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寺島進の嫁は?子供は何人?松田優作との関係や学歴・経歴

東京都出身の俳優・寺島進さん。

経歴や学歴は?

若い頃の画像は?

松田優作さんとの関係とは?

結婚しているようですが、嫁はどんな人なんでしょうか?

子供は何人?

今回は俳優の寺島進さんについてリサーチしてみました。

寺島進の学歴・経歴

名前   寺島進
生年月日 1963年11月12日
出身   東京都江東区
身長   165 cm
所属   ジャパン・ミュージックエンターテインメント

小学校・江東区立八名川小学校

中学校・江東区立深川第二中学校

高校・葛飾野高校

専門学校・三船芸術学院

子供の頃はあまり話さないは無口な子供だったそうです。

小学校高学年の頃、菅原文太さんの『トラック野郎』に憧れ、自分の自転車を改造してデコチャリを作って乗っていたといいます。

中学時代は野球部に所属。

ポジションはセンターで打順は5番。

江東区の1年生の大会で優勝。

決勝戦で初ヒットを打ち、相手は後にプロ野球の投手になる源五郎丸洋選手だったそうです。

試合は延長でも決着がつかず、最終的にはじゃんけんで寺島進さんのチームが勝ちました。

勉強は苦手でしたが、図工と体育だけは成績が良く、中学生のときは江東区の美化啓発ポスターで江東区長賞をもらったこともあるそうです。

高校は葛飾野高校(かつしかの)に進学。

葛飾野高校は東京都葛飾区にある男女共学の都立高校。

現在の偏差値は46。

高校時代はハンドボール部に所属。

高校卒業後は俳優養成所の三船芸術学院に入りました。

親の反対を押し切っての入学だったといいます。

寺島進が俳優を目指したきっかけ

寺島進さんが俳優をになろうと思ったきっかけは高校卒業を迎え進路に悩んでいた頃の昔から世話になっている近所人の

『進の余興は面白いし、目立ちたがり屋だから、そういう業界がいいんじゃない?』

という言葉だそう。

そういわれて、自分でもそうかもしれないと思いやってみようと思ったそうです。

そう思っていた頃、たまたま成城の三船芸術学院のパンフレットを持ってる人がいて、三船学院を知り『芸術』という言葉にひかれ入学。

入学後、自分に向いているかどうかは分からなかったそうですが、養成所時代は必死だったといいます。

学費を昼は工事現場で働き、夜は歌舞伎町で水商売のアルバイトをして払っていました。

カリキュラムは基礎的な発声、演劇、アクションなどで、特に殺陣の授業は面白く講師の宇仁貫三さんに弟子入りし入門。

K&Uという剣友会に入りました。

木刀を持った立ち回りの稽古をしたりしてると楽しくて仕方なく、やっと好きな道に行けたと感じたといいます。

当時は『切られ役』や『スタントマン』として現場に行くこともありました。

寺島進 俳優デビュー

寺島進さんがドラマに初めて出演したのは、1984年9月の『太陽にほえろ!』の簡易宿泊所にいる『その他大勢のチンピラ』の1人。

寺島進さんは20歳でした。

映画デビューは1986年10月公開の松田優作監督映画『ア・ホーマンス』。

寺島進さんは三人のヒットマンの一人の役でした。

寺島進と松田優作

寺島進さんと松田優作さんの出会いはまだ本格的デビュー前で、『斬られ役』などをしていた頃。

ある日、寺島進さんは『松田優作さんのグループ』も舞台に出演。

寺島進さんはセリフのない忍者の役を担当しました。

舞台の稽古場に松田優作さんが見学に来たとき、寺島進さんの稽古を見て、

『いいなぁ。これ以上テンション上げると、くさくなるし、下げると成立しないから今日の稽古のままいけ』

と褒められたそうです。

これがきっかけで松田優作さんと交流が生まれたといいます。

松田優作さんが初監督を務めた映画『ア・ホーマンス』ににも出演しました。

稽古場でうがいしていたら松田優作さんに叱られたこともあったといいます。

寺島進さんが洗面所でうがいをしていたら、松田優作さんに、

『稽古場は神聖な場所。そういううがいなら、トイレでやってこい』

と言われたそうです。

しかし、それだけでは終わらず、その後飲みに連れて行ってもらい、

『さっき言った意味、わかるか』

と聞いてきたといいます。

寺島進さんは『俺のことを本当に思ってくれているんだな』と感じたと話しています。

寺島進と北野武

寺島進さんが俳優だけで食べられるようになったのは30代後半だといいます。

寺島進さんの俳優としての知名度を上げたのは北野武さんの作品との出会いからでした。

1989年公開の北野武監督の初監督映画『その男、凶暴につき』のオーディションに参加し、ヤクザの手下役をつかみ取りました。

同映画の打ち上げで北野武監督に、

『次に俺が映画を撮ることがあったら、絶対に呼ぶからよ』

2作目の映画は『1作目とは異なるキャスティング』でやることにしたため呼ばれませんでしたが、3作目の『あの夏、いちばん静かな海。』には直接声がかかって出演。

その時、北野武監督に、

『今売れてなくても20年後、30年後に売れて死ぬ間際に天下取ったら、あんちゃんの人生、勝ちだからよ』

と言われ、役者を続けていく覚悟が決まったといいます。

4作目の『ソナチネ』にも出演。

寺島進さんが『オフィス北野』に入ったのは北野監督に誘われたからだといいます。

『北野監督らの芸能事務所「オフィス北野」に入らないかと監督から直々に誘われたのだ。』

引用 https://www.jprime.jp/

寺島進さんは当時、事務所の所属してなくフリーランスで活動していたそうで、1年、真剣に考えて事務所に入ることを決めたそうです。

寺島進の嫁

寺島進さんが結婚したの2009年11月。

46歳のときでした。

嫁は一般女性。

年齢は17歳年下で、結婚したときは28歳でした。

出会ったのは結婚の2年前の2007年。

知人を通して知り合ったそうです。

当時の印象は、

『笑顔がきれいな人だと思った』

と話し、寺島進さんの一目惚れだったそうです

寺島進さんは猛プッシュしますが、なかなかOKはもらえなかったといいます。

結婚を決めた理由については、

『祖先や家族を大事にする古風なところを知って、結婚を決意した』

と話しています。

寺島進の子供は何人?

寺島進さんの子供は2人。

娘と息子です。

長女が2010年6月

長男が2015年5月

に生まれました。

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