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麒麟・田村裕の嫁や子供、姉や兄、現在やバスケ、高校などの学歴や経歴

お笑いコンビ『麒麟』のツッコミ担当で自伝ホームレス中学生でブレイクした田村裕さん。

田村裕さんには姉や兄がいるようですが、家族解散後はどうしたのでしょうか?

田村裕さんは結婚しているようですが、嫁や子供は?

田村裕さんは現在、バスケ芸人?

今回は麒麟の田村裕さんについてリサーチしてみました。

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麒麟・田村裕の嫁や子供

田村裕さんが結婚したのは2011年7月。

31歳の時でした。

嫁は大阪出身の一般女性で、田村裕さんの8歳年下。

結婚時は23歳でした。

田村裕さんと嫁の出会い・馴れ初めは知人の紹介。

交際期間は2年だったそうです。

田村裕さんの子供は3人。

娘が2人と息子が1人です。

2014年7月に長女

2017年1月に次女

2020年9月に長男

が誕生しています。

麒麟・田村裕の姉や兄の現在は?

田村裕さんの兄弟は5歳年上の兄と、4歳年上の姉。

父親は大手製薬会社に勤務し管理職だったため、幼少期はどちらかといえば裕福な家庭だったといいます。

『貧乏』になったきっかけは父親のリストラ。

田村裕さんが10歳の時、母親が直腸がん亡くなった後、父親も同じ直腸がんになり、幸い父親は発見が早かったため手術は成功したものの、入院中に父親が会社を解雇され職を失ったそうです。

そのため、田村裕さんはいきなり貧乏になり、中学2年生の夏休みに実家が差し押さえられてしまい父親は、

「残念ながらご覧のとおり、お家の方へは入れなくなりました。これからは各々頑張って生きてください。解散!」

といってどこかに行ってしまったそうです。

一時期は公園の土管に寝泊りしホームレス生活でした。

雨をシャワーとして使い、雑草なども食べていたそうです。

ダンボールは水に濡らして食べようとしたそうですが、飲み込めなかったと話しています。

その後、友達の母親に事情を話し、一時期は居候。

後に、民生委員の手配で生活保護を受けて家を借り兄弟3人で暮らすようになりましたが生活は貧しく、食費は1日300円だったといいます。

家族が解散した時、田村裕さんは中学生、兄は大学生、姉は高校生でした。

姉には自伝「ホームレス中学生」で幸子の名前で登場しますが、本名かどうかは確認できませんでした。

一番年上で父親代わりだった兄は田村研一さんといい、田村裕さんに話をもらい、「ホームレス中学生」が出版された翌年の2008年10月に兄目線の自伝「ホームレス大学生」を出版しています。

高校は千里高校

千里高校は偏差値68の進学校

大学は京都の大学に進学したようです。

大学3年生の時には、大阪NSCに入学し芸人を目指していたいたこともあったそうです。

田村裕さんは高校時代にアルバイトして生活を助けようしましたが兄に、

「バスケだけは続けてくれ、家のことは俺が頑張るから」

「お前の生涯の財産になるから」

といいバスケを続けさせてくれたそうです。

大学卒業後ははフリーターとしてパチンコ屋などで働き、現在は東京都江戸川区で

「たこ田信玄」

というたこ焼き屋を2011年頃から経営しているようです。

麒麟・田村裕の現在はバスケ芸人?

田村裕さんは2007年に自伝「ホームレス中学生」を発売し、225万部のベストセラーになり印税は2億円。

税金を払い、手取りは9000万円だったそうですが1年3ヶ月でゼロになったといいます。

再会した父親に家を建て6000万円、親戚に旅行をプレゼント、年末には忘年会で300万円、正月には劇場の後輩やスタッフにお年玉で150万円などに使ったそうです。

唯一自分のために買ったのは25万円の銀のベルトバックルだったといいます。

当時、田村裕さんは会う人、会う人に

「あとお金なんぼ残ってるの?」

と聞かれ、当時は劇場などで何を話しても

「金持ってるやん。2億稼いでるやん」

という空気になってしまい、ネタもそれまでウケていたものがウケない状態になり、それがストレスでとりあえず早くなくなってほしいと思っていたと話してします。

「ホームレス中学生」が売れて話題になっていた時にはテレビの仕事も一時は増えましたが、「ホームレス中学生」バブルが消滅した後は仕事が激減。

生活も厳しい収入になり、居酒屋でアルバイトをしたこともあったそうです。

2017年11月にテレビ東京系の「じっくり聞いタロウ」に出演した際に直近3か月の給料は50万~80万だと明かし、アルバイトは卒業しているとも明かしました。

現在は小中高と続けたバスケットボールを生かし、バスケ芸人としても活動しています。

2019年4月にはユーチューブでバスケに特化したバラエティチャンネルを開設。

バスケ芸人として各地を営業し、バスケ教室のプロデュースや指導なども行っているようで、麒麟の相方の川島明さんには、

「お笑いをやらずにいつもバスケをしている田村」

とネタにされています。

麒麟・田村裕の高校などの学歴や経歴

麒麟・田村裕さんは1979年9月3日生まれ。

大阪吹田市出身。

兄と姉がおり、3人兄弟の末っ子。

田村裕さんが小学5年生の10歳のときに、母親が直腸がんで他界。

中学生の時には父親も直腸がんにな、入院中に会社を解雇され職を失いました。

中学は吹田市立西山田中学校

高校は吹田高校

吹田高校は大阪府吹田市にある男女共学の府立高校で、偏差値は44

田村裕さんは小学校、中学、高校とバスケットボール部に所属。

高校卒業後の1997年、NSC大阪校に20期生として入学。

1999年に、20期生同期の川島明さんとお笑いコンビ「麒麟」を結成。

コンビ名の「麒麟」の由来は漢字だけのコンビ名が少なかったことと、難しい漢字の方が覚えてもらえると思ったからだといいます。

2001年の第1回大からM-1グランプリに出演し、同年は決勝5位。

M-1グランプリは6年連続で出場し、2004年~2006年は3年連続で決勝3位になっています。

2007年8月、幼少期から相方との出会いまでを記した自伝「ホームレス中学生」を発売。

「ホームレス中学生」は200万部以上の大ヒットを記録し、2008年8月にはフジテレビ系でドラマが放送され、関西地区では視聴率26.0%を記録。

同年10月には映画「ホームレス中学生」が公開。

興行収入6.2億円でした。

生き別れになった父親とは2007年9月に番組の企画で14ぶりに再会。

兄弟3人は父親を恨んでいないと話しました。

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