東京都出身の歌手、タレント、実業家・佐良直美さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
芸能界入りしたきっかけは?
結婚歴や夫、子供は?
キャッシーとの関係は?
今回は歌手の佐良直美さんをリサーチしてみました。
佐良直美の学歴・生い立ち・経歴
名前 佐良直美
生年月日 1945年1月10日
出身 東京都世田谷区
血液型 A型
中学校・田園調布雙葉中学校
高校・・田園調布雙葉高校
大学・・日本大学芸術学部
生名は山口 納堡子(やまぐち なほこ)ですが、現在は戸籍名を芸名と同じく佐良直美に改名しています。
祖父は化学機械メーカー・巴工業の創業者・山口四郎さんで、裕福な家庭に育ちました。
中学校は田園調布雙葉中学校、高校は田園調布雙葉高校を卒業。
田園調布雙葉中学校・高校は、東京都世田谷区玉川田園調布にある私立の女子校で、お嬢さま学校として知られています。
田園調布雙葉中学校の現在の偏差値は65で、完全中高一貫制のため高校の生徒募集はありませんが、慶応大学などにも毎年多くの合格者を出す高校で、大学合格実績などからの推定偏差値は65。
高校卒業後は、日本大学芸術学部にに進学し、卒業後は歌手デビューしました。
佐良直美が芸能界入りしたきっかけは?
佐良直美さんは音楽番組のディレクターを目指し、日本大学芸術学部に進学しましたが就職出来ず、米軍キャンプなどで歌を歌うようになり、その後、ライブハウス『日航ミュージック・サロン』でも歌うようになりました。
『すごく歌の上手い女の子がいて、それが佐良直美だったんですけど、あるとき「プロにならないの?」と聞いたら「なりたいです!」というので、いずみたくの事務所(オールスタッフ音楽出版社)に預けて、それでレコード大賞を受賞するわけです。』
引用 https://www.musicman.co.jp/
『日航ミュージック・サロン』でテレビディレクターにスカウトされ芸能界入りしました。
佐良直美 デビュー曲が大ヒット
1967年5月15日、22歳の時に『世界は二人のために』にで歌手デビュー。
同曲はオリコンチャート2位にランクインし、累計120万枚の大ヒットを記録。
同年の第9回日本レコード大賞で新人賞を受賞し、大晦日の『第18回NHK紅白歌合戦』に初出場。
紅白歌合戦には1979年までに13回出場しています。
1968に『世界は二人のために』は第40回選抜高等学校野球大会の入場行進曲に採用されました。
1969年7月15日に発売された8枚目のシングル『いいじゃないの幸せならば』は第11回日本レコード大賞・大賞を受賞し、橋幸夫さんに続いて史上二2人目の新人賞と大賞の2冠を達成。
歌手としてだけではなく、作曲家としても活動し、バラエティ番組で司会を務めるなどタレントとしても活躍しました。
佐良直美の結婚歴や夫、子供は?
佐良直美さんに結婚歴はなく、夫、子供はいません。
熱愛の噂もなかったようです。
佐良直美とキャッシーとの関係は?
佐良直美と検索すると『キャッシー』のワードが出てきます。
キャッシーさんは1970年代に活動していた、タレント、女優で、1950年10月4日生まれ。
佐良直美さんの5歳年下。
1980年5月に、テレビ朝日のワイドショー番組『アフタヌーンショー』で、
『キャッシー涙の告白!! 佐良直美との愛の破局』
と題して、佐良直美さんとの同性愛関係を暴露しました。
当時は現在よりも同性愛はタブーだった時代だった上に、、
『佐良の親族の手で別れさせられた』
と話したことで、世間に大きな衝撃を与えたといいます。
キャッシーさんは騒動後、ハワイに移住し、1981年にアメリカ合衆国・ハワイのプロレスラー、ヒロ佐々木さんと結婚していました。
佐良直美さんはこのことで大きなダメージを受け、仕事は激減し、1987年ごろから歌手業を含めた芸能活動を長期休業し、実業家へ転身しました。
2010年9月には27年ぶりに歌手復帰しています。