沖縄に移住した田中律子さん。
学歴や経歴は?
離婚した夫ははどんな人?
離婚の理由や再婚は?
子供は娘?
移住した沖縄の家は?
今回はタレントの田中律子さんをリサーチしてみました。
目次
田中律子の学歴・経歴
名前 田中律子
生年月日 1971年7月17日
出身 東京都世田谷区
身長 159cm
小学校・世田谷区立笹原小学校
中学校・世田谷区立桜丘中学校
高校・日出女子高校、堀越高校
大学・大学は進学していません
父親、母親、弟、妹の5人家族。
実家は祖母の代から続く美容院を経営。
父親、母親、祖母は美容師。
田中律子さんも子供の頃の夢は美容師でした。
12歳の時、スカウトされ芸能会入りしました。
世田谷区立桜丘中学校から進学した日出女子高校は、現在の目黒日本大学高校です。
東京都目黒区にある男女共学に私立高校で、現在の偏差値は51~61。
日出女子高校は校則が厳しく、髪を結ばずに街を歩いていたところを担任教師に見つかり、髪を切るか学校をやめるかどちらかを選ぶように言われ、翌月に堀越高校の芸能コースに転校しました。
堀越高校の同級生は石田ひかりさんや高岡早紀さんがいました。
1990年に堀越高校を卒業。
田中律子 中学生で芸能会入り
田中律子さんは、1984年の小学校6年生で12歳の時、東京都町田市の小田急百貨店でボックスコーポレーション勤務のマネジャーにスカウトされました。
その時、一緒にいた親戚のおばさんは若い頃にヘアメイクの仕事をしていたことがあり、
『せっかく女の子だしね、いい機会だからやってみたらいいじゃない?』
といってくれたといいます。
芸能会は部活感覚で始め、中学3年生までで芸能界を辞めるつもりでいたそうです。
1984年10月、ファッション雑誌『週刊セブンティーン』でモデルデビュー。
翌年の1985年4月、テレビ朝日系列の音楽番組『鶴ちゃんのいちごチャンネル』のアシスタントとしてテレビデビュー。
同年7月、テレビ朝日系ドラマ『ママ、大変だァ!』に出演しドラマデビューしました。
当時はモデルやグラビア中心に活動していました。
1988年5月、16歳の時、『FRIENDSHIP』でアイドル歌手デビュー。
デビューし時は、同じレコード会社と制作スタッフが手掛けたこともあり『ポスト杏里』と呼ばれていたそうです。
しかし、オリコン最高109位と振るわず、その後も1993年8月までに11枚のシングル、5枚のアルバムをリリースしますがヒット曲は出ませんでした。
ヒット曲はでませんでしたが、3ヶ月に1度新曲をリリースしていたために寝る間もないほど忙しく、学校は午前中しか出られないことがほとんどだったといいます。
堀越高校の芸能コースでしたが、出席日数が足りず卒業が危ぶまれていたそうで、
『放課後、誰もいない時に学校に、また私戻って。雑巾縫ったんですよ。雑巾縫って、それ貯まると単位にしてくれたりとか。今じゃホントありえないよね』
雑巾を縫いまくって卒業したと話しています。
田中律子 マルチタレントとして活躍
1989年10月、フジテレビ系ドラマ『愛しあってるかい!』に表参道女子高校生徒のひとり・真柴純役で出演をきっかけに、トレンディードラマのバイプレイヤーとして活躍。
1991年7月から放送され最終回では36.7%の視聴率を記録し大ブームとなったフジテレビ系ドラマ『101回目のプロポーズ』にはヒロインの浅野温子さんの妹・矢吹千恵役で出演ししました。
同時にバラエティにも多く出演しマルチタレントとして活躍。
、日本テレビ系のクイズ番組『マジカル頭脳パワー!!』には1991年3月から1999年9月の最終回までレギュラー出演。
1996年10月からTBS系の情報バラエティ番組『王様のブランチ』の初代女性総合司会に就任しました。
田中律子の離婚した旦那は?
田中律子さんが結婚したのは1997年11月。
旦那はCMカメラマンの杉本学さん。
年際は4歳年上。
結婚時、田中律子さんは26歳、杉本学さんは30歳でした。
馴れ初め・出会いはCMの撮影。
1992年にCMの撮影で出会い、田中律子さんが一目惚れしてアプローチしたそうです。
交際期間5年での結婚でした。
田中律子の子供は娘?
田中律子さんの子供は娘がひとり。
結婚時には妊娠しており、結婚7ヶ月目の、1998年6月に娘のさやさんが生まれました。
娘のさやさんは高校卒業、イギリスに留学しいたそうです。、
田中律子のと旦那の離婚理由は?
田中律子さんが離婚したのは2012年2月。
結婚15年目の離婚でした。
離婚の理由は
『男と女としての関係が破綻した』
ことをひとつの理由として2019年11月に『ダウンタウンなう』で明かしました。
田中律子さんは出産の時に不安で、嫌がる旦那に無理やり出産に立ち会ってもらったったといいます。
その後、旦那は『ちょっと、もう無理』と『夫婦の営み』がなくなったと話しています。
27歳で出産後、『夫婦の営み』は1度も無かったそうです。
出産を期に夫婦仲は冷えきっていましたが、子供のことを考え離婚はせずに、仮面夫婦生活は13年続きましたが、小学6年生にになった娘に
『ママ、離婚していいよ。ムリしなくていいよ』
と言われ離婚を決断したそうです。
田中律子の再婚は?
田中律子さんは2019年に恋人の存在を明かしました。
再婚について聞かれると、
『再婚はですねえ、する気はないですね』
と再婚について否定。
理由については、
『離婚をした時の(名前を)変える時のもう…ホントにもう…あの煩わしさ。なんで女だけがこんな思いをしなきゃいけないんだろう。』
と離婚の時に面倒なことが多かった経験が理由だと話しました。
田中律子の移住した沖縄の家
田中律子さんが沖縄に移住したの離婚後すぐの2012年。
移住したはは沖縄県恩納村。
移住した現在の沖縄の家は4階建の一軒家。
階部分はリフォームしてのヨガスタジオにしています。
田中律子さんはボードを使って水の上で行う『SUP(サップ)ヨガ』の協会設立に携わり、そのインストラクターを務めていています。
3階はリビングダイニングで、購入当時は普通の台所でしたが、リフォームして温かみのあるウッディなキッチンにしたといいます。
海のすぐそばで3階のリビングダイニングから目の前には海を眺めることができます。
生まれも育ちも東京の田中律子さんが沖縄移住を決めたきっかけは、14歳の時に初めて西表島でダイビングをして衝撃たこと。
18歳ぐらいから沖縄に通うようになり、『いつか私は沖縄に住みたい』とずっと思っていたそうです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。