美大出身で大学在学中から演劇活動をしていた俳優の竹中直人さん。
嫁は元アイドルの木之内みどりさんという方ですがどんな人?
馴れ初めや子供は?
この記事では竹中直人さんの妻の木之内みどえいさんとの馴れ初めや子供などについてリサーチしています。
竹中直人の妻は元アイドルの木之内みどり
竹中直人さんは1990年、34歳の時に元アイドルで1歳年下のの木之内みどりさんと結婚。
木之内さんは北海道小樽市出身。
中学3年生の時に『サンデー・ヒットパレード』(日本テレビ)の「ミス・ティーン・コンテスト」に応募し準優勝。
これがきっかけでスカウトされ、1973年8月、高校1年生の時に上京。
1974年5月10日、「めざめ」で歌手としてデビュー。
レコードは売れませんでしたが、ブロマイドは飛ぶように売れたといいます。
CMやドラマで活躍し、1977年には映画『野球狂の詩』で主人公の水原勇気を演じました。
1978年9月に、当時既婚者だった音楽プロデューサーの後藤次利さんと交際が発覚し、9月11日に21歳で芸能界を引退。
交際発覚から5年後の1983年に結婚しましたが、4年後の1987年に離婚。
竹中さんとは再婚でした。
竹中直人と妻の木之内みどりの馴れ初め
竹中直人さんと木之内みどりさんが出会ったのはスペインでした。
『『写楽考』っていう舞台の旅公演でスペインに行っていたんですよ。 その時にみどりさんと偶然お会いしまして』
1989年、「青年座」の『写楽考』という舞台の公演でスペインに1か月ほど滞在した時に、偶然に出会ったそうです。
スペインで竹中さんがみどりさんをお気に入りの喫茶店に誘ったことが交際のきっかけでした。
喫茶店に誘った時には、緊張のあまり場所がわからなくなり、1時間くらい迷子になってしまい、その時に竹中さんは「この人と僕は…」と思ったといいます。
その後、写真の仕事でニューヨークに行ったみどりさんを追いかけてニューヨークに渡り、婚姻届けを持参してプロポーズしたそうです。
竹中直人の子供は2人
竹中直人さんの子供は娘と息子の2人。
1990年に長女の果南(かな)さん、1997年に長男の星夏((せいな)さんが誕生しました。
娘の果南さんは2017年、26歳の時に結婚。
息子の星夏さんはアパレルメーカーに勤務しているとの情報がありました。
竹中直人の経歴・学歴
神奈川県横浜市金沢区出身。兄弟はなく一人っ子。
父親、母親共に横浜市役所に勤務していた公務員。
子供のは内気なで性格で、ひとりで絵を描くのが好きだったといいます。
漫画を描くのも好きで、将来は画家か漫画家になりたいと思っていました。
両親は映画好きでよく映画館に連れて行ってもらい、映画に興味を持つようになったそうです。
横浜市立富岡小学校経て、私立の一貫校・関東学院六浦中学校、関東学院六浦高校に進学。
中学入学後に引っ込み思案な性格を変えるために、ものまねを習得し披露するようになると、 同級生から一目置かれる存在となりました。
中学、高校共に美術部に在籍。
高校時代には8ミリ映画を自主制作もしていました。
2年の浪人を経て、多摩美術大学・芸術学部デザイン学科に入学。
在学在学中は「映像演出研究会」に在籍し、8ミリ映画の制作に没頭。
出演から監督までこなし、大学在学中に劇団「青年座」に入団。
1980年に大学を卒業しました。
大河ドラマ「秀吉」でブレイク
大学在学中に制作した短編映画『首振り地蔵の怪』がみんなに馬鹿にされたため、笑いながら「ふざけんじゃねぇ、コノヤロー」とと怒ると大爆笑ををとり定番ネタ「笑いながら怒る人」が誕生。
大学在学中の1977年、『ぎんざNOW!』(TBS)の「素人コメディアン道場」で第19代チャンピオンを獲得。
その後、『TVジョッキー』(日本テレビ系)の素人参加コーナーにてモノマネ芸でチャンピオンとなりました。
大学卒業後は俳優活動をしていましたが食べては行けず、「人力舎」創立者の玉川善治さんに声を掛けられて、1983年、『ザ・テレビ演芸』(テレビ朝日)の「飛び出せ!笑いのニュースター」に出演するとグランドチャンピオンになりコメディアンデビュー。
バラエティ番組で活躍しながら、俳優としても活動し、1996年の大河ドラマ『秀吉』で主演の豊臣秀吉役に抜擢され俳優としてブレイク。
最高視聴率は37.4%を記録し、作中の秀吉の決め台詞「心配ご無用!」は同年の「流行語大賞」に選ばれました。