愛媛県出身で元NHアナウンサー・武内陶子さんの学歴や経歴は?
NHKを退職した理由は?
結婚歴や夫、子供は?
今回はアナウンサーの武内陶子さんをリサーチしてみました。
武内陶子の学歴・経歴
名前 武内陶子
生年月日 1965年4月17日
出身 愛媛県大洲市
身長 168cm
血液型 B型
所属 サンミュージックプロダクション
父親、母親、3人の妹の6人家族。4姉妹の長女として育ちました。
父親は医師で、母親は専業主婦。医師の父親は転勤が多く、幼少期から中学生まで四国、中国地方を転々とし、小学校は2回転校。
幼少期から自立心旺盛で、「広い世界に出たい」との思いをもっていたそうです。
性格は子供の頃から明るく、転校しても友達を作ることに困ることはなかったといい、小学6年生の時には児童会長を務めたといいます。
『広い世界を見たいという思いは消えることはなく、中学生になると自ら願い出て、広島市内の公立中学に通うために、広島市の叔父の家で下宿をした。』
中学校は広島市立吉島中学校に入学した後、大洲市立平野中学校に転校して卒業しました。
高校は松山東高校を卒業。
愛媛県松山市持田町にある男女共学の県立高校で、偏差値は69。
愛媛県内トップクラスの難関校です。
大学は神戸女学院大学・文学部総合文化学科に進学。
兵庫県西宮市岡田山にある私立大学で、偏差値は42。
大学在学中には、2年間休学しカナダへの留学を経験しています。
24歳でNHKに入社
1991年、24歳の時にNHKに入局。
同期のアナウンサーは有働由美子さんで、就職活動中からの知り合いでした。
愛媛県松山に配属され、その後大阪に異動。
1997年4月からは朝の報道・情報番組『NHKニュースおはよう日本』のキャスターを担当。
2003年にはに『第54回NHK紅白歌合戦』で総合司会を務め、看板アナウンサーとして活躍しました。
1994年に結婚し、出産後、2005年には夫の10ヶ月間のアメリカ転勤に帯同。
帰国後の2006年4月からは、報道・情報番組『お元気ですか日本列島』の司会を経て、2007年6月からは『スタジオパークからこんにちは』を担当しました。
2010年4月に出産後、2011年12月にラジオ第1放送のラジオニュースでアナウンスに復帰。テレビ番組では2012年4月2日に新番組『連続クイズ ホールドオン!』で復帰しました。
2018年に般職のチーフ・アナウンサーから管理職のシニア・アナウンサーに昇格。
2023年に「早期退職制度」を利用して、58歳で33年間勤務したNHKを退職。フリーアナウンサーに転身しました。
武内陶子の結婚歴や夫
武内陶子さんが結婚したのは1994年、29歳の時でした。夫は7歳年上で、文化人類学者の上田紀行さん。
上田さんは東京大学教養学部文化人類学科卒業。2012年2月には東京工業大学リベラルアーツセンター教授に就任しています。
2人が出会ったのは武内さんNHK入局後、愛媛県松山市に配属されていた時で、当時、愛媛大学教養部助教授を務めていた上田さんと出会ったそうです。
『夫は今まで会ったことのないタイプだったのが私には新鮮で、すぐに意気投合、つき合って2週間後には結婚しようという話に。』
交際をスタートさせて、1年ぐらい経った頃に、武内さんの大阪への転勤が決定し、そのことを機に結婚。転勤のため当初は別居婚で、同居がかなったのは32歳の時だったといいます。
武内陶子の子供は何人?
武内陶子さんの子供は娘が3人。2004年、39歳の時長女、2009年、44歳の時に双子の次女・三女が誕生しました。
『不妊治療の末、39歳で産んだ第1子。生まれてからはドタバタの日々が始まったという。』
不妊治療をしての出産だったことを明かしています。出産後、夫のアメリカ転勤にアメリカに渡りました。
『アメリカでは産後、出産したお友達のところに1カ月ぐらい当番を決めて、毎日ご飯を運んで手伝ってあげたりするとか。あとは子どもに食べさせるものの違いにも驚きました。』
アメリカではこれまでに考えたことのがない子育てに触れることができたと話しています。
武内陶子がNHKを退職した理由
武内陶子さんがNHKの退職を考えたのは50代半ば頃だといます。
『早期退職を考え始めたのは、更年期障害のピークを抜けた50代半ば』
50歳を過ぎた頃からホットフラッシュなどの体の不調を経験。57歳の時には司会を務めていた生放送番組で、とっさに言葉が出なくなる不安感などを経験したといいます。