福岡県出身の早乙女太一さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
元妻の西山茉希さんとの結婚の馴れ初めは?
離婚理由は?
子供は娘で何人?
今回は俳優の早乙女太一さんについてリサーチしてみました。
早乙女太一の学歴・生い立ち・経歴
名前 早乙女太一
生年月日 1991年9月24日
出身 福岡県
身長 174cm
所属 LDH JAPAN
中学校・さいたま市立春野中学校
高校・進学していません
福岡県北九州市出身。
本名は西村太一(にしむら たいち)
父親、母親、5歳年下の弟、10歳下の妹の5人家族。
父親のの葵陽之助さんは大衆演劇劇団・劇団朱雀の座長。
母親の鈴花奈々さんは劇団朱雀の劇団員。
弟は俳優の早乙女友貴さん。
大衆演劇の一座に生まれ、小学校は毎月転校し、舞台に上がっていたことから、授業も2、3時間目ましか出られないことが多く、友達は1人もできなかったといいます。
多い時には年間20回も転校したそうです。
中学時代も転校を繰り返しましたが、卒業はさいたま市立春野中学校のようです。
中学の時に役者でやっていく決意をし、高校には進学しませんでした。
早乙女太一 流し目王子
早乙女太一さんが初めて舞台に立ったのは1995年の4歳の時。
ひと月ごとに場所を変えて公演し、毎日2回公演あり、1カ月のうち1日だけ休み。
その日のうちに車で次の場所に移動する生活した。
外の世界を知らなかったので、早乙女太一さんにとってはそれが当たり前で、日常の延長として舞台に立っていたといいます。
2003年9月公開の北野武監督映画『座頭市』に出演し映画デビュー。
2005年11月公開の北野武監映画『TAKESHIS’』にも本人の芸名でもある早乙女太一役で出演。
マスコミからは涼しげな眼差しから『流し目王子』とも呼ばれました。
2007年1月放送のNHKドラマ『堀部安兵衛』でドラマ初出演。
2022年1月から放送されたテレビ朝日系ドラマ『封刃師』で連続ドラマ初主演を果たしました。
早乙女太一と元妻の西山茉希との馴れ初めは?
早乙女太一さんと西山茉希さんが結婚したのは2013年6月。
21歳の時でした。
西山茉希さん6歳年上で、結婚時は27歳。
馴れ初めは西山茉希さんの元マネージャーが、早乙女太一さんのマネージャーになったことだといます。
仕事の現場で元マネージャーと会い、早乙女太一さんとの食事をセッティングされて出会ったそうです。
『なんかよく喋って、すごい八方美人で、本当のことなんか言ってないんだろうな』
早乙女太一さんは出会った当初はあまり良くない印象だったそうですが、いつの間にか親しくなっていったといいます。
2011年6月に交際がスタートし、同棲も開始。
2012年5月には路上ででのケンカが報じられました。
一度は同棲を解消しましたが、復縁して結婚に至ったといいます。
早乙女太一と西山茉希の離婚理由は?
早乙女太一さんと西山茉希さんが離婚したのは2019年6月。
結婚生活は6年でした。
離婚の理由については2人からはコメントされてはいません。
一部の報道では、
『早乙女が家事や育児に参加しないことに不満』
『西山の“おしゃべりな性格”が男のプライドを傷つけた』
とされています。
西山茉希さんおしゃべりとは、仲がよかった友人夫婦に家庭の悩みを何でも打ち明け、それを早乙女太一さんはは不愉快に思ったということのようです。
離婚時、早乙女太一さんは27歳、西山茉希さんは33歳でした。
早乙女太一の子供は娘で何人?
早乙女太一さんの子供は2人。
2人とも娘です。
長女が2013年10月
次女が2016年4月
に誕生しました。
離婚後の親権は西山茉希さんが持ちました。
離婚時、長女は5歳、次女は3歳でした。