大阪府出身の落語家・笑福亭鶴瓶さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
落語家になったきっかけは?
結婚や妻は?
子供は何人?
今回は落語家の笑福亭鶴瓶さんについてリサーチしてみました。
笑福亭鶴瓶の学歴・生い立ち・経歴
名前 笑福亭鶴瓶
生年月日 1951年12月23日
出身 大阪府
身長 173cm
血液型 O型
所属 デンナーシステムズ
小学校・大阪市立長吉小学校
中学校・大阪市立長吉中学校
高校・・浪速高校
大学・・京都産業大学(中退)
大阪府中河内郡長吉村(現在の大阪市平野区)出身。
本名は駿河 学(するが まなぶ)。
実家は梱包資材を扱う商店。
12歳年上の兄と3人の姉がいる5人兄弟の末っ子。
自宅は4軒長屋で、祖母も一緒の8人暮らしでした。
小学校は大阪市立長吉小学校、中学校は大阪市立長吉中学校を卒業。
高校は浪速高校に進学。
浪速高校は、大阪市住吉区住吉区山之内に」ある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は50~66。
高校時代にはボクシング部に入部しましたが、目をケガしてしまったことをきっかけに退部。
その後、落語研究会を創設。
引っ越し屋などのアルバイトもしていました。
大学は京都産業大学経済学部に進学。
京都産業大学は京都府京都市にある私立大学。
経済学部の現在の偏差値48。
大学時代は落語研究会に所属。
大学は卒業せずに中退しています。
笑福亭鶴瓶が落語家になったきっかけは?
笑福亭鶴瓶さんは中学生の時、落語家の2代目桂伸治さんの落語『堀の内』に魅せられて、学校の教室でクラスメートに我流の『堀の内』を披露。
高校2年生の時には友人2人と落語研究会を作り、大学でも落語研究会に所属し、高座名はし、童亭 無学(どうてい むがく)。
大学在学中に、6代目笑福亭松鶴さんに弟子入りしようと楽屋口で待ちましたが、『知らん人が見たらヤクザ』のような見た目の弟子が怖くて声をかけられず、1年後に自宅を訪れて弟子入りを頼み、1972年2月に11番弟子として入門。
20歳の時でした。
笑福亭鶴瓶 落語家に入門後
1972年9月に初舞台。
若手時代、笑福亭鶴瓶さんはアフロヘアーにオーバーオールという落語家らしくないスタイルを続けており、師匠から髪を切れと何度も言われていたといいます。
初のレギュラー番組は近畿放送の『丸物ワイワイカーニバル』。
以降、近畿・中京地区でラジオ・テレビを中心に活動。
1978年4月から始まったラジオ番組『ぬかるみの世界』で人気が上昇。
1982年10月から放送開始された『突然ガバチョ!』(毎日放送)の司会で注目され、1987年4月から『笑っていいとも!』にレギュラー出演。
2014年3月まで木曜レギュラーで出演しました。
1990年代以降は、司会者、俳優としても活動しています。
笑福亭鶴瓶 テレビ東京出禁
東京でも活動をし始めた1975年、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)の深夜番組『独占!男の時間』のリハーサルで披露したギャグを担当のプロデューサーに傲慢な態度で批判されたことの腹いせに、本番でテレビカメラが自身をアップで写すタイミングを狙ってカメラの前で股間を露出。
スタジオから強制的に退場させられ、1977年3月の最終回に司会者の山城新伍さんの計らいで特別に出演しましたが、山城新伍さんに、
『鶴瓶、今日でこの番組も終わりやしな。なにをやってもかめへんで。おまえの好きなようにやり。』
と言われると、テレビカメラの前で肛門を見せて逃走し、敷地内にあった池に飛び込み、当時の社長が大切に育てていた時価数百万円の錦鯉を踏み殺しました。
この暴挙を重く見た東京12チャンネルは、笑福亭鶴瓶さんを無期限の出入禁止に処し、再びテレビ東京に出演したのは、26年後の2003年、『きらきらアフロ』の東京収録でした。
笑福亭鶴瓶の結婚や妻は?
笑福亭鶴瓶さんが結婚したの1974年10月。
22歳の時でした。
妻は一般女性の玲子さん。
年齢は同い年。
出会ったの大学でした。
京都産業大学の推薦入試を受ける友人に付き添って行った時に玲子さんをと出会い一目惚れし、再会できるのではないかと、京都産業大学を受験。
合格して、入学後まもなく再会しました。
共通の友人がいたことから、玲子さんを落語研究会マネージャーに勧誘。
玲子さんにもレモン亭円(まどか)という高座名が与えられました。
笑福亭鶴瓶さんが落語家に弟子入りした2年後に結婚しました。
笑福亭鶴瓶の子供は何人?
笑福亭鶴瓶さんの子供は2人のようです。
子供は娘と息子。
息子は1978年6月に生まれた駿河太郎さん。
俳優をしています。
娘は章子さんという名前で、駿河太郎さんの3学年上の姉です。