福岡県出身の鈴木浩介さん。
経歴や高校、大学などの学歴は?
結婚していて妻は女優の大塚千弘さんですが、馴れ初めは?
子供は何人?
今回は俳優の鈴木浩介さんをリサーチしてみました。
鈴木浩介の高校、大学などの学歴・経歴
名前 鈴木浩介
生年月日 1974年11月29日
出身 福岡県北九州市
身長 179cm
所属 シス・カンパニー
中学校・北九州市立浅川中学校
高校・西南学院高校
大学・青山学院大学経営学部
父親、母親、妹の4人家族。
妹は3歳年下。
小学生の時は水泳、中学生の時にがサッカーをゴルフをしていました。
中学入学後にサッカー部に入部しますが1年で挫折。
帰宅部になりやることがなくなり、プロゴルファーの中嶋常幸さんに憧れてゴルフ打ちっぱなしに通い、1日に000発くらい打ってプロゴルファーを目指していたそうです。
ゴルフのスコアは中学生で100。
中学1年生の時に両親が離婚し、母親に引き取られました。
高校は西南学院高校に進学。
西南学院高校は福岡県福岡市にある私立高校。
現在は共学ですが1994年までは男子校で、鈴木浩介さんが通っていた時代は男子校でした。
偏差値70の難関高校。
高校時代は陸上部に所属。
短距離をやっていて、100mのベストタイムは11秒2。
高校3年生の夏のインターハイ予選では、4×100mリレーのアンカーで出場。
トップでバトンを受け取りましたが、2人に抜かれて3位に終わりました。
大学は1浪して青山学院大学経営学部に進学。
大学は7年かけて卒業しました。
鈴木浩介が俳優になったきっかけ
鈴木浩介さんが俳優になったのは、西田敏行さんに憧れてのことだったといいます。
小学生の時に見た西田敏行さん主演のドラマ『池中玄太80キロ』の再放送が原点でだといいます。
『感動してボロボロ泣いたのを覚えています』
引用 https://www.sponichi.co.jp/
ドラマに感動し、西田敏行さんに会いたいという思は心の奥底にあったそうですが、自分が俳優になることまでは考えてはいなかったそうです。
転機になったのは大学1年生の時。
鈴木浩介さんが大学進学で上京したのは、憧れの西田敏行に会う事だったといい、大学1年生の時に西田敏行さんの事務所にいきなり『会いたい』と電話。
当然断られましたが、西田敏行さんが所属し看板俳優として活躍していた劇団青年座の『研究生になって選ばれたら』 と言われたため青年座研究所を受験。
演技経験は全くありませんでしたが、見事に合格。
悩んだ末に大学を1年休学し、芝居に打ち込む覚悟を決め、青年座研究所に入所しました。
入所後、西田敏行さんが青年座の舞台に出演した時は、出待ちをして握手をしてもらったそうです。
2年の研究生を経て、1997年に正式に劇団青年座に入団。
西田敏行さんとは舞台で1シーンだけ一緒になったことがあったそうでが、本格的に共演したのは2015年のテレビ朝日系ドラマ『アイムホーム』で上司と部下として共演しています。
鈴木浩介 ライアーゲームでブレイク
鈴木浩介さんは1997年に劇団青年座に入団し同年に舞台デビュー。
翌年の1998年のテレビ朝日系ドラマ『影武者徳川家康』の松平忠輝 役でドラマに初出演しました。
23歳の時でした。
下積みを続けるも中々芽が出ず、28歳の時、中途半端な状態だと思ってバイトを全部辞めて俳優の仕事だけで食べて行こうと決意。
2003年に西田敏行さんが劇団青年座を退団したことをきっかけに、鈴木浩介さんも翌年の2004年に退団。
その後はテレビドラマを中心に活動しました。
鈴木浩介さんが世に知られるようになったのは2007年のフジテレビ系ドラマ『LIAR GAME』のフクナガユウジ(福永ユウジ) 役。
マッシュルームカットに黒縁メガネで、人を小馬鹿にしたような態度でハイテンションに大声を発し、他人を罵倒する強烈なキャラクターのフクナガがハマり役になりブレイクしました。
当時、鈴木浩介さんは32歳でした。
2019年4月から放送されたテレビ東京系ドラマ『癒されたい男』でドラマは初主演しました。
鈴木浩介と結婚した妻との馴れ初めは?
鈴木浩介さんが結婚したのは2015年10月。
40歳の時でした。
妻は女優の大塚千弘さん。
年齢は12歳年下で、結婚時は29歳でした。
馴れ初めは2015年8月に放送されたテレビ朝日系ドラマ『刑事7人』での共演。
以前からら知り合いの仲でしたが、同ドラマの共演で急接近し交際に発展したそうです。
交際期間わずか3ヶ月のスピード婚でした。
鈴木浩介の子供は何人?
鈴木浩介さんの子供は1人です(2022年現在)。
子供の性別は非公表。
2021年5月に生まれました。
結婚6年目で、鈴木浩介さんが46歳の時の子供でした。