兵庫県出身のお笑い芸人・寺門ジモンさん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
お笑い芸人になったきっかけは?
ダチョウ倶楽部の由来は?
肉、グルメキャラはいつから?
結婚歴や妻、子供は?
今回はダチョウ倶楽部の寺門ジモンさんをリサーチしてみました。
目次
寺門ジモンの学歴・生い立ち・経歴
名前 寺門ジモン
生年月日 1962年11月25日
出身 兵庫県川西市
身長 169cm
血液型 A型
所属 太田プロダクション
小学校・中野区立桃丘小学校
中学校・中野区立第九中学校
高校・・鷺宮高校
大学・・大学には進学していません
父親、母親、兄の4人家族で、父親は都市銀行に勤務。
本名は寺門 義人(てらかど よしひと)。
兵庫県川西市生まれで、住んでいた家は山付近にあり、幼少期からクワガタなどの昆虫を捕まえるなど自然の中で遊んでいたそうです。
実家は裕福で、4歳の頃から電車で市街地の幼稚園に通園していました。
父親が銀行員だったため引っ越しが多く、小学校入学までに大阪府池田市に移り、その後、大阪府箕面市に引っ越しています。
小学校は箕面市立箕面小学校に入学し小学5年生まで通い、6年生からは父親の転勤で、中野区立桃丘小学校に転校して卒業しました。
桃丘小学校は2008年に桃園第三小学校、仲町小学校と統合され閉校になっています。
大阪から東京に来たため、小学校ではなかなか友達が出来なかったといいます。
中学校は中野区立第九中学校を卒業。
第九中学校も2012年に中央中学校と統合され、現在は中野区立中野中学校になっています。
高校は鷺宮高校を卒業。
東京都中野区若宮にある男女共学の都立高校で、偏差値は52。
高校卒業後は、大学などには進学していません。
寺門ジモンがお笑い芸人になったきっかけは?
寺門ジモンさんは子供の頃か映画が好きで、映画の世界に憧れ、中学時代には黒澤明監督の映画のオーデションを受けています。
高校卒業後は、劇団テアトル・エコー附属養成所に入所してして俳優を目指しました。
『この劇団で生き残る方法はなんだろうと考えた時に、それがお笑い芸人になるということだったんです。』
引用 https://toyokeizai.net/
役者としての将来に不安を感じ、お笑い芸人への転向を決意しました。
寺門ジモン ダチョウ倶楽部を結成
寺門ジモンさんと2歳年上の上島竜兵さんは、同じ劇団テアトル・エコー附属養成所で出会い、商業デザイナーからお笑い芸人に転向しコメディアンの杉兵助に弟子入りしていた肥後克広さんとはテアトル・エコーの先輩だった渡辺正行さんの紹介で出会いました。
3人はコント赤信号の劇団員として活動した後、20人~30人ほどのコントグループ『キムチ倶楽部』のメンバーとして活動。
メンバーには俳優の近藤芳正もいました。
肥後克広さんが渡辺正行さんから、自身が主催する『ラ・ママ新人コント大会』のグループのメンバーで出場するように言われ『はい』と返事をしましたが、そのことをすっかり忘れ、慌ててメンバーに連絡したところ、連絡がついたが寺門ジモンさんと上島竜兵さんと現在は電撃ネットワークの南部虎弾さんでした。
参加したコント大会でうまくいったことから、1985年に4人で『ダチョウ倶楽部』を結成。
初代リーダーは南部虎弾さんでしたが、方向性の違いから1987年に南部虎弾さんが脱退し、電撃ネットワークを結成したため、3人編成となりました。
ダチョウ倶楽部の由来は?
ダチョウ倶楽部の由来は、売れている芸人のたけしさん、とんねるず、所ジョージ、タモリさんなどイニシャルがTで、ちょうど爆風スランプも売れていて濁音がついたほうがいいとダチョウになり、おニャン子クラブが人気があったことから倶楽部をつけて『ダチョウ倶楽部』になったそうです。
ダチョウ倶楽部の『聞いてないよぉ』が流行語
ダチョウ倶楽部はショーパブ、ライブなど経て、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャンなどのお笑い第三世代のブームで仕事は増えいましが、一時的なものでした。
ブレイクしたきっかけは日本テレビ系『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で寺門ジモンさんが発言した『聞いてないよぉ』でした。
爆薬を使った過酷なゲームに参加させられることは聞いた際に、寺門ジモンさんが思わず発したのが『聞いてないよぉ』でした。
この時、スタッフ全員が受けたそうで、スタッフに受ける『身内ネタ』と思っていましたが、これをテレビで見ていた片岡鶴太郎さんが、
『おもしれえな、あの聞いてないよって、押したら、あれ絶対、流行するよ』
と言ってきたそうで、3人は生放送の『笑っていいとも』で使ってみるとダダすべりしましたが、鶴太郎さんには、
『今はスベってる。でも大丈夫。お前らがもう嫌だと思ったころに世間は食いつくから。それまで押せ』
と言われ、何十回と繰り返しているうちに少しずつ受けるようになり、その後、定番のネタになり、1993年には新語・流行語大賞にノミネートされで銀賞に輝きました。
寺門ジモンの肉、グルメキャラはいつから?
寺門ジモンさんは小さい頃から食にこだわりのある子供で、焼きそばのつくり方でもこだわりがあり、お年玉をためて銀座の寿司屋に1人で食べに行ったこともあったそうです。
芸能界に入ってから、自分がグルメだと気づせてくれたのは音楽プロデューサーで作家の秋元康さんでした。
ラジオの番組でクリスマスデートコースを秋元康さんとプレゼンし合うって、アシスタントの子に決めてもらう企画で、寺門ジモンさんが選ばれたそうです。
収録が終わった後、秋元康さんに
『そんだけ好きで知識あるんだったら本書けばいいんだよ。時間が経ったらそういうポジションにつけるよ』
とアドバイスをもらったといい、寺門ジモンさんが、
『じゃ秋元さん、本出したら帯書いてくれますか?』
と聞くと、
『当たり前じゃないか』
と言ってくれて、2006年に初めてグルメ本を出すことになり、そこからグルメ系の仕事が始まったそうです。
2009年4月からCS放送チャンネルのMONDO TVで冠番組『寺門ジモンの食バカ一代』が放送、2009年4月からフジテレビで『寺門ジモンの取材拒否の店』が放送開始されました。
2014年5月からはCS放送チャンネルであるフジテレビONEで『寺門ジモンの肉専門チャンネル』が放送されています。
寺門ジモンの結婚歴や妻、子供は?
寺門ジモンさんに結婚歴はなく独身で、妻、子供はいません。
結婚願望をある述べていて、2020年11月には、
『(結婚は)する気はありますけど、時間がちょっと。』
と朝から毎日に2時間のトレーニングを50年以上かかさないなど、生活にこだわりがあり、多趣味なため時間がないと話し、2023年1月の60歳の時にもテレビ番組で、
『(過去の交際相手と結婚の話は)ありましたよ。でも流れが違って。結婚願望もあります』
と話しています。