長崎県出身の俳優・若林豪さん。
生い立ち、経歴や高校、大学などの学歴は?
俳優になったきっかけは?
結婚歴や妻は?
子供はいる?
今回は俳優の若林豪さんについてリサーチしてみました。
若林豪の学歴・生い立ち・経歴
名前 若林豪
生年月日 1939年9月5日
出身 長崎県
身長 177cm
血液型 A型
所属 エ・ネスト
高校・・海星高校
大学・・専修大学経済学部 中退
長崎県長崎市出身。
本名は森武 久明(もりたけ ひさあき)。
5歳の時に原爆を体験。
実家は爆心地より少し離れたところにあり、納戸の前に立っていましたが、爆風で土間まで飛ばされてしまったといいます。
高校は海星高校に進学。
海星高校は長崎県長崎市東山手町にある男女共学に私立高校。
フランス系カトリックのマリア会が運営するミッションスクールで、 1892年に設立。
現在の偏差値は44~62。
大学は専修大学経済学部に進学。
中退説と卒業説があり、卒業の有無は不明でした。
若林豪が俳優になったきっかけは?
若林豪さんが俳優になったきっかけは、大学時代にアルバイト先で知り合った『劇団四季』の関係者に俳優になることを勧められたことがきっかけだったといいます。
若林豪さんはその後、演劇活動を始め、1965年に、劇団『新国劇』に入団しました。
若林豪 俳優デビュー後
1966年に舞台『同期の桜』でデビュー。
1968年5月に放送されたドラマ『顎十郎捕物帳』で、主演ドラマデビュー。
当時、28歳でした。
1971年5月公開の映画『暁の挑戦』で映画デビューし、同年9月公開の映画『人間標的』では主演を務めました。
1975年5月から放送された刑事ドラマ『Gメン’75』(TBS系)に立花警部役レギュラー出演。
立花警部役は当たり役となりブレイク。
1982年4月の番組終了まで出演しました。
1980年代になると、ミュージカルにも活動の幅を広げ、1985年、1986年には『シカゴ』で鳳蘭さん、1995年、2000年には『サウンド・オブ・ミュージック』で大地真央さんの相手役として再演を重ねました。
大河ドラマにも多く出演し、1970年の『樅ノ木は残った』に出演後、2009年までに7作に出演しています。
デビュー以降、個人事務所で活動しましたが、67歳の時に東宝芸能に移籍。
2015年、76歳の頃にはエ・ネストに移籍しています。
若林豪の結婚歴や妻は?
若林豪さんは結婚しています。
結婚のしたのは30歳の頃との情報がありましたが、正確な時期は不明でした。
妻は女優などではなどではなく、一般女性のようです。
若林豪に子供はいる?
若林豪さんの子供は5人。
子供は息子が3人と娘が2人。
三男の若林久弥さんは俳優をしています。
劇団青年座に所属し、舞台中心に活動しているようです。