真田広之さんは東京都出身のは俳優。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
千葉真一との関係は?
結婚した妻との馴れ初めは?
離婚理由や再婚は?
子供はいる?
今回は俳優の真田広之さんをリサーチしてみました。
目次
真田広之の学歴・生い立ち・経歴
名前 真田広之
生年月日 1960年10月12日
出身 東京都
身長 170cm
所属 ザ・リブラインターナショナル
小学校・品川区立大井第一小学校
中学校・品川区立伊藤中学校
高校・堀越高校
大学・日本大学
東京都品川区出身。
本名は下澤は廣之(しもざわ ひろゆき)。
父親は小学5年生の時に癌で他界。
母親は美容師。
小学校は品川区立大井第一小学校、中学校は品川区立伊藤中学校を卒業。
5歳の時に劇団ひまわりに入団。
中学では剣道部に入部。
15歳の時に母親の勧めで日本舞踊の玉川流に入門。
後に玉川流の名取となり『玉川大輔』の名を受けています。
子供の頃から子役として活動し、高校は堀越港高校に進学。
高校時代には学業に専念し、一時芸能活動から離れ、大学は日本大学芸術学部映画学科に進学し卒業しました。
真田広之が俳優になったきっかけ
真田広之さん住んでいたマンションに俳優の高田浩吉さんが住んでいて、高田浩吉さんの息子と遊んでいたところ、マンションに出入りしていた芸能関係者にスカウトされ、幼児向け雑誌のモデルなどを経て、5歳の時に『劇団ひまわり』に入団しました。
1966年10月公開の映画『浪曲子守唄』で子役デビュー。
主演は千葉慎一さんで真田広之さんは息子役でした。
真田広之さんは当時6歳。
同映画はヒットし1967年までに3作制作されました。
真田広之と千葉真一の関係
真田広之さんはデビュー映画で千葉真一さんと共演し、その頃から真田広之さんの勘のよさと身体能力の高さを見抜いて、大いに可愛がったそうです。
中学で剣道部に入部後、千葉真一さんの主宰する『ジャパンアクションクラブ(JAC)』の稽古にも参加。
千葉真一さんから許可され、13歳の時にJACの最年少メンバーとして入団しました。
『練習はキツかったけどその苦しみが楽しみでもあった。大人と同じ扱いをしてもらえるうれしさのほうがはるかに勝っていた』
引用 https://natalie.mu/
JACの稽古は週6日で自宅にに帰るのは23時を越えていたそうです。
当初は下沢広之の名義で活動していましたが、1978年からは千葉真一の命名で真田広之を名乗るようになりました。
千葉真一さんの『真』と千葉真一さんの本名の前田禎穂から『田』を組み合わせての命名でした。
『映画のほか、テレビドラマやCM、レコードデビューと、真田さんは着々と売れていきました。しかし、どんなに働いても、真田さんの月収は100万円ほど。若かった彼は「このギャラではやっていけません」と、千葉さんに直訴したのです。』
引用 https://jisin.jp/
千葉真一さんには、
『なら辞めろ!』
と言われたといい、1989年に真田広之さんはJACから独立。
千葉真一さんは自身が命名した『真田』の芸名も返すように求めましたが、真田広之さんはこれを拒否。
以降、真田広之さんと千葉真一さんは絶縁状態で、ある大物俳優の法事の席で2人が顔を合わせた時に、真田広之さんが挨拶しても千葉真一さんは見て見ぬふりだったといい、結局、晩年まで千葉真一は真田広之さんの名を口にすることなかったといいます。
しかし、千葉真一さん亡くなった後に営まれた『偲ぶ会』には発起人のひとりとしてに真田広之も名を連ねました。
真田広之 アクションスター・アイドル俳優
1978年7月から放送されたテレビ朝日系ドラマ『宇宙からのメッセージ・銀河大戦』でドラマ初主演。
同月公開の映画『宇宙からのメッセージ・銀河大戦 劇場版』で映画初主演。
1980年11月公開の映画『忍者武芸帖 百地三太夫』でも主演し、アイドルとしても売り出され、同月に同映画の主題歌『風の伝説/他に何がある』をリリースし歌手デビューもしています。
翌年に1981年には少女向けティーン誌から火がつきアイドル俳優として人気を獲得し、同年6月公開の映画『魔界転生』で沢田研二さんとのキスシーンでも話題になりました。
1982年の香港映画『龍の忍者』での主演で初めて海外に進出。
真田広之 演技派俳優として
1984年10月公開の主演映画『麻雀放浪記』の演技で、
第8回日本アカデミー賞 優秀主演男優賞
を受賞。
1983年1月から放送されたTBS系ドラマ『高校教師』に主演し最高視聴率33.0%を記録し幅広い世代からの認知を得ました。
1999年から2000年にかけて、イギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニー公演の蜷川幸雄演出『リア王』に史上初にして唯一の日本人キャストとして出演。
2002年11月公開の主演映画『たそがれ清兵衛』で、
第26回日本アカデミー賞 最優秀主演男優賞
を受賞しました。
真田広之 ハリウッド進出はいつから?
2002年に『たそがれ清兵衛』がアカデミー外国語映画賞にもノミネート。
翌年の2003年公開の映画『ラスト サムライ』に出演したことで日本を代表する俳優の一人となりました。
2005年からロスアンゼルスに拠点を移し、2007年に映画『サンシャイン 2057』、『ラッシュアワー3』に出演。
ドラマでは2010年に『LOST ファイナルシーズン』、2011年には『リベンジ』に出演しました。
その後も映画を中心に活躍し、2021年には『MINAMATA-ミナマタ- 』、『アーミー・オブ・ザ・デッド』、『モータルコンバット』、『アーミー・オブ・シーブズ』など4本の出演映画が公開されました。
真田広之の結婚した妻との馴れ初めは?
真田広之さんが結婚したのは1990年8月。
29歳の時でした。
妻は女優の手塚理美さん。
年齢は1歳年下。
馴れ初めは時任三郎さんの紹介だったようです。
挙式は神田カトリック教会で時任三郎さん夫婦との合同結婚式が行われました。
真田広之の離婚理由や再婚は?
真田広之さんと手塚理美さんが離婚したのは1997年3月。
結婚生活や約7年でした。
『その原因は真田の不倫報道にあった。』
引用 https://www.nikkansports.com/
1995年に映画『写楽』で共演した葉月里緒奈さんとの不倫が報道されました。
その2年後に離婚。
慰謝料は1億円ともささやかれたそうです。
『男の人の浮気って仕方ないなというか。どうしても子どもが出来ると母親は子どもに意識がいってしまいますから』
引用 https://www.nikkansports.com/
2016年のテレビ番組で手塚理美さんは浮気に寛容な考えをみせ、当時離婚ではなく修復しか考えていなかったと話しました。
しかし、2年後に、
『私の気持ちばかり押し付けても先に進まない』
と話し合いの末に離婚に至ったと説明しています。
離婚後も年に数回、家族一緒に食事するなど良好な関係が続いているとも話し、復縁に気持ちもあるもののハリウッドで活躍する真田広之さんを『邪魔したくない』との複雑な思いもあることを明かしました。
真田広之さんも離婚後に再婚はしていません。
真田広之の子供は?
真田広之さんの子供は2人。
2人とも息子です。
長男の奨之(しょうの)さんが1991年
次男日南人(ひなと)さんが1995年
に誕生しています。