ギャランドゥ、YOUNG MANなどのヒット曲で知られた西城秀樹さんの学歴や経歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や妻は?
死因や晩年は?
子供もは息子がいて芸能界デビューしてるようです。
今回は歌手の西城秀樹さんをリサーチしてみました。
西城秀樹の学歴・経歴
名前 西城秀樹
生年月日 1955年4月13日
出身 広島県広島市東区
身長 182cm
血液型 AB型
所属 アースコーポレーション
父親、母親、9歳歳年上の姉、2歳年上の兄の5人家族。本名は木本 龍雄(きもと たつお)。い
父親は不動産関係の仕事していて、バッティングセンター、ビリヤードとパチンコが一緒になった娯楽施設や飲食店などの事業もしていました。
父親は厳格で義理人情に厚い人でししたが、子供の頃は怒られた思い出しかないといい、母親は優しくも芯の強い人だったといいます。
小学校は広島市立尾長小学校、中学校は広島市立二葉中学校を卒業。
音楽が好きだった父親や兄の影響で、小学3年生からエレキギターを習い、その後はドラムやベースも習いました。
5年生からは中学になった兄とバンド『ベガーズ』を結成。担当はドラムとハモリでした。
中学時代は美術部に所属し、学校内の絵画コンテストでは毎回入選していました。
バンド活動も続け、中学1年生の時には3年生だった兄と文化祭で演奏を披露しましたが、兄の卒業と同時に『ベガーズ』は解散
その後は仲間と『ジプシー』を結成しボーカルを担当。ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテストに出場すると中国大会で優勝しました。
高校は山陽高校に進学。
広島市西区観音新町にある男女共学の私立高校で、現在の偏差値は40~51。
高校時代もバンド活動を続け、高校在学中に出デビューが決定し上京。高校は明治大学附属中野高校・定時制に転校。
東京都中野区東中野三丁目にある男女共学の私立高校で、定時制は2003年に廃止になっています。
高校卒業後は大学などには進学せずに芸能活動に専念しました。
西城秀樹がデビューしたきっかけは?
西城秀樹さんのデビューのきっかけはスカウトでした。
高校入学後にバンド『ジプシー』でライブ活動を続けながら、ビアガーデンなどで演奏するアルバイトしていると、1年生の時に当時の広島の音楽シーンの中心だったライブハウス『パンチ』から声がかかり、レギュラーバンドとして出演。
このことがきっかけで西城さんはスカウトされました。
当時はロックバンドでドラマーになることが夢で歌謡曲には興味はありませんでしたが、尾崎紀世彦さんの『また逢う日まで』を聴いて歌謡曲のイメージが一変し歌手になることを決意。
厳格だった父親は大反対しましたが、高校1年の2学期、15歳で家出同然で上京。
母親は内緒で見送ってくいれたといいます。
上京後は中目黒のスカウトしてくれた人の家に居候しながら、デビューに向けてレッスンに通っていました。
西城秀樹 デビュー後
1972年3月25日、16歳の時にシングル『恋する季節』で歌手デビュー。
オリコン最高42位でした。
1973年5月に発売した5枚目のシングル『情熱の嵐』が6位になり、9月に発売した6枚目の『ちぎれた愛』が初の1位を獲得。
同年11月にはに『ハウス バーモントカレー』のCMに出演し、「ヒデキ、カンゲキ!」のセリフは西城さんの代名詞になりました。
1974年1月からドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS)にレギュラー出演。平均視聴率31.3%を記録し俳優とても活躍。
同年8月に発売した10枚目のシングル『傷だらけのローラ』で『第25回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしました。
1979年2月に発売した『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』は、オリコンチャートで5週連続1位を獲得。
1983年2月の『ギャランドゥ』では日本レコード大賞で6年連続となる金賞を受賞しました。
西城秀樹の結婚歴や妻は?
西城秀樹さんの結婚歴は1度で、2001年5月、46歳の時に結婚しました。
妻は18歳年下でOLだった美紀さん。馴れ初めはお見合いだったといいます。
美紀さんが大阪のコンサルタント会社に就職して5年目に、突然、父親に大阪にあるステーキハウスに連れて行かれ、そこで出会ったのは西城さんでした。
訪れたステーキハウスは西城さんの姉が経営していて、美紀さんの父親と西城さんの姉が親しかったことから、2人に伝えることなくお見合いをセッティングされたそうです。
西城さんと美紀さんは初対面ながら、年齢差を感じないほど意気投合しデートを重ね、3ヵ月後のクリスマスイブに西城さんの告白で交際がスタート。
交際期間約5ヶ月で結婚に至りました。
西城秀樹の子供は息子で何人?
西城秀樹さんの子供は3人で、娘が1人と息子が2人です。
2002年6月に長女の莉子(りこ)さん、2003年9月に長男の慎之介(しんんおすけ)さん、2005年1月に次男の悠天(ゆうま)さんがが生まれています。
長男の木本慎之介さんは2023年11月にイベントの出演し、芸能活動を始めています。
西城秀樹の死因と晩年
西城秀樹さんは2018年5月16日に63歳で死去。
死因は急性心不全でした、
西城さんは結婚して数ヵ月後の2001年秋に、体にに異変から検査を受けると脳梗塞と診断。
1週間ほどの入院で退院し後遺症もありませんでしたが、2003年6月、韓国・済州島に滞在中に2度目の脳梗塞を発症。
この時は1度目とは比べられものにならないほど重く、隠し通すことはできませんでした。
リハビリの末、軽度の言語障害の後遺症は残りましたが、2006年9月に復帰。
没後に妻の美紀さんが出版した著書で、西城さんは1996年頃に糖尿病の診断を受け、インスリンを投与していたこと、脳梗塞は「隠れ脳梗塞」を含めると計8回発症していたこと、2014年には脳の神経細胞が徐々に脱落する「多系統萎縮症」の診断を受けていたことが明かされました。