入りのきっかけや韓国デビューのきっかけは?
結婚歴や妻、子供は?
今回は俳優の大谷亮平さんをリサーチしてみました。
大谷亮平の学歴・経歴
名前 大谷亮平
生年月日 1980年10月1日
出身 大阪府吹田市
身長 180cm
血液型 O型
所属 アミューズ
父親、母親、2歳年上の姉と6歳年下の妹の5人家族。
父親は会社員、母親は小学校の教師でした。
幼少期からピアノを習っていましたが、恥かしがりや屋で小学生の時の発表会で、緊張から頭が真っ白になり、先生の助けもあり最後までなんとか演奏できましたが、以降は人前で演奏することができないといいます。
子供の頃からスポーツが好きで、野球やドッジボールをやっていましが、それを見た近所おばさんに、
『うちの娘もやっている、バレーの練習に来ない?』
と誘われ、小学4年生の時にバレーボールを始めました。
入ったチームはスパルタ指導でビンタも飛んできたといい、一度入ったら辞められない厳しいクラブだったといいます。
中学校は吹田市立西山田中学校を卒業。
小学生の時のバレーボールクラブのメンバーは全員バレーボール部に入部し、大谷さんも入部しました。
中学時代に身長が一気に伸び、チームではエースアタッカーとして活躍。3年生の時には大阪大会で優勝し、全国大会にも出場しました。
『大阪ではスター選手扱いだったので、いずれは全日本の選手になってオリンピックへ……と、当時は本気で思っていました。』
高校は清風高校に進学。
大阪府大阪市天王寺区石ヶ辻町にある私立の男子校で、偏差値は61~71。
バレーボールの強豪校で、スポーツ推薦で入学しました。
『一度くらいは日本一を経験してみたいと考えたことがあったんです。そのためには、国体に大阪代表として先発で出るしかない。それでセッターに転向しました。』
大谷さんの身長は180cmで、中学時代はエースアタッカーでしたが、高校に入ると周囲には190cmを超える選手ばかりだったこともありセッターに転向。
3年生の時には主将を務め、大阪代表選抜チームにも選出。選抜チームでも主将を務め、国体に出場ましが3回戦敗退。
全国の強豪選手に全くついていけず、全国のレベルの高さを思い知らされ、鼻をへし折られたといいます。
高校卒業後は亜細亜大学に進学。
東京都武蔵野市境5丁目にある本部がある私立大学で、偏差値は偏差値45~59。
大学もスポーツ推薦で入学しました。
『今まで勉強していないからスポーツ推薦で行くしかない。それで東京の大学に推薦で入りバレー部に入部するのですが、レギュラーにもなれず、惰性でバレーを続けていた感じでした。』
大学時代はバレーボール選手になることは諦めていて、両親は体育の先生になって欲しいと思っていたので教員免許取得も考えましたが、しっくりこなかったといい、大学卒業後は就職せずに、いくつかのアルバイトを掛け持ちしていました。
大谷亮平の芸能界デビューのきっかけ
大学を卒業してすぐの頃に、アルバイト先の喫茶店のモデルをしていた先輩に、
『普通の体型の人もたくさんいるから、大谷くんなら絶対いけるよ』
と言われ、男性モデルは185cmくらいないと無理だと思っていたことから、半信半疑でモデル事務所の人に会ってみるとすんなり所属が決まり、広告の仕事でモデルデビューしました。
大谷亮平の韓国デビューのきっかけ
モデルの仕事は始めて間もなくの2003年、たまたま受けた韓国の「ダンキンドーナツ」のオーディションに合格。大谷さんは当時、「ダンキンドーナツ」の名前さえ知りませんでしたが、韓国では大谷さんの前のCMではイ・ビョンホンさんがやっていたほど、韓国では有名で、
『次のキャラクターは韓国で知られていない人にしよう』
ということから、アジアでオーディションが行われ、監督に気に入られた大谷さんが合格したそうです。
韓国で12年間活躍
CMの撮影後、韓国に詳しい友達には、
『そのCMに出たらスター街道まっしぐらだよ』
と言われ、韓国のCMの撮影スタッフにも
『亮平の顔は韓国ではみんなが知っているから』
と言われましたが、日本に住んでいたため半信半疑だったといいます。
CM放送後に韓国に渡り、明洞でCMの巨大ポスターが貼られていると聞いて記念撮影を撮ろうと向かうと、いきなりたくさんの人に「ダンキン、ダンキン」と言われ囲まれてしまったといい、初めて反響の大きさを実感したそうです。
本格的に韓国からオファーがあり身体ひとつで韓国に渡り、韓国の事務所に所属。事務所に言われて、て語学堂に通ったが、全くついていけず中退。その後は街に行きつけの店を作り、お酒を飲みながら実践で言語を身につけたといいます。
現代自動車、KTFオリンパス、SKテレコムなどのCMに出演し人気を獲得し、2006年からはシチュエーション・コメディ番組『ソウルメイト』に役を得て出演。
以降は韓国で俳優として活動し、ドラマを中心に映画にも出演し、2014年には
韓国ドラマアワード2014・グローバル俳優賞
を受賞しました。
『やっぱり言語がネイティブじゃないから、重要なキーとなる役であっても、メインを演じることができない。外国人をメインにしてもらうのはこの先も無理だろうなと限界を感じたときに、日本からお話をいただいて。』
2015年に釜山国際映画祭でアミューズのスタッフと出会い、翌年の2016年にアミューズに所属し、同年4月にフジテレドラマ『ラヴソング』で日本デビュー。
同年10月にはTBSの『逃げるは恥だが役に立つ』で連続ドラマ初レギュラー出演し、同ドラマでブレイク。
2019年3月にはフジテレビドラマ『GHOSTTOWN』でドラマ初主演を果たしました。
大谷亮平の結婚歴や妻、子供は?
大谷亮平さんに結婚歴はなく、妻、子供はいません。(2024年現在)
過去に結婚願望はあると話し、2017年1月の36歳の時には、
『(結婚願望は)普通にあります。でもまだ、いつかは……くらいにしか思っていません。』
と話し、2018年6月にはテレビ番組で、韓国時代に交際していた女性がいたことを明かしています。
『そうなると結婚するしかないじゃないですか。遠距離で付き合うというのはないので』
日本での仕事が始まろうしていた時には結婚の話しも出ましたが、結婚には至らず破局したそうです。