大阪府出身お笑い芸人の・島田珠代さん
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
お笑い芸人になったきっかけは?
結婚歴や夫は?
子供は娘?
今回はお笑い芸人の島田珠代さんをリサーチしてみました。
島田珠代の学歴・生い立ち・経歴
名前 島田珠代
生年月日 1970年5月10日
出身 大阪府吹田市
身長 151cm
血液型 B型
所属 吉本興業
中学校・吹田市立山田中学校
高校・・大阪成蹊女子高校
大学・・大学には進学していません
実家は酒屋を経営、兄弟は姉がいるようです。
母親は書道の師範の免許を持っていて書道の先生になりたかったそうですが、酒屋を切り盛りするために断念、その変わりに娘の姉と島田珠代さんに4歳から書道を習わせたそうです。
姉妹で多くの書道の賞をとり、実家はトロフィーと賞状だらけで『鬼の島田姉妹』と言われていたといいます。
学校から帰ると母親にずっと練習させられ、いい字が書けるまで夕食は食べさせてもらえなかったそうです。
学校では大人しい子供でしたが小学2年生の時に、学校で書道指導をしていた先生に、字を褒められたことがきっかけで自信がついて明るい性格になり、家で家族だけに披露してたギャグを学校でもどんどんやるようになったそうです。
中学校は吹田市立山田中学校を卒業、高校は大阪成蹊女子高校に進学。
大阪成蹊女子高校は、大阪市東淀川区相川にある私立の女子校、偏差値は48。
「もともと将来は書道の先生になりたかったんですが、学校では休み時間になると、先生のモノマネや一発ギャグをしてクラスを渡り歩くような子だったんです。」
引用 https://b-mori.co.jp/
高校時代は書道の先生になりたいと思っていましたが、高校在学中に吉本興業に所属し、高校卒業後はお笑い芸人の道に進みました。
島田珠代がお笑い芸人になったきっかけは?
小学生の時からギャグなどを学校で披露していて、それは高校でも変わらず、それを見た友達が当時、関西で放送されていたお笑い番組『4時ですよーだ』の素人参加コーナーに勝手に応募。
『だから最初は「自分から」というより、割と「周りから」でしたね。』
引用 https://b-mori.co.jp/
番組で優勝し、心斎橋筋2丁目劇場のレギュラー権を獲得。
その後は学校の勉強もせずにずっとネタを書き、同級生にネタを広いして本番に挑みましたが、いざ舞台に立つと真っ白になり何も出てこなくて、客席からは『頑張ってコール』が巻き起こったといい、芸人として観客に同情されたのが恥かしくて、悔しくて泣きそうになったと話しています。
1987年、17歳で吉本興業に所属。
NSCには入っていませんが、NSC出身者では大阪6期生と同期となるそうです。
島田珠代 新喜劇で活躍
吉本新喜劇で、オンナを捨てたような下ネタ芸や壁にぶつけられる乱暴な芸で、1990年代初め頃から頭角を現し、その後は看板女優として活躍。
1992年、22歳の時に東京に進出し、『笑っていいとも!』の金曜日にレギュラー出演、1997年からTBS系『超!よしもと新喜劇』に出演し、山田花子さんと共に全国的に名前を知られるようになりました。
2001年からは新宿のルミネtheよしもとに出演し、看板女優として活躍。
2006年10月からは本家の吉本新喜劇に客演で復帰しました。
島田珠代の結婚歴や夫は?
島田珠代さんの結婚歴は2回、離婚歴も2回です。
最初の結婚は1998年4月、27歳の時。
相手は吉本興業の東京支部に努める社員の男性でした。
離婚したのは結婚7年目の2005年。
2度目の結婚は2007年8月、37歳の時。
相手は美術スタッフの男性。
2005年に出演した中部日本放送(CBC)の制作のドラマ『湯けむりウォーズ~女将になります~』がきっかけで出会い、約1年8ヶ月の交際を経て結婚しました。
しかし、夫に直腸がんが発覚し、余命5年と宣告。
夫は名古屋での仕事を辞め、家族で島田珠代さんの実家暮らましたが、ケンカが絶えない毎日が続き2013年3月に離婚、結婚6年目でした。
余命5年と宣告されましたが、夫は11年生き抜きました。
島田珠代の子供は娘?
島田珠代さんの子供は娘が1人。
2人目の夫との子供で、2008年6月に誕生しました。
『娘が生きる糧だからと、夫は3歳の娘を名古屋に連れて行った。』
引用 https://news.mynavi.jp/
離婚時、娘は4歳で親権は夫側が持ちました、
島田珠代さんは娘とは定期的に会っていて、夫が亡くなった後は、娘と同居していることは明かしています。