劇団東京ヴォードヴィルショー主宰者の佐藤B作さん。
嫁のあめくみちこさんとの馴れ初めは?
再婚のようですが、佐藤B作さんの結婚歴は?
子供は息子?
気になったので、佐藤B作さんについて調べてみました。
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佐藤B作の結婚歴は?
佐藤B作さんは3度の結婚歴があるようです。
「佐藤は劇団スタッフ、精神科医との結婚を経て、現在は座長を務める「劇団東京ヴォードヴィルショー」の女優・あめくみちこと結婚している。」
引用 https://www.daily.co.jp/
最初の結婚、離婚の時期ともに不明ですが劇団のスタッフ。
2度目の結婚は1973年、精神科医の幸子さんという女性と結婚。
幸子さんとの間に息子が生まれています。
1977年に生まれました。
しかし、1998年に沖縄でダイビング中に不慮の事故で亡くなっています。
事故当時、佐藤B作さん現場にいたわけではなく、事故の連絡はマネージャーからあったそうです。
電話で事故について理解はしたものの、マネジャーに
「ちゃんと伝えてくれよ」
と何度も聞き返したそうです。
理由は「言われていることを認めたくないから」と佐藤B作さんは話しました。
その後、沖縄に飛んで、警察署の安置所に置かれていかれ、幸子さんと対面しましたが、当時のことを
「本当に訳が分からなかったですね」
と話しています。
佐藤B作の嫁のあめくみちことの馴れ初めは?
あめくみちこさんとは2001年に結婚。
あめくみちこさんは1963年11月14日生まれで、佐藤B作さんの14歳年下。
佐藤B作さんは52歳、あめくみちこさんは38歳の時の結婚でした。
佐藤B作さんとあまくみちこさんの馴れ初め・出会いは佐藤B作さんの主宰する「劇団東京ヴォードヴィルショー」にあめくみちこさんが20歳の時に入団したことです。
結婚した理由について佐藤B作さんは、テレビ番組に出演した際に
「かみさんが亡くなったってことで、色々親切にしてくださいまして。」
と話しています。
佐藤B作の息子は銀平で俳優
佐藤B作さんの息子の名前は銀平さん。
1977年10月19日生まれ。
学習院高等科卒業後、学習院大学に進学しましたが中退し、サスペンデッズという劇団を設立。
2003年3月、TBS系月曜ミステリー劇場「世直し公務員ザ・公証人2」でドラマ初出演。
舞台中心に活動しながら、ドラマでは2時間ドラマや時代劇に出演しています。
声優もしており、2004年にフジテレビで放送された「サムライチャンプルー」では主人公のひとりジン役を演じました。
佐藤B作の学歴・経歴
名前 佐藤B作
生年月日 1949年2月13日
身長 164cm
出身 福島県福島市
所属 オフィスボードビル
佐藤B作さんは福島県福島市飯坂町育ち。
福島市飯坂町は温泉街
本名は佐藤俊夫
俊夫の名前は父親が「砂糖と塩」とかけた洒落で命名したといいます。
4人兄弟の長男。
両親は農家出身で実家は八百屋を経営。
小学校時代から成績が良く、習い事はソロバン、習字、英語や数学の塾にも通ってたといいます。
当時の夢は商社マン。
2歳年上幼馴染についていき、小学校4年の時から演劇部に所属。
中学時代は野球チームに所属。
高校は福島高校。
福島高校は福島県福島市にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は71
福島県ではトップの進学校です。
佐藤B作さんは高校時代、睡眠時間を削って受験勉強をして、大学は早稲田大学商学部に進学。
大学に入学当初は子供の頃からの夢だった、商社マンを目指し、大学に通っていましたが、1年生の時、映画「若者たち」を見て演劇を志して早稲田大学の演劇サークル「劇団木霊」に入団し演劇活動を開始。
劇団の同期には斉木しげるさんがいました。
当時盛んだった学生運動にも参加。
演劇の道に進むために、早稲田大学をやめると両親に宣言し大学を中退。
両親には勘当され仕送りはゼロになったそうです。
俳優育成をしている演技研究所に参加した後、劇団のオーディションを片っ端から受けますが福島なまりが抜けていなかったこともあり全て不合格。
高校の先輩のつてで、「自由劇場」に音声を担当する裏方として所属。
芸名の佐藤B作は当時、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元総理にちなんでつけたそうです。
害虫消毒やボウリング場のレーン清掃のアルバイトで生計をたてながら、1973年、30歳の頃、劇団東京ヴォードヴィルショーを結成。
1982年、TBS系の「欽ちゃんの週刊欽曜日」のレギュラー出演。
番組ではコントや番組で結成された「欽ちゃんバンド」ではバルブトロンボーンを担当。
「欽ちゃんの週刊欽曜日」は最高視聴率31.7%の人気番組となり、佐藤B作さんも全国的な人気を獲得しました。
以降はテレビドラマに多数出演。
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