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清水宏保の結婚歴や妻は?子供はいる?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ちや金メダル数

北海道出身の元スピードスケート選手・清水宏保さん。

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

スピードスケートを始めたきっかけは?

オリンピックでの金メダル数は?

引退後の活動は?

結婚歴や妻は?

子供はいる?

今回は元スピードスケート選手の清水宏保さんをリサーチしてみました。

清水宏保の学歴・生い立ち・経歴

名前   清水宏保
生年月日 1974年2月27日
出身   北海道帯広市
身長   162cm
血液型  A型

 

清水宏保の学歴

小学校・帯広市立栄小学校

中学校・帯広市立帯広第一中学校

高校・・白樺学園高校

大学・・日本大学文理学部

父親は元自衛隊員で道路工事を担当し、後の自衛隊を辞め建設会社を設立。

小学2年生の時に父親は末期がんと診断され、『余命半年』を宣告されましたが、それから9年後の清水宏保さんが16歳、高校2年生の時に他界しました。

母親は父親が亡くなった後は、2年間土木作業員をした後、看護助手をしていました。

姉が2人、兄が1人いる4人兄弟の末っ子。

小学校は帯広市立栄小学校、中学校は帯広市立帯広第一中学校を卒業。

幼少期は喘息やアトピー性皮膚炎を患い、身体が弱い子供でした。

中学時代はスケート部に所属。

高校は白樺学園高校に進学。

白樺学園高校は、北海道河西郡芽室町北伏古東7線にある男女共学の私立高校で、現在の偏差値は42。

スピードスケートの強豪校で、2020年まで35度の日本一に輝いています。

高校総体では1000メートル、1500メートルで優勝。

父親が亡くなったのは、清水宏保さんの優勝を見届けた後でした。

高校3年生の時には、1992年アルベービルオリンピックの代表選考会に出場しましたが、喘息の発作が起きたたこともあり、4位に終わり落選。

高校卒業後は、日本大学文理学部に進学。

偏差値は52。

1993年2月、イタリア・バゼルガ・ディ・ピネで行われたスピードスケートW杯に18歳で初出場し初優勝という快挙を達成。

その後もの世界スプリントで総合3位に入りました。

大学卒業後は、三協精機、NECを経て、コジマに所属していました。

清水宏保がスピードスケートを始めたきっかけは?

『喘息で体が弱く、体力づくりの為に3歳でスケートを始める。』

引用 https://www.bs-asahi.co.jp/

姉がスピードスケートをやっていたこともあり、見よう見まねで滑り始め、3歳の時にスケートを習い始めました。

スケートを始めた大きな目的は、体を動かし肺を鍛えて、喘息を治すことでことでした。

父親の勧めでスケート以外にも、サッカー、剣道、柔道、レスリング、バスケットボールにも取り組んだといます。

清水宏保 オリンピックでの金メダル数は?

清水宏保さんは、1994年リレハンメルオリンピック、1998年長野オリンピック、2002年ソルトレークシティオリンピック、2006年トリノオリンピックと、4度の冬季オリンピックに出場。

1994年リレハンメルオリンピックでは500メートルで5位に入賞。

1998年長野オリンピックでは500メートルで、日本のスピードスケート選手としては初となる金メダルを獲得。

1000メートルでも銅メダルを獲得しました。

2002年ソルトレークシティオリンピックでは、500メートルで銀メダルを獲得。

2006年トリノオリンピックでは入賞はできませんでした。

4度のオリンピックで、金、銀、銅を1とつずつ獲得しました。

長野オリンピック後には所属していた、協精機を退社し、日本で初めての『プロ』(スピード)スケーターとなることを宣言し、NECがスポンサーとして名乗り出て、複数の企業とスポンサー契約を交わすプロアスリート活動を始めました。

2010年バンクーバーオリンピック代表選考会にも出場しましたが、代表は逃し、同年に現役を引退しました。

清水宏保の引退後

2010年5月、株式会社two.seven設立し、代表取締役就任。

2011年4月から、日本大学大学院グローバル・ビジネス研究科グローバル・マネジメント専攻に入学。

2012年に行われた第46回衆議院議員総選挙に、新党大地公認で北海道1区から出馬しましたが落選。

2013年3月に修士課程を修了し、その後、テレビ中継解説やテレビのコメンテーターとして活動

同年7月には札幌市に整骨院を開院。

2014年11月からは、リハビリ型通所介護施設リボンリハビリセンターを開設し、その後は通所介護事業所・訪問看護ステーション・定期巡回随時対応型訪問介護看護事業所・サービス付き高齢者向け住宅・スポーツジム複数店舗を開設。

代表取締役として経営しています。

清水宏保の結婚歴や妻は?

清水宏保さんの結婚歴は2回。

最初の結婚は2010年3月、36歳の時でした。

妻はモデルの高垣麗子さん。

1979年10月11日生まれで、年齢は5歳年下。

15歳でスカウトされ、1995年、『プチセブン』の専属モデルでデビュー、その後、『JJ』などの専属モデルを務めました。

馴れ初めは知人の紹介で、2006年9月に出会いました。

高垣麗子さんの趣味がフィギュアスケートということもあり意気投合し、交際に発展したそうです。

離婚したのは2011年12月、結婚から1年9ヶ月のスピード離婚でした。

『東京にあこがれ、染まってしまった自分の弱さから大切なものを失ってしまいました』

2016年7月にテレビ朝日系『しくじり先生 俺みたいになるな!』に出演して際に、結婚1年3ヵ月後の2011年7月に、写真週刊誌『フライデー』に銀座のクラブから出るところを報道され、これがきっかけで離婚したと話しました。

清水宏保の再婚した妻は?

清水宏保さんが再婚したのは2017年1月、42歳の時でした。

再婚相手は一般女性で、仕事関係で知り合ったといいます。

結婚は発表されず、同年7月にスポーツ紙で報じられた後に、ブログで再婚を報告しました。

清水宏保に子供はいる?

清水宏保さんの子供は娘が1人のようです。

2018年1月に長女が誕生しています。

長女が生まれた時、清水宏保さんは43歳でした。

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