福岡県出身のお笑いタレント・タモリさん。
生い立ち経歴や高校、大学などの学歴は?
デビューしたきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回はお笑いタレントのタモリさんをリサーチしてみました。
タモリの学歴・生い立ち・経歴
名前 タモリ
生年月日 1945年8月22日
出身 福岡県
身長 161cm
血液型 O型
所属 田辺エージェンシー
小学校・福岡市立西高宮小学校
中学校・福岡市立高宮中学校
高校・・筑紫丘高校
大学・・早稲田大学第二文学部(中退)
福岡県福岡市出身。
本名は森田一義(もりた かずよし)。
『一義』の名前は、祖父が好きだった元総理大臣の田中義一さんから『義一』と命名するつもりでしたが、姓名判断でよくないと判定されたため、ひっくり返して『一義』となったといいます。
父親は洋服の卸商。
兄弟は3歳年上の姉。
小学校に入学するまで、毎日、一日中坂道に立って人間観察を行っていたことから坂道好きになり、後に『日本坂道学会』を設立。
小学校は福岡市立西高宮小学校、中学校は福岡市立高宮中学校を卒業。
中学時代は陸上部に所属し、種目は短距離。
3年生の時には生徒会副会長を務めました。
高校は筑紫丘高校を卒業。
筑紫丘高校は、福岡県福岡市南区野間にある男女共学の県立高校。
現在の偏差値は72。
福岡県ではトップラスの進学校です。
高校時代は剣道部と吹奏楽部に所属。
吹奏楽部ではトランペットを担当。
大学は早稲田大学第二文学部西洋哲学専修に入学。
無線に興味があったため電気通信大学を目指しましたが、受験に失敗し1年の浪人生活を経て早稲田大学に入りました。
早稲田大学時代は、モダン・ジャズ研究会に所属し、高校の吹奏楽部かか引き続きトランペットを担当。
大学2年生の時に、友人3人と旅行しタモリさんが仕送りから旅費を立て替えましたが、その後に友人達から返済はされす、学費が払えなかったため、3年生の時に『学費未納のため抹籍』になりました。
タモリ 大学中退後
タモリさんは早稲田大学を抹籍処分になった後もモダン・ジャズ研究会は続け、マネージャーを担当。
バンドの司会などでかなりの収入を得ていましたが、間もなく叔父に福岡に引き戻され、朝日生命に就職。
3年近く保険外交員として勤務した後、旅行会社に転職し、系列の大分県日田市のボウリング場支配人に転属。
その後は、喫茶店のの初代支配人を務めました。
1972年に博多で行われた、山下大輔さんと渡辺貞夫さんのコンサートスタッフに大学時代のジャズ仲間がいたことから、コンサート終了後、友人が泊まっていたホテルに行き飲んで深夜に帰ろうとすると、ドンチャン騒ぎしている部屋を見つけました。
そこは山下洋輔さん達の部屋で、半開きになっていたドアから中を覗いたタモリさんは
『俺はこの人たちとは気が合うな、気が合うんだから入ってもいいだろう』
とドンチャン騒ぎに参加し盛り上がり、タモリさんが表情を付けてデタラメなアフリカ語を話し始めた際には、山下大輔さんはは呼吸困難になるほど笑ったといいます。
タモリさんは最後に『森田です』とだけ言い残して帰ったそうです。
山下大輔さんはジャスファンに違いないと思い、福岡市内のジャズバーで『森田』という名前だけをたよりに探すと、喫茶店のマスターであることが分かり再会。
山下大輔さんは東京でタモリさんの話しをすると、
『山下がそんなに面白いと言うのなら一度見てみたい』
と『伝説の九州の男・森田を呼ぶ会』が結成され、カンパによってタモリさんは1975年6月に再び上京しました。
タモリがデビューしたきっかけは?
タモリさんは1975年6月に上京後、福岡で生活しながら、カンパの資金で月1回上京し『素人芸人』として即興芸を披露するという生活を始めました
同年の8月頃のタモリさんの独演会を見た赤塚不二夫さんがはその芸に心酔し、8月末に生放送が決定していた自身の特別番組へ出演させることを決意。
番組出演まで日数があったため福岡に帰ることを望んだタモリさんに、赤塚不二夫さんは、
『芸をもっと見たい。福岡に帰したくない』
と思い、赤塚不二夫さんが当時住んでいた4LDKのマンションや、保有するベンツなど、それら全てを自由に使っていいと話して、タモリさんは赤塚不二夫さん宅での居候生活を開始。
さらに赤塚不二夫さんから20万~30万円の小遣いも渡されたといます。
1975年8月30日にテレビ初出演を果たし、番組をたまたま見ていた黒柳徹子さんから、
『誰?すごいじゃない』
とその日の内に問い合わせがあり、『徹子の部屋』の前身番組『13時ショー』に出演。
その後、田辺エージェンシーに所属し1976年4月に、テレビ東京の『空飛ぶモンティ・パイソン』で正式にデビュー。
30歳の時でした。
タモリの結婚歴や妻は?
タモリさんが結婚したのは1970年。
26歳の時でした。
妻の名前は春子さん。
年齢は2歳年上。
朝日生命の先輩だった女性です。
『笑っていいとも』が始まった頃に、タモリさんは個人事務所を設立し、その社長を妻が務めているそうです。
『A子さんは外にひとりで出かけることも少なくなってしまったんです。だから、タモさんはこれまで奥さんにたくさん苦労をかけた分、これからは妻のために生きようと決断したんです。』
引用 https://www.news-postseven.com/
タモリさんが『笑っていいとも!』を辞めたのは体調を崩した妻のためだったと一部で報じられています。
タモリに子供はいる?
タモリさんに子供がいるという情報はありませんでした。