東京都出身の落語家・立川志らくさん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
落語家になったきっかけは?
テレビに出演するようになったきっかけは?
結婚や妻は?
子供は何人?
今回は落語家の立川志らくさんについてリサーチしてみました。
立川志らくの学歴・生い立ち・経歴
名前 立川志らく
生年月日 1963年8月16日
出身 東京都
身長 168cm
血液型 O型
所属 ワタナベエンターテインメント
小学校・世田谷区立山崎小学校
中学校・世田谷区立山崎中学校
高校・・日本大学第三高校
大学・・日本大学芸術学部
東京都世田谷区出身。
本名は新間 一弘(しんま かずひろ)。
父親はクラシックギタリストの新間英雄さん。
日本五代クラシックギタリストと呼ばれていたそうです。
母親は長唄の師匠。
父親のギターと母親の三味線が流れる家庭で育ちました。
実家にはビリヤードがあったそうです。
兄弟は2歳年下の弟。
小学校は世田谷区立山崎小学校を卒業。
子供の頃は人見知りな性格でした。
けん玉が得意で、小学生の時には1分間の『もしもしかめよ』で当時の日本記録を更新しています。
中学校は世田谷区立山崎中学校を卒業。
高校は日本大学第三高校に進学。
日本大学第三高校は東京都町田市図師町にある男女共学の私立高校。
現在の偏差値は66。
高校の同級生には元F1レーサーの片山右京さんがいました。
大学は日本大学芸術学部演劇学科に進学。
芸術学部演劇学科の現在の偏差値は50。
大学の演劇学科では照明の勉強をしていたといいます。
落語研究会に所属し、4年生の時に立川談志さんに弟子入りしました。
立川志らくが落語家になったきっかけは?
「父親が『これ観るんだ』って言って」仕方なく一緒に「三代目 三遊亭 金馬」の落語を観ていたという。
引用 https://www.ntv.co.jp/
立川志らくさんが落語に出会ったのきっかけは10歳の時。
当時、『8時だョ!全員集合』の加トちゃん全盛期で、番組を見たいと思っていましたが、父親が裏番組の落語を見ていたため、仕方なく落語を見たそうです。
出演していた落語家は全くわからないおじいさんでしたが、面白くてハマったといいます。
その後、父親の書斎にクラシックやジャズや落語のレコードがたくさんあったので探してみたら、落語のレコードもあり、片っぱしから聞き始めたのが落語の原点だそうです。
高校生になると落語を聞きに行くようになり、大学では落語研究会に所属。
1985年10月、4年生の時に同サークルのOB高田文夫さんの紹介で七代目立川談志さんに入門。
前座名の立川志らくは、師匠の立川談志さんがフランスの政治家、ジャック・シラクにちなんで命名しました。
立川志らく テレビ出演のきっかけ
立川志らくさんは1985年10月、22歳で入門。
1988年3月に二ツ目に昇進。
1995年11月に真打に昇進しました。
当時、32歳。
2001年に彩の国落語大賞を受賞。
2003年に劇団・下町ダニーローズを主宰し、舞台演出家・脚本家としても活動。
『頑なにテレビを拒否していた。今考えてみれば、尊敬する師匠、価値観を共有できている親友が「出ろ、出ろ」と言ってたんだから、とにかく出てみればいいだけだった。後悔は、なぜ2人が元気なうちにやらなかったのか』
師匠の立川談志さんも、親友も立川志らくだんがテレビに出演することを勧めていましたが、当時は拒否していました。
親友はそんな立川志らくさんをなんとかしたいと、勤めていた東北電力を辞めて、立川志らくさんののマネジャーになることを決意。
しかし、親友の病気が分かり、親友は立川志らくさんの『ひるおび!』のレギュラーが決まったのを見届けて亡くなったといいます。
立川志らくの結婚や妻は?
立川志らくさんは離婚歴があるようです。
最初の結婚は学生の頃。
離婚時期は不明。
再婚したのは2006年。
43歳の頃。
妻は女優の酒井莉加さん。
年齢は18歳年下、結婚時は25歳くらい。
18歳の頃にはアイドルグループ『リンクリンクリンク』のメンバーとして活動していたといいます。
馴れ初めは自主制作映画。
立川志らくさんが2002年に自主制作映画『SF小町』を、監督として撮影した時の出演者でした。
相談に乗っているうちに交際に発展し、結婚にいたったそうです。
立川志らくの子供は何人?
立川志らくさんの子供は2人のようです。
子供は2人とも娘。
長女が2012年
次女が2017年
に誕生しました。
次女が生まれた時、立川志らくさんは53歳でした。
前妻との間にも子供がいるとう情報もあるようです。