『男はつらいよ』で寅さんの舎弟・源公役で知られる俳優の佐藤蛾次郎さんの学歴や経歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供は息子で俳優をしているようです。
今回は俳優の佐藤蛾次郎さんをリサーチしてみました。
佐藤蛾次郎の学歴・経歴
名前 佐藤蛾次郎
生年月日 1944年8月9日
没年月日 2022年12月9日(78歳没)
出身 大阪府高石市
身長 155cm
血液型 A型
所属 E・NESTO
本名は佐藤 忠勝(さとう ただかず)。父親は医師、4男7女の11人兄弟で10番目。
小学校は高石市立高石小学校、中学校は高石市立高石中学校を卒業。
同小中学校の卒業生にはJリーグ初代チェアマンを務めた川淵三郎さんがいます。
小学生の時には児童劇団に入団、中学時代は科学部に所属して、部長も務めました。
中学卒業後は高校には進学せずに、専門学校の日本電気技術専門学校に入学。
大阪市東淀川区にある専門学校で、1979年に改称され、現在の名称は日本理工情報専門学校です。
同校は卒業せず中退し、俳優の道に進みました。
佐藤蛾次郎が俳優になったきっかけは?
小学生の時に父親に連れられて時代劇映画を見て俳優に憧れ、1953年、小学4年生の時に姉が無断で、大阪朝日放送児童劇団の1期生募集に応募。
オーディションでは120人の中の6名の合格者に選ばれ入団し、子役としての活動を始め、翌年の1954年にラジオドラマ『風の又三郎』でデビューし1956年には『漫才長屋は大騒ぎ』で映画デビューしました。
男はつらいよに出演
中学卒業と同時に大阪朝日放送児童劇団は退団し、劇団アカデミーに入り本格的に俳優に専念。
それまでは本名の佐藤忠勝で活動していましたが、の1961年にテレビドラマ『神州天馬侠』で、泣き虫蛾次郎を演じたことから、芸名を佐藤蛾次郎にしています。
1968年10月から放送されたフジテレビ系ドラマ『男はつらいよ』に寅さんの父親違いの弟・川島雄二郎役で出演。
翌年の1969年8月から公開され映画『男はつらいよ』には柴又題経寺の寺男で寅さんの舎弟・源公 役で出演。
映画『男はつらいよ』シリーズでは欠かせない存在になり、2019年の最新作まで出演しました。
しかし、1971年の8作目『男はつらいよ 寅次郎恋歌』にはポスターに名前はあるものの出演はしていません。
理由は撮影開始の1週間ほど前に友人の車の助手席に乗っていた時に、友人がガードレールにぶつかる事故を起こし、佐藤さんは肋骨を5本骨折し2ヶ月間入院することになり、撮影にワンカットも参加出来なかったっそうです。
若い頃はアフロヘアーがトレードマークで、ドラマや映画の時代劇でもかつらはかぶらず出演し、アフロヘアーは売りの1つでした。
飲食店も経営し、1974年に新橋駅近くにスナック『撫子』を開店し、1977年に東京都中央区銀座移転を経て、1996年10月からは銀座でカラオケスナック『Pabu 蛾次ママ』を妻と開店しました。
同スナックは2020年12月にコロナ禍の影響で、閉店しています。
佐藤蛾次郎の結婚歴や妻は
佐藤蛾次郎さんが結婚したのは1972年、28歳の頃でした。
妻は女優だった和子さん。
1969年から映画『男はつらいよ』に出演していましたが、まだお金がなく同棲をしていましたが結婚することはできず、それを見かねた渥美清さんなど主要キャストや監督が、1972年12月公開の『男はつらいよ』シリーズの10作目『男はつらいよ 寅次郎夢枕』では冒頭で、「お転婆のさっちゃん」という女性の花嫁役で和子さんを出演させた上、映画のセットを使って2人の結婚式も行いました。
和子さんは1996年からは銀座のカラオケスナック『蛾次ママ』を切り盛りしていましたが、2016年7月30日にに多発性骨髄腫のため68歳で亡くなっています。
佐藤蛾次郎の子供は息子で俳優
佐藤蛾次郎さんの子供は息子と娘の2人のようです。
1973年に長男、1975年に長女が誕生。
長男の佐藤亮太さんは俳優で、日本大学芸術学部映画学科演技コース卒業。
1996年に『交通調査員』(スカイパーフェクTV!)の主役でデビューし、翌年の1997年には映画『マルタイの女』に出演。
海外ドラマなどの吹き替えも担当していました。
2008年公開の映画『トミカヒーロー レスキューフォース 爆裂MOVIE マッハトレインをレスキューせよ!』の同時上映作『爆走!トミカヒーローグランプリ』では父との親子共演を果たしています。
近年は舞台を中心に活動しているようです。
佐藤蛾次郎の死因や晩年
2022年12月10日に東京都世田谷区の自宅浴室で風呂に浸かった状態で動かなくなっているのを親族が発見し、その場で死亡が確認され、その後、死亡日は12月9と診断されました。
死因は虚血性心不全とみられていいます。78歳没。