竹下景子さんは愛知県出身の女優。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
女優になったきっかけは?
結婚しているようですが夫は?
子供は息子?
今回は女優の竹下景子さんをリサーチしてみました。
竹下景子の学歴・生い立ち・経歴
名前 竹下景子
生年月日 1953年9月15日
出身 愛知県
身長 157cm
所属 アイ・バーグマン
小学校・南台小学校
中学校・南山中学校
高校・南山高校女子部
大学・東京女子大学
愛知県名古屋市生まれ。
父親は財務官僚で、名古屋国税局から国税庁に転勤となったため、4歳は東京都中野区と板橋区、5歳から10歳までは東京都東村山市で育ちました。
小学校は東村山市立南台小学校に入学。
4年生の時に父親が国税庁を辞め弁護士になるための勉強を始めたため名古屋に戻り、名古屋市内の小学校を卒業。
中学校は南山中学校女子部、高校は南山高校女子部を卒業。
愛知県名古屋市昭和区にある私立の女子校。
完全中高一貫制で高校からは受験できません。
偏差値は南山中学校女子部が63。
南山高校女子部は推定ですが70前後。
中学、高校では演劇部に所属。
大学は東京女子大学文理学部社会学科を卒業。
大学時代に一人暮らし始め、実家からの仕送りは5万円で、そこから家賃、光熱費、銭湯代、食費を払っていました。
大学時代に芸能活動を始め、卒業後は芸能界に進んでいます。
竹下景子が女優になったきっかけ
竹下景子さんが女優という仕事は初めてしたのは高校1年生の時。
『当時は女子高の演劇部員で、たまたまNHKへ見学に行ったことがきっかけでした。』
引用 https://www.shiruporuto.jp/
高校1年生の時、ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』のイベントに一般リスナーとして参加した際、パーソナリティを務めていた俳優の天野鎮雄さんにNHKの『中学生群像』を紹介されドラマに出演することになったそうです。
共演者には戸田恵子さんや三ツ矢雄二さんがういました。
このドラマに出演し初めて出演料をもらい、何回分かわからなかったそうですが、気がつくと自分の貯金通帳に8000円が振り込まれていたといいます。
このドラマに出演していた時、ドラマのロケで名古屋を訪れていた夏木陽介さんにスカウトされ、大学に進学し上京してから芸能活動を始めました。
竹下景子 芸能界入り
竹下景子さんは大学在学中の1972年、NHKドラマ『明智探偵事務所』に出演。
1973年のNHKドラマ『波の塔』で本格的に女優デビューしました。
1976年10月からTBS系のクイズ番組『クイズダービー』も3代目4枠レギュラー解答者として出演。
当時はまだ女子大生でした。
番組終了の1992年12月まで16年間出演し、『三択の女王』と呼ばれ、3枠のはらたいらさんに次ぐ正解率だったといいます。
1977年2月、23歳の時に出演したTBS系トーク番組『すばらしき仲間』で元運輸大臣の荒船清十郎さんが、
『息子の嫁にしたいようなお嬢さんですね』
と言ったことがきっかけで『お嫁さんにしたい女優No.1』と言われるようになりました。
このフレーズにメディアが飛びついたことと、出演していたクイズダービーでは司会の大橋巨泉さんがそのフレーズを頻繁に使用し、翌年の1978年には『結婚してもいいですか』で歌手デビューもしたことからイメージが完全に定着したそうです。
女優としての人気も急上昇し、1970年代から1980年代にかけては最も多忙な女優の1人となりました。
1983年12月公開の映画『男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎』でマドンナを好演し、シリーズで唯一、別々の役で三度マドンナ起用されています。
竹下景子の結婚した夫は?
竹下景子さんが結婚したのは1984年4月。
30歳の時でした。
夫は写真家の関口照生さん。
年齢は15歳年上。
2人が出会ったのは竹下景子さんがデビューしてすぐの1973年の銀行CMの仕事でした
その後、間もなくグループ交際がスタートし、1978年に関口照生さんの撮影で『フォト&エッセイ集 水中花』を発売。
この頃にはマスコミに交際を報じられましたが、2人は交際は否定していました。
プロポーズは竹下景子さんからで、
『ケイスケの父親になってくれませんか?』
でした。
ケイスケとは竹下景子さんが飼っていた犬のことです。
挙式は都内のホテルで行われ、花嫁衣裳は8500万円だったそうです。
竹下景子の子供は息子?
竹下景子さんの子供は2人。
2人とも息子です。
長男の関口まなとさんが1986年3月。
次男の関口アナムさんが1988年9月
に誕生しました。
2人とも俳優として活動しています。
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