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内田也哉子の結婚歴や夫は?子供は何人?高校、大学などの学歴や経歴・生い立ち

東京都出身の女優、エッセイスト・内田也哉子さん

生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?

デビューしたきっかけは?

夫の本木雅弘との結婚の馴れ初めは?

子供は何人?

今回はエッセイストの内田也哉子さんをリサーチしてみました。

内田也哉子の学歴・生い立ち・経歴

名前   内田也哉子(うちだ ややこ)
生年月日 1976年2月11日
出身   東京都
血液型  B型

 

内田也哉子の学歴

小学校・インターナショナルスクール

中学校・都内の中学校

高校・・都内の高校 スイスの高校

大学・・パリの大学

東京都港区出身。

父親はミュージシャンの内田裕也さん。

母親は女優の樹木希林さん。

兄弟はなく一人っ子。

生まれる前から両親は別居婚をしていたため、母親の樹木希林さんに育てられました。

1歳半からプリスクールに預けられています。

プリスクールは未就学児を対象に英語で保育を行う施設。

幼稚園、小学校はインターナショナルスクール。

普通の幼稚園に入る予定でしたが、その頃、内田裕也さんと樹木希林さんが離婚調停中で、移動するたびに多くのマスコミがついてきていたため、入園を断られたそうです。

外国人が多いインターナショナルスクールなら好奇の目に見られることもなく、普通に育つだろうと考えての選択だったといいます。

9歳から1年間、ニューヨークの北部の田舎の学校に留学し、ホームステイを経験。

6年生からは一般の学校に入学。

幼稚園からインターナショナルスクールだったため、日本の小学校に転校当初は読み書きが全然できず、何を習ってるのかしばらくわからなかったそうです。

子供の頃は樹木希林さんにおもちゃを買ってもらったことはなく、服もいつも誰かのおさがりだったため、当時は、

『うちって貧乏なのかな』

と思っていたそうです。

中学校は都内の公立の中学校、高校は都立の高校。

高校受験の時に、行きたい私立高校の話しを母親の樹木希林さんにすると、

『税金払ってるんだから近所の公立に行きなさい』

と言われ、頼み込んで1ヶ月塾に通わせてもらい、近くの都立高校に進学したそうです。

高校時代に、フランス映画が好きだったことから、フランス語を学べる海外の学校を調べて、母親にプレゼン。

高い学費のため絶対無理とも思いましたが、あっさりOKで、16歳の時にらスイスのジュネーヴの学校に留学しました。

大学はパリの大学に進学しましたが中退しているようです。

内田也哉子と父親の内田裕也の関係は?

『父ともっと暖かい時間を持ちたかったけれども、それはなかなか持つことはできなかった。母が父に求める役割と私が父に求める役割は全然違うから、そこの葛藤は今でもそのまんまです。』

引用 https://kodomoe.net/

内田也哉子さんが生まれた時には、別居していいて父親の内田裕也さんはいませんでした。

子供の頃に父親に会うのは1年に1回か2回。

会うのは内田裕也さんのやていた『ニューイヤーロックフェスティバル』で、楽屋でに連れて行かれて会ったそうです。

めったに会わないため、

『ああ、大きくなったなあ。どうだ?』

と言われても全く会話ははずまず、

『じゃあ、俺もまだ次があるから帰れ』

と言われて帰る感じだったといいます。

そのため、最後まで父親という認識はなかったと話しています。

内田也哉子がデビューしたきっかけは?

内田也哉子さんの女優デビューは1985年4月から放送されたHNKドラマ『花へんろ 風の昭和日記』。

9歳の時で、子役デビューでした。

母親の樹木希林さんの娘の役で、その時の芸名は『小きりん』でした。

その後は1997年10月公開の映画『東京日和』に出演。

2007年4月公開の映画『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~』ではオカン役の樹木希林さんの若い頃を演じ、

第31回日本アカデミー賞・新人俳優賞

を受賞しました。

31歳の時でした。

内田也哉子と夫の本木雅弘との馴れ初めは?

内田也哉子さんが結婚したのは1995年7月。

19歳の時でした。

夫の本木雅弘さんは1965年12月21日生まれで、年齢は10歳年上。

初めて出会ったのは15歳時でした。

『父がプロデュースしていた『魚からダイオキシン!!』っいう変わった映画のスタッフや共演者のみなさんがいて、そのひとりが本木さんでした。』

引用 https://www.1101.com/

毎年父の日に強制的に父親に会っていたそうで、その約束をすっぽかされ、次の日に、

『今、寿司食ってるから来い』

と言われていった先に、本木雅弘さんがいたそうですが、会話はなかったそうです。

その後、本木雅弘さんがアメリカのアカデミー賞のナビゲーターをやることになり、通訳を探していたところ、本木雅弘さんの事務所の社長と内田裕也さんが仲が良かったことから、英語の堪能な内田也哉子さんに『バイトする?』と話がきたそうです。

当時、高校1年生で映画も大好きだったことから引き受け、1週間、本木雅弘さんの通訳を務めました。

ちょうど、内田也哉子さんがスイス留学の直前で、そのことを話すと住所交換をして、文通が始まりました。

しかし、そんなに蜜には連絡を取ってはいなかたそうです。

夏休みに帰国中に、東京で初めて2人で食事をした際に本木雅弘さんから、

『もし、将来、結婚っていうことを考える時期がきたら、私を選択肢に入れておいてください』

と言われたそうです。

その時、内田也哉子さんは、

『きっとこの人、頭がおかしい人で、誰にでもそうやって言ってるんじゃないか』

と思ったといいます。

19歳の時に正式にプロポーズされ、まだ大学生だったため樹木希林さんに相談すると、

『結婚や人との出会いは計画してできるものじゃないから』

と背中を押されたそうです。

その後、内田也哉子さんにいる時に、樹木希林さんが次男の本木雅弘さんに婿入りを願い出て、了承を得て婿養子となりました。

内田也哉子の子供は何人?

内田也哉子さんの子供は3人。

子供は息子が2人と娘が1人。

1997年に長男・雅樂(うた)さん

1999年に長女・伽羅(きゃら)さん

2010年に次男・玄兎(げんと)

が誕生しました。

長男の雅樂さんは身長189cm。

2018年にモデルとしてパリコレデビュー。

2019年4月には本木雅弘さんと、サントリーのテレビCMで親子初共演を果たしました。

次女の伽羅さんは内田伽羅の名義で女優として活動しています。

2010年、映画『FURUSATO -宇宙からみた世界遺産-』でデビュー

2011年公開の映画『奇跡』では、

第26回高崎映画祭・最優秀新人女優賞

を受賞ました。

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