東京都出身の演歌歌手・瀬川瑛子さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供はいる?
今回は演歌歌手の瀬川瑛子さんについてリサーチしてみました。
目次
瀬川瑛子の学歴・生い立ち・経歴
名前 瀬川瑛子
生年月日 1947年7月6日
出身 東京都
身長 168cm
所属 瀬川音楽事務所
小学校・世田谷区立代沢小学校
中学校・品川区立日野中学校
高校・・町田学園高校(現・品川エトワール女子高等学校)
大学・・大学には進学していません
東京都渋谷区出身。
兄弟は姉と弟。
父親は北海道出身の演歌歌手の瀬川伸さん。
2度の紅白歌合戦出場歴のある歌手です。
小学校は世田谷区立代沢小学校、中学校は品川区立日野中学校を卒業。
高校は町田学園高校に進学。
町田学園高校は2000年に改称され、現在は品川エトワール女子高校。
東京都品川区南品川にある私立の女子校。
現在の偏差値は40~43。
高校は卒業せずに中退。
大学などには進学していません。
瀬川瑛子が歌手デビューしたきっかけは?
瀬川瑛子さんが歌手になったのは演歌歌手だった父親の影響でした。
5歳の頃から姉と一緒に歌のレッスンを受けていたそうです。
歌を教えていたの父親で、幼い子供だった瀬川瑛子さんと姉は『女の情感』を求められ戸惑ったといいます。
瀬川瑛子 長崎の夜はむらさきがヒット
瀬川瑛子さんは幼少期から父親に歌のレッスンを受け、父親のステージで前座などの経験を経て、1967年4月に『涙の影法師』をリリースし歌手デビュー。
デビュー当時は19歳で、芸名は『瀬川 映子』でした。
当初はヒット曲には恵まれませんでしたが地道に活動し、1970年3月にリリースした7枚目のシングル『長崎の夜はむらさき』が50万枚のヒットを記録。
この曲がヒットしたことで、東京都出身ですが長崎県にキャンペーンに行った際に、長崎県出身と勘違いされてしまい、『違う』と言い出せなくなってしまったと2016年に明かしています。
瀬川瑛子 低迷と命くれないの大ヒット
1970年3月の『長崎の夜はむらさき』の以降ヒット曲に恵まれず低迷。
瀬川瑛子さんがの代表曲『命くれない』がリリースされたのは、16年後の1986年3月でした。
『命くれない』は39枚目のシングルで、発売時のレコード店からの予約枚数は『1860枚とちょっと』であったといます。
発売の翌年の1987年に入ってから徐々に有線で上位にランクされるようになり、1988年1月下旬に100万を突破。
累計では170万枚を売り上げました。
当時、38歳。
同曲にヒットで第38回NHK紅白歌合戦に初出場。
NHK紅白歌合戦には1996年までに4回出場しています。
瀬川瑛子の結婚歴や夫は?
瀬川瑛子さんの結婚歴は2回。
最初の結婚は1972年。
24歳の時でした。
夫は所属していたレコード会社の社員。
離婚したの1986年。
結婚生活は14年でした。
離婚時、瀬川瑛子さんは38歳ぐらいでした。
瀬川瑛子の再婚した夫は?
瀬川瑛子さんが再婚したのは1999年。
51歳の時でした。
夫はバックバンドを務めていたドラマーの清水武さん。
年齢は6歳年下。
挙式は目黒区の大島神社で行われました。
瀬川瑛子に子供はいる?
瀬川瑛子さんに子供がいるという情報はありませんでした。