たけし軍団で漫才コンビ「浅草キッド」のボケ担当の玉袋筋太郎さんの学歴や経歴は?
お笑い芸人になったきっかけは?
結婚した妻は?
子供は息子?
現在はスナックを経営しています。
今回は浅草キッドの玉袋筋太郎さんをリサーチしてみました。
玉袋筋太郎の学歴・生い立ち・経歴
名前 玉袋筋太郎
生年月日 1967年6月22日
出身 東京都新宿区西新宿
身長 180cm
血液型 AB型
父親、母親、3歳年上の姉の4人家族。本名は赤江 祐一(あかえ ゆういち)。
実家は祖父が株で稼いで経てた西新宿の3階建ての「赤江ビル」で1階は祖父母の住居、2階は父親の経営する雀荘、3階は玉袋さん家族が住んでました。
父親は元証券マンで退職後、ビルで雀荘を経営。スナックなども経営し両親は共働きで、いつも姉と留守番をしていたといいます。
ビルと土地は祖父が他界した後に売却されています。
小学校は新宿区立淀橋第一小学校、中学校は新宿区立淀橋中学校を卒業。
淀橋中学校は現在の新宿区立西新宿中学校。
当時は運動が嫌いで、中学時代は帰宅部。
体育もサボっていたといい、中学3年の時に通知表の体育の成績は1学期から3学期まで1だったそうです。
高校は実践商業高校を卒業。
東京都中野区中央にある男女共学の私立高校で、偏差値は58~62。
高校時代も帰宅部でした。
高校卒業後は、ビートたけしさんに弟子入りし芸人の道に進みました。
玉袋筋太郎が芸人になったきっかけは?
玉袋筋太郎さんは中学1年生の時にラジオ『ビートたけしのオールナイトニッポン』を聴いたことで、ビートたけしさんの大ファンになり、高校生になると友達を3人で出待ちをするようになりました。
たけしさんがラジオ終了後に、焼肉屋『羅生門』に行くとの情報をを聞くと、焼肉屋で入待ちもするようになり、たけしさんがラジオで、
『三人組の高校生のおっかけのあんちゃんがいる。』
と話したといいます。
高校卒業後にもニッポン放送の出待ちを続け、顔を覚えられて、出入りを許されるようになり、その後に弟子入り。
弟子入りした際には、部屋を借りるようにと支度金20万円をもらったといいます。
浅草キッド結成後
弟子入り後はたけしさんが旧知の仲の島田洋七さんに頼み付き人となり半年務め、その後はフランス座に修業に送られました。
同じ追っかけから弟子入りし一緒にフランス座に来ていた、5歳年上の水道橋博士を1987年に漫才コンビ『浅草キッド』を結成。
2人は追っかけの時から、面識があったといいます。
ライブ活動を続け、1989年には初の単独ライブを開催。
1990年にはテレビ朝日の『ザ・テレビ演芸』で10週勝ち抜き5代目チャンピオンとなり、翌年の1991年にはテレビ東京の『ナベさんミッちゃんのまねまね天国!』で5週勝ち抜いてチャンピオンを獲得。
若手の実力派漫才師として注目され、1991年10月からはラジオ番組『オールナイトニッポン』の月曜第2部を担当しました。
1992年4月か放送が開始されたテレビ東京の『浅草橋ヤング洋品店』のレギュラーとなり人気ロケ企画の大半でロケ司会を担当。
本来の司会者であったルー大柴さん清水ミチコさん以上に「浅ヤンの顔」として視聴者から認知され、1995年のリニューアルを機にメイン司会に昇格しました。
2020年3月に株式会社TAPを退社し、その後はフリーで活動。
水道橋博士さんは事務所に残ってますが、解散はしておらず、名目上ではコンビが存続しています。
玉袋筋太郎の妻は?
玉袋筋太郎さんが結婚したのは26歳の時でした。
『結婚したばかりの女性を彼女にし、そのときの夫に土下座して許しを請い、そのまま結婚してしまった略奪愛の経験もある。』
妻は一般女性で、自身の著書では妻は出会った時は妻は既婚者でだった略奪婚で、妻の両親にも自分の父親にも結婚は反対されたといいます。
玉袋筋太郎の子供は息子?
玉袋筋太郎さんの子供は息子が1人で、妻の連れ子です。
息子は2016年末に結婚。2022年4月には孫が誕生し、メロメロで週に1回会いに行っていると明かしました。
現在はスナックを経営
玉袋筋太郎さんはスナックが好きで、2009年10月にお台場で、スナック啓蒙イベント『玉袋筋太郎の”スナック玉ちゃん”』を開催し、2014年には一般社団法人『全日本スナック連盟』を設立し、自身が会長を務めて、カラオケ大会などのイベントも開催しています。
2017年2月には『スナック玉ちゃん 赤坂本店』を東京・赤坂に開店し自身がオーナーを務め、同年5月には・北新地に『スナック玉ちゃん 北新地店』もオープン。
翌年の2018年5月には東京・錦糸町に『スナック玉ちゃん 錦糸町店』、10月には北海道札幌市・すすきのに『スナック玉ちゃん すすきの店』もオープンしました。